【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

掃