比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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文豪の愛した信濃追分駅と・・・浅間山と・・・しなの鉄道115系

2015-05-02 | 鉄道と駅 甲信越編
ここは信州佐久・・・信濃追分駅・・・「江差追分」の原点「追分馬子唄」のふるさと・・・中山道と北国街道の分岐点(追分・わかされ)。
追分とは街道の分岐点・・・地名として残っているのは全国で10以上あるらしい・・・有名なのは新宿伊勢丹あたりの内藤追分、文京区の本郷追分、滋賀の草津追分。
信濃追分駅・・・1909年開業の際にすでに他所に追分駅があったため「信濃」を冠したらしい。ちなみに追分という駅は全国に8つ、改称したものは9つあるとか。

しなの鉄道「信濃追分駅」・・・かつては文豪芥川龍之介はじめ堀辰雄らが乗降した駅・・・いまは無人駅。標高955m。
左の柱に「あたらさん編集室」という名札が見えます。暮らしの手帖の別冊だそうです。

いっとき「信濃追分駅」が「西軽井沢駅]に改称されそうになったそうですが・・・「追分」を愛する人たちの反対で立ち消えになったそうです。

信濃追分駅~御代田駅のあいだ・・・浅間山をバックに・・・
しなの鉄道・・・旧国鉄115系(JR東日本の長野カラー)が走る(4月24日撮影)

4月14日、南信州の飯田からの帰途、雪の浅間とのコラボを撮ろうとしたが浅間山は雲に隠れていた。旧国鉄115系(しなの鉄道オリジナルカラー)。

信濃追分駅・・・1909年国鉄で開業、1987年JR東日本に、1997年しなの鉄道に。国道18号線最高標高点1003mの標識のあるあたり(軽井沢町追分交叉点)からから少し南に下ったところ。
追分宿・・・国道18号線から少し北に入ると昔の追分宿を偲ばせる旧中山道。江戸時代元禄期の記録では旅籠71軒、茶屋18軒、商家28軒、飯炊き女数100人とか。追分宿郷土館、浅間神社、旧脇本陣油屋、堀辰雄文学記念館、分か去れの碑・・・などがあります。
堀辰雄(1904~1953年)・・・昭和初期の小説家。学生時代に芥川龍之介と軽井沢で会って以来、軽井沢に魅せられ、終生、軽井沢を愛した。代表作「風立ちぬ」はつるや旅館滞在中に知り合った油絵を描く少女との出逢いと分かれの物語り。そのご結婚した多恵子夫人とは追分で知り合った。追分の油屋旅館にたびたび滞在し、追分に借家を求め、1951年には終の棲家を追分に建て、翌々年亡くなった。
わかされ・・・道の分岐点の信州・上州の方言らしい。


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