二子山の山歩きの終点は芸術鑑賞です。イソガシイ!
秩父市にやってきました道の駅「ちちぶ」、お伽の国のような外観。羊山公園の芝櫻の臨時駐車場のようです(ここから羊山まで30分以上は歩くのだ)。隣接して秩父市芸術文化会館がありました。駐車場は入館者のみOK。
入場券300円、北村西望「墨の世界と彫刻展」。
チケットの写真は代表作「笑う少女」・・・「喜ぶ少女」ともいう。
北村西望(1884~1987年)
長崎県南有馬村(現南島原市)生まれ。東京美術学校卒業、同校教授、日本の近代彫刻界の重鎮です。1944年銅像供出阻止運動を朝倉文雄などと行います。
1945年埼玉県秩父の矢那瀬村(現長瀞町)に疎開。
1950年長崎市より平和祈念像を依頼され(66歳)、
1951年原案提出、決定、着手。
1955年完成(71歳)。
1973年天草四郎像(島原・天草の乱の原城城址に)。
北村西望がなぜ秩父と?、館員の方が熱心に説明してくださいました。大戦中に矢那瀬(長瀞と波久礼の間のあたり)の高徳寺に疎開、熊谷次郎直実の像(熊谷駅に)、秩父鉄道の創業者柿原萬蔵の像(羊山公園に)も作っており、柿原家とは縁戚関係でもあります。
展覧会場には「長崎平和祈念像」の縮小ブロンズもありました。
縮小ブロンズは東京都北区の「北とぴあ」、東京都三鷹市新川の仙川公園、島原市「北村西望記念館」などに。
試作品は30cm、長崎市白鳥町の長崎拘置支所に設置されています。、
これをだんだん大きく作り直し原型にして最後にパーツに分けてブロンズにしてつなぎ合せたそうです。原型は東京都井の頭公園「北村西望彫刻館」に。
モデル・・・長崎県大村市出身の当時の相撲取り「力道山」または柔道・レスリングの指導者の方とか諸説あるようです。
秩父の方の説明では顔は娘さんそっくりだそうです。そういえば優しい顔をしています。
・・・・・五年の歳月をかけた生涯一の大作「長崎平和祈念像」・・・・・
総制作費、昭和30年(1955年)で3000万円、募金による浄財です。台座2000万円は長崎市が。この当時はまだ被災者の法的救済処置は取られていませんでした。
最後にむかし描いたわたしのスケッチです。ヘタクソですが平和祈念の気持ちを込めて描きました。
秩父市にやってきました道の駅「ちちぶ」、お伽の国のような外観。羊山公園の芝櫻の臨時駐車場のようです(ここから羊山まで30分以上は歩くのだ)。隣接して秩父市芸術文化会館がありました。駐車場は入館者のみOK。
入場券300円、北村西望「墨の世界と彫刻展」。
チケットの写真は代表作「笑う少女」・・・「喜ぶ少女」ともいう。
北村西望(1884~1987年)
長崎県南有馬村(現南島原市)生まれ。東京美術学校卒業、同校教授、日本の近代彫刻界の重鎮です。1944年銅像供出阻止運動を朝倉文雄などと行います。
1945年埼玉県秩父の矢那瀬村(現長瀞町)に疎開。
1950年長崎市より平和祈念像を依頼され(66歳)、
1951年原案提出、決定、着手。
1955年完成(71歳)。
1973年天草四郎像(島原・天草の乱の原城城址に)。
北村西望がなぜ秩父と?、館員の方が熱心に説明してくださいました。大戦中に矢那瀬(長瀞と波久礼の間のあたり)の高徳寺に疎開、熊谷次郎直実の像(熊谷駅に)、秩父鉄道の創業者柿原萬蔵の像(羊山公園に)も作っており、柿原家とは縁戚関係でもあります。
展覧会場には「長崎平和祈念像」の縮小ブロンズもありました。
縮小ブロンズは東京都北区の「北とぴあ」、東京都三鷹市新川の仙川公園、島原市「北村西望記念館」などに。
試作品は30cm、長崎市白鳥町の長崎拘置支所に設置されています。、
これをだんだん大きく作り直し原型にして最後にパーツに分けてブロンズにしてつなぎ合せたそうです。原型は東京都井の頭公園「北村西望彫刻館」に。
