将棋名人戦の第1局が先日ありました。昨年はニコ動で観戦していたら、私は無料客なので有料客が増えたら押し出されてしまって見られなくなったりしたのですが、今年はabemaTVでずっと無料観戦できる、というので大喜び。ところが観戦者が2000人くらいでずいぶん少ないのです。不思議に思って検索をしたら、ニコニコ動画が「完全無料」と宣伝しているではありませんか。何にしても、名人戦を生で観戦できるというのは、よい時代になったものだと拝みたくなります。ところで誰を拝めばよいのでしょう?
【ただいま読書中】『空から降ってきた男 ──アフリカ「奴隷社会」の悲劇』小倉孝保 著、 新潮社、2016年、1500円(税別)
2012年9月9日、ロンドン・パラリンピックの開幕の日、ヒースロー空港に近いモートレイクで、一人の黒人男性が墜落死をしました。スコットランド・ヤードは「ヒースロー空港行きの飛行機に乗り込んだ密航者が墜落死した」と発表しましたが、「アンゴラから乗り込んだ」ということ以外、身元や動機は不明でした。
毎日新聞の特派員としてロンドンにいた著者は、テレビニュースで「1947年以来、旅客機の主脚格納部に潜んで密入国を試みた人はFAA(米連邦航空局)が把握しているだけで96人(うち73人が死亡)」と報じているのを見ました。100人近く?
テロ対策で会社や当局は渋りましたが、著者はなんとか旅客機の主脚格納部を見ることができます。著者の体力ではよじ登れない高さに格納部はありました。身を潜めることができる空間はちょうど柩程度。著者は想像します。エンジンのすさまじい轟音とマイナス50度以下の寒気、そして高度1万メートルの希薄な大気を。
墜落死した男性は、モザンビーク出身のジョゼ・マタダ。彼はケープタウンで大金持ちの家に雇われますが、そこの若奥様がジェシカ・ハント(スイス生まれ。カメルーン生まれの大金持ちホセイントと結婚してイスラムに改宗)でした。「アフリカ型の部族社会、それをそのまま持ち込んだ大家族の家庭生活」にジェシカは疲れを覚えていました。さらにジェシカを疲れさせたのは、自分が育った西欧の人権感覚に真っ向からぶつかってくるアフリカに残る「奴隷制度」(金持ちのアフリカ人が貧乏なアフリカ人を酷使する)でした。ジョゼ・マタダは奴隷のように扱き使われますが、ジェシカはジョゼの内部の知性のきらめきに注目します。しかしそれは「奴隷制度」の中では「異様な態度」でした。嫉妬深い夫はジェシカとジョゼとの性的関係を疑い、その脅迫に耐えかねて二人は家を出ることになってしまいます。二人で生きる道はアフリカにはなく、3箇月の逃亡生活でジェシカの体重は58kgから35kgに減り、とうとうジェシカは単独でヨーロッパに戻ることにします。ヨーロッパは「法律と人権」の世界でした。対してアフリカは「部族と奴隷と賄賂」の世界。そういった「ヨーロッパ」に対してジョゼは憧れの念を強めていったはずですが、彼がパスポートやビザを取ろうとするとその前に立ちはだかるのが「アフリカ」でした。
ただ、私が皮肉に感じるのは、ジェシカが夫と離婚できたのは、ヨーロッパの法体系ではなくてえ、イスラム法が機能したからだったことです。ヨーロッパではせいぜい「ストーカーに対する接近禁止命令」が出せる程度ですが、モスクのイマーム(説教師)は「妻を保護する義務を放棄した夫」に対しては「イスラムの教えに反する」と即座に「離婚するべき」と判断してくれたのです。
やっと事態は一歩進展しましたが、ジョゼを救い出すためにジェシカに精力的に協力してくれていたガンビアからの移民ジャワラとジェシカの間に恋愛感情が育っていました。二人は結婚します。しかし、ジョゼは「マダム」に恋愛感情をずっと持っていたはず、と著者は推測をします。そして、どんな手段を採ってでもアフリカから脱出してヨーロッパを目指そうと決心したのではないか、と。
ジェシカやジョゼとは逆に、著者はヨーロッパからモザンビークを目指します。そこで「ジョゼがぶつかり続けた“壁”」(賄賂社会)を著者も身をもって味わうことになります。「日本人」「優秀なガイド」「情報省の公式の取材許可」という「ガード」があってさえ、それは著者にとんでもない疲労感を与えるものでした。まして、そういった「ガード」が一切無いジョゼがどんな思いをしていたのか、と著者は想像します。
「グローバル化する世界」のはずですが、そこではむき出しの「ローカル」同士がぶつかり合っているのでしょう。平和ボケして真の意味でのグローバル化は遅れきっている日本にいたのではわかりませんが。