「移民」「難民」を拒絶する人たちって、自分の御先祖に「○○民族大移動大移動」や「移民」や「難民」が混じっていたら、先祖ごとまとめて自分の存在自体も否定するんでしょうか?
【ただいま読書中】『ながいながい旅 ──エストニアからのがれた少女』イロン・ヴィークランド 絵、ローセ・ラーゲルクランツ 文、石井登志子 訳、 岩波書店、2008年、1900円(税別)
60年以上前、エストニアでお祖母ちゃんと二人で暮らす少女。おっと、犬も一緒でした。「犬がいるかぎり、恐くなかったのです!」と少女は感じます。一人ぼっちも、近づいてきた戦争も、こわくないのです。戦争でも子供たちは学校に行き、友達と遊びます。しかし兵隊に愛犬が撃ち殺され、兵隊が姿を消し、別の国の兵隊がやって来て……おばあちゃんは「自分は残るが、イロン、あんたはたすからなくっちゃ」と言います。そう、少女の名前はイロン。本書の絵を描いた人と同じ名前です。
イロンは漁船に乗せられバルト海へ。そこでエンジンが壊れ漂流していたときに出会ったのがスウェーデンの救助船でした。幸いスウェーデンにはお父さんの妹がいました。おばさんは画家で、イロンも熱心に絵を描きます。あまりに素敵な絵だったので……
「最初の兵隊」はドイツ兵、次はソ連兵です。ドイル兵も占領地ではひどいことをしましたが、ソ連兵は「ドイツに抵抗しなかったのは、ドイツの味方だからだ」ともっとひどいことをしました。だから難民が大量に発生したわけです。ただしそのことについては本書では詳しくは触れることはありません。どのくらい辛い思いをしたかについても声高に主張することはありません。その“静けさ”がかえって読者の心に響きます。
そして最後に「そして今、女の子はようやく到着したのです」とあるのを読んで、私はほぅっとため息をつきます。深い深いため息を。難民にとって「到着点」とはどこなんだろう、と思いながら。