大戦果
ヴェトナム戦争(当時はまだ「ベトナム」と表記されていました)が盛んに新聞で報道されていた頃「アメリカ軍・南ベトナム政府軍の死傷者は○人、ベトコンの死者は××人」などと毎日ニュースになっていました。「××」は必ず「○」の数倍〜100倍で「圧倒的じゃないか、ならどうして戦争が長引くんだ?」と小学生でも不思議に思っていました。
で、何年も戦争は続き、そのうち「ソンミ村」の報道があり、「まさかソンミ村の住民も『ベトコン』に数えられていたのかな?」とある中学生は思いましたっけ。
【ただいま読書中】『ヴェトナム戦争 ソンミ村虐殺の悲劇 ──4時間で消された村』マイケル・ビルトン/ケヴィン・シム 著、 葛谷明美、後藤遥奈、堀井達朗 訳、 藤本博、岩間龍男 監訳、 明石書店、2017年、5800円(税別)
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1968年3月16日、南ヴェトナムのソンミ村に入ったアメリカル師団第11軽歩兵旅団所属チャーリー中隊(ヴェトナムに派遣されてまだ3箇月)は、およそ500人の老人・女性・子どもたちを、整然と4時間で殺害しました。これはポーランドなどで占領した村を徹底的に破壊したナチスを上回る効率的な手口です。
ドイツでは「歴史からの教訓」として「特別な人間だけがなるわけではなくて、誰でも冷酷な虐殺者になれる」ことを記憶し続けようとしました(忘れたがる人も多いようですが)。そしてその教訓は、アメリカには伝わっていなかったようです。そして「アメリカ」は「ソンミ村」から「教訓」を引き出すことを拒絶しました。「せいぜい不愉快な事件」だ、と事件を矮小化し、裁判は政治とイデオロギーの駆け引きの場となります。「責任者」として指揮官だったカリー中尉に有罪宣告(重労働を伴う終身刑)がされましたが、その3日後にニクソン大統領は特赦、3年間を米軍基地の「独身寮」で過ごした後、保釈されています。
笑ってしまいそうになるのは、チャーリー中隊に同行した従軍カメラマンによって撮影された「大戦果」の写真が、「クリーブランド・ブレイン・ディーラー紙」や「ライフ」に公表されたことです。国民がこれに「怒号」を上げるとはニクソン大統領には意外なことでした。そこで「戦争に残酷な行為はつきもの」とか「生命の危険にさらされているアメリカ軍の兵士を責めるのは道徳的に間違っている」とか「チャーリー中隊だけが特殊」とかの主張が次々“目くらまし”としてばらまかれます。そしてそれは実に有効でした。ただ、第二次世界大戦や朝鮮戦争では問題にならなかったことが、ヴェトナム戦争では問題になったことに、「えらい人たち」は動揺や困惑を隠せませんでした。
ところで「アメリカ軍」の本質はこの半世紀で変わったのでしょうか? 変わってないのなら、今も「ソンミ」と同じことを世界のあちこちでやっているのでしょうね。たとえば無人機(ミサイル搭載型のドローン)の操縦者たちは、赤ん坊でも平気で殺しているのかな。目の前でやっているわけではないから、「自分の手は血で汚れてはいない」と罪の意識も持たずに。下手すると「スクリーンの向こうのできごと」とビデオゲーム感覚で。