Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

晴れたら外へ

2022年03月07日 17時00分33秒 | エッセイ



「晴れたら外へ」友は促し、
「閉じこもってばかりいたのでは、体は衰える。さあさあ」妻は急き立てる。
確かに、体の衰えは言われるまでもない。
「そうだな」意を決した。
「で、どこ方面へ」
「西の方」ざっくりした返答だ。
「糸島辺りだね」
「そうね、美味しいお寿司屋さんがあるのよ」
どうやら最初から、決めていたらしい。
「それで、お勘定は? 当然あなた持ちだわね」
「えっ、そんなのありかい。しようがないな」
「10時出発にしましょう」


3月6日 日曜日はこうしてスタートした。
少し暑すぎるくらいの青天の中、
一般道路を急ぎもせず、国道202号線をのんびりと走らせた。
車が多い。皆、同じ思いなのだろう。
しばしば渋滞に巻き込まれもした。
そして、ちょうど2時間、目的の寿司屋に着いた。
評判の店らしく、店外にまで客が並んでいる。
「こりゃ1時間待ちは確実だな」と思っていたら、
客の回転は意外と早く、30分ほどで店に入れた。

妻も私も特上寿司ご膳を注文した。
もともと鮮魚店が経営しているから、
ネタはすこぶる新鮮。
「旨い」と言うほかない。財布を開くのもまったく抵抗がなかった。

「さて、これからどうする?」
「この202号線をさらに、西へ進むと『福ふくの里』というのがある」
「何だよ、そこは?」
「糸島市二丈福吉の新鮮な野菜、鮮魚が集まる産直所よ」
「何か、買いたいものがあるのかな」
「そうじゃなくて、物産所を取り囲むように菜の花が満開なのよ」
「なるほど、写真を撮ろうというわけだね」
「その通り。じゃ行きましょう」
妻はカメラを取り出し、僕はスマホだ。
家族連れが多い。菜の花畑に分け入った幼い子は、
菜の花に埋もれ、声はすれど姿は見えない。
パパが、「おーい」と呼べば、菜の花をがさごそとかき分け、
やっと姿を現す。



すぐ側をJR筑肥線が走っている。
スマホで狙ってみるが、やはり無理だ。
そこそこのやつで我慢し、ブログに使うことにした。


福ふくの里から、芥屋の大門に回る。
やはり、糸島に来たのなら海も見なけりゃ。
そして、海沿いをずっと走りながら家路に着いた。
帰り着いたのは6時ちょっと前だった。




Rebirth 

2022年03月04日 21時16分20秒 | エッセイ

多くは望まない。20年ほどでいい。
出来るものなら、この体をRebirthしてほしい。
60歳前後は、どこも悪いところはなく、
健康そのものだった。
それが70歳を過ぎたあたりから崩れ出し、
あちこち傷んできた。
今は何の心配もしないで済む日はまずない。
年を取れば体は衰え、あちこち傷んでくるのは
当然のこととはいえ、Rebirthさせてくれるものなら
してみたいと思う。

       

そんなくだらないことを考えていたら、
目の前のテレビが医療的ケア児の話をしていた。
医学の進歩などによりNICV(新生児集中治療室)等に
長期入院した後、引き続き人工呼吸器や胃ろう等を使用し、
家族、あるいは医療従事者の支援を受けながら、
日常的に医療ケアを必要としている子どもたち。
全国に2万人ほどいるそうだ。

     

途端に「20年ほどRebirthしたい」と思う、
自分が哀れに思えてきた。
医療的ケア児こそ、Rebirthさせてあげたい。
声も出せず、態度で示すこともできず、
毎日、毎日命をつないでいるこの子たち。
Rebirthなんて、もう言うまい。
この子たちのようにその日、その日に向き合って生きていこう。



少々、厄介者

2022年03月02日 06時00分00秒 | エッセイ


妻から頼まれた郵便振り込みの手数料は268円だった。
ズボンのポケットには1円、5円、10円といった
小銭がザクっと入っている。
「手数料はこれで払ってきて」と持たされたものだった。
さすがに200円というのは100円玉2枚とし、
あとは持ってきた小銭の中から10円玉6枚、
1円玉8枚を選び出して支払った。


家には、小銭がまだたくさんある。
もっぱら、物を買うにも、食べるにも現金払いしかしなかった
僕が貯め込んだものだ。
お釣りとして手元にきた1円、5円、10円といった
小銭は格別の使い道もなく、その都度、箱の中に放り込まれた。
気付くと、それは結構な量になり、小遣い銭として孫たちを喜ばせた。
孫はそれを1円、5円、10円と仕分けし、計算すると
時にそれは1万円ほどにもなることがあった。
もちろん、孫たちは大喜びだった。



ところが、このところ孫たちは少々まごついている。
以前は銀行に小銭を持ち込めば無料で両替してもらえたものが、
最近は手数料がいるようになっているのである。
金融機関によって多少違いはあるが、
地元の福岡銀行の場合、例えば窓口での取り扱いだと、
1~50枚は無料、51~500枚だと330円、
501~1000枚で550円、1001以上は1100円となる。
両替機を使うと多少安くなるが、いずれにせよ手数料が必要だ。


極端な例で恐縮だが、1円玉70枚、5円玉20枚、10円玉10枚、
合わせて100枚270円を窓口に持ち込み、
100円玉2枚、50円玉1枚、10円玉2枚に
両替してもらおうとすると、手数料330円がいる。
手にするお金より支払うお金が高くなる。妙な話だ。
こうした例はほとんどないに違いないが、
手数料が必要だということに抵抗感が出てしまう。
孫たちも以前みたいには喜ばなくなった。
では手元に残った小銭はどうするか。
今度の郵便局での払い込み手数料みたいなもの、
あるいはスーパーでの買い物でたまに小銭を混ぜて支払う。
そういうふうにして、ボツボツと〝消化〟していっているのだ。


孫が喜んでくれると思い、せっせと貯め込んだ小銭、
それが今は少々、厄介者かな。申し訳ないことながら。


それで現金払いをできるだけ止めた。もっぱらカード払いだ。
だから、釣銭として小銭を手にすることはなく、増えることもない。
貯め込んでいたものをボツボツと減らしていくのみだ。
ふと思うのだが、カードでの支払いなど、
キャッシュレスの時代がさらに進むと
1円、5円、10円といった小銭の存在理由はなく
何のために発行するのかという疑問にぶつかる。
そう言えば、100円玉にしても、500円玉にしても、
1000円札、5000円札、1万円札だって不必要ではないか。
そんな話を真面目にすれば、間違いなく大笑いされるに違いない。