モデル・・・長崎県大村市出身の当時の相撲取り「力道山」または柔道・レスリングの指導者の方とか諸説あるようです。
秩父の方の説明では顔は娘さんそっくりだそうです。そういえば優しい顔をしています。
・・・・・五年の歳月をかけた生涯一の大作「長崎平和祈念像」・・・・・
総制作費、昭和30年(1955年)で3000万円、募金による浄財です。台座2000万円は長崎市が。この当時はまだ被災者の法的救済処置は取られていませんでした。
最後にむかし描いたわたしのスケッチです。ヘタクソですが平和祈念の気持ちを込めて描きました。
それでもあまり好きでないので展覧会つきで誘いました。
羊山公園は花盛りの時は行かないほうがいいようです。集客力がつき過ぎました。秩父の街は羊山、一色です。食堂、お蕎麦屋もいっぱいだったでしょう。
一芸を極めた人は何でも芸になるんですね。
まあこの彫刻には圧倒されますが。
疎開中にムラビトと交流があったらしく秩父にはかなりの愛好家がいてその愛好家の出品も多いようです。
小さなブロンズの箱書きに書いた墨書がいいですね。
会場には説明員が待機していて説明してくれましたがボランティアでしょうか。親切でした。
ブロンズのいいところは複製ができるところです。何体もできるからけっこう安いんですよ。
それに飾ってあるのは外が多いですからタダで見れます・・・あははは
よほど可愛かったんでしょうね。ほんとは西望が66歳のころですからイメージだったんでしょうが、ホントに優しい顔です。
彫刻というと偉人像が多いのですがこういう作り手の創作意欲のイメージでできたのはいいですね。高村光雲の上野公園の素顔の西郷さん、高村光太郎の十和田湖の裸婦、この祈念像が好きです。
大きなブロンズの作り方をはじめて知りました。
秩父セメントの本体がここにあったとは縄文さんでなければ教えてもらえませんでしたね。
会館の説明員の方々はボランティアでしょうか。西望の疎開先の矢那瀬との関係、秩父鉄道柿崎満蔵との関係、丁寧にいろいろ説明してくれました。
力強さを感じました。
平和を望まない人はいないと思います。
それなのに世界には未だにいがみあっている人がいます。
いつまで経っても終らないのでしょうか?
作られ方、勉強させて貰いました。
そういえば、力道山に似てますね。
シルベスタ・スタローンにも似てる。
ヒキノさんの絵も、上手い!
下手な人は自分の絵を素晴らしいと思うそうです。
上手な人はまだまだ勉強しなくてはこの下手さはどこから来るのだろうかと思うそうです。
その理論からすると上手です。
理屈なしで私もお上手と思いますが!
彫刻や 芸術は ???ですが
すきやわ~~~です
この像は、うん十年前に見ました。圧倒される感じを受けました。今ブログで見ると、確かにお顔はやさしいですね。
平和の願いを込めて描かれたヒキノさんのスケッチは、味わい深いものが有ります。
「笑う少女」って本当に可愛らしい。
有意義な一日を過ごされてさぞかし満足されたでしょう。
長い月日になりますと町の様子が一変して、浦島太郎です。
すごい方とつながりがあり、よき展覧会にお目にかかれました。
どこにあるのかと・・・・検索・・・・道の駅にあるのでしたか。
秩父セメントがここにありましたが、私が居るs30年の前に大野原に第2工場が出来主力はそちらに移りました。
今は取り壊して道の駅。
矢那瀬(長瀞と波久礼の間のあたり
場所的にはよき知っていますが地名をはじめて聞きました。陽だまりの山を背にした暖かいところです。
秩父路の旅、
縄文人十分楽しませてもらいました。
名案内文が効を奏したのか、居ながらにして頭の中を駆け巡りました。
ありがとうございました。