【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

偽善の成立要件

2018-10-12 07:33:25 | Weblog

 ネットでは、ちょっと目立つ善行をしたり多額の寄付をした人を指して「偽善者」呼ばわりすることが以前から流行しています。
 ところで「偽善」が成立するためには二つの要件を満足させる必要があります。
1)「その行為」が「善行」である。
2)「その行為を為した人の真意」が「善意ではない」。
 1)は当然の前提で、悪行を指して「偽善」と言うことはできません。悪行は悪行です。つまり「偽善だ」と声高に言う人は、「その行為は善行である」ことは認めた上で2)を主張している(「行為(善行)」と「真意(善意ではない)」のミスマッチを責める)わけです。
 ところで「人の真意」って、そう簡単にわかるものです? 私は「自分の真意」でさえわからないことがあります。まして「他人の真意」なんて、精密な精神分析でもしない限り、わかりはしないだろうという確信ならあります(「そんなことを知ってどうするんだ? それを知りたいあなたの“真意"は?」とも思いますが)。ところが「ネットで他人を偽善者呼ばわりする人」は「会ったこともない他人の真意がわかる」と自認していると言うことに? すごいなあ。超能力者?
 ところで「他人を偽善者だと侮辱する行為」は「善行」ですか?それとも「悪行」? 私は侮辱は悪行だと考えます。ということは「他人を偽善者だと侮辱する人」は「(その真意は不明だが)善行を為した人」を侮辱するという「悪行」を為していることになります(その侮辱の「真意」は不明ですが)。で、「悪行を為す人」は「悪人」です。つまり、行為だけを見る限り、「悪人」が「善行を為した人」を侮辱しているわけ。おやおや、ネットって、不思議な世界ですねえ。

【ただいま読書中】『レオ・アフリカヌスの生涯 ──地中海世界の偉大な旅人』アミン・マアルーフ 著、 服部伸六 訳、 リブロポート、1989年、2400円(税別)

 本書の語り手ハッサンはヘジラ暦894年(西暦1488年12月4日〜89年11月24日)ラマダーンの月にグラナダで生まれましたが、すぐにレコンキスタによって一家は亡命することになりました。本書では、イスラムの敗北は、アルハンブラ宮殿の暗君の責任(不必要な戦争をキリスト教国に仕掛け、内乱も招いたから)とされています。たしかに「レコンキスタ(領土回復運動)」とは「キリスト教徒側の見方」で、「イスラム教徒の見方」はまた別にあるわけです。まずは落城直前のグラナダの状況が、実に詳しく語られます。ハッサンはそのときまだ1歳だったはずですが、これがフィクションの強みでしょう。怯える母親に抱きしめられているだけの子供が「歴史の目撃者」になっているのです。
 亡命者・移住者・難民、どう呼ぶかは自由ですが、8歳のハッサンがたどり着いたのはモロッコのフェズでした。そこで初等教育(コーランの暗誦)を受けて著者は早熟の才能を示します。ニュースも次々やって来ます。グラナダでは最初は信教の自由が宣言されていましたが、まずユダヤ人が迫害され、ついでイスラム教徒にもキリスト教への改宗が強制されるようになったのです。
 ヘジラ暦910年、ハッサンは人生最初の大旅行に出かけます。大使に任命された伯父に随行してサハラを超えトンブクツーを目指します。黒人の世界には多くの王国があり、お互いに争うのですが、国境を越えての拡張は望まない、という傾向がありました。戦争と平和の両立でしょうか?
 9月24日に読書日記に書いた『アルカイダから古文書を守った図書館員』(ジョシュア・ハマー)に、この「ハッサン(=レオ・アフリカヌス)」がこの地が学問で栄えていることに強い印象を得たこと、が描かれていましたが、本書では外交使節としての視点からのトンブクツーが描かれています。
 ポルトガルは、アフリカの諸都市を次々侵略していました。しかしイスラムは一致団結をしようとはしません。内紛にポルトガルをいかに利用するか、が最優先となります。モロッコでスルタンの信頼を得たハッサンですが、その内紛の嵐の中ではその「信頼」は紙のように薄く、すぐに追放を言い渡されてしまいます。新しい「旅」の始まりです。
 殺されかけたり一文無しになったり大金持ちになったり、再訪したトンブクツーでは大火に遭ったり……なんとかたどり着いたカイロでハッサンが出会ったのは悪疫でした。ペストです。それと、コプト教徒にも出会います。一目惚れで結婚をしたくなる女性にも。
 もう、波瀾万丈ですね。
 さらに、勃興するオスマン・トルコがハッサンの運命に強く影響を与えます。ある事情でトルコを避けなければならないはずなのに、運命に強いられてハッサンはトルコに70年前に占領されたコンスタンチノーブルに入ることになります。
 ハッサンが出会う人たちは皆「祖国」に縛られています。国が脅かされている人は守るために奔走しますし、祖国を失った人はその幻影に執着しています。しかしハッサンにはそういった執着がありません。どこにいてもそこで自分のベストを尽くそうとしています。ハッサンは「○○人」ではなくて「旅人」だったのです。
 オスマンとエジプトのマムルーク帝国が衝突、カイロの主人はトルコ皇帝にかわります。そしてハッサンは誘拐され囚われの身になり、ローマへ。ハッサンの“保護者"となったのはローマ法王レオ十世。ハッサンの中でイスラムとキリスト教とが奇妙な化学反応を始めます。しかしローマは苦難の時期を迎えていました。ルーテル派の攻撃が強くなっていたのです。そして、レオ十世の死後、ハッサンに対するキリスト教からの攻撃も強くなります。またも牢屋への幽閉、そして解放。そしてハッサン(というか、この頃には「レオ・アフリカヌス」)は、これまでの旅の記録を「アフリカ記」という本にまとめることを考えますが、同時に「巨大な多国語の辞書編纂プロジェクト」に誘われます。ハッサンの担当は「アラビア語とヘブライ語のラテン語に対応したリスト」の部分です。ローマに「それができる国際人」はハッサンしかいなかったのです。
 オスマン・ローマ・フランスの三つどもえの争いが始まり、「アフリカ記」を書き終えたハッサンは「最後の脱走」を考え始めます。おっと、「本当に最後の脱走」は「死」なのですが。ハッサンの旅はまだ続くのです。