Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

朝ぼらけ

2020年02月28日 15時38分27秒 | 旅行記
 


 佐賀県太良町は、『月の引力が見える町』と自称する。空がうっすらと白み始めた五時半、その多良漁港に有明海の日の出を求めてやって来た。沖へすーっと延びる細長い堤防道路に等間隔に立つ十本ほどの電柱は、まだ灯りを点々とつけていた。堤防には、船外機付きの小さな漁船が二隻舫われ、その船底をさざ波がくすぐるように洗っている。一人の漁師がやってきて船に乗り込むと舫を解き、ブルブルブルブルッというエンジン音を航跡の中に紛れ込ませながら、舳先を朝ぼらけの沖へと向けた。
 やがて令和の朝陽が右手、はるか島原半島の上空を染め始め、ぐんぐんと力強さを増していった。海面には一筋の黄金色の帯が延びてくる。それが、堤防道路に平行して海中に立つ、朱に塗られた三基の鳥居を神々しく直射した。
 この地にはこんな伝説が残っている——およそ300年の昔、悪政に苦しめられた村民が、悪代官を懲らしめるため一計を案じた。酔わせた挙句、有明海の小さな島、沖ノ島に置き去りにしたのだ。実はこの島、満潮時になると海の中に沈んでしまう。酔いが覚めた代官は、島が沈みそうになっているのに驚き神に救いを求めたところ、現れたのが文字通りの大魚(ナミウオ)、代官を背に乗せ助けてくれたのだった。この地にある大魚(おおうお)神社と海中鳥居は、代官が改心の証しとして、豊漁と海の安全を祈願し建立した——こんな話である。
 有明海は干満の差が大きい。特に太良町では六㍍にもなるという。それで『月の引力が見える町』と言っているのである。ここに着いた時には、鳥居の下はまだ干潟であったが、見る間に潮位は上がっていき鳥居の足元を隠していった。満潮時ともなると鳥居の中ほどまで海中に没するのである。朱の鳥居が干潟の上に屹立したり、あるいは半ば海中に没した姿はまさにフォトジェニックな世界……世の喧騒を離れ、ひとときの安らぎである。
 海を臨み背後には霊山とされる多良岳がそびえている。その多良岳と沖ノ島の延長線上に大魚神社と海中鳥居はあるのだという。近くに住む老人だろう、散歩がてらのウォーキング中ふと立ち止まり、多良岳に向かって手を合わせ、軽く頭を下げた。すると、高さを増していく陽に召されたのか、近くの木に群れ止まっていた数十羽もの白サギが、その陽を受ける鳥居の方へと一斉に飛び立っていった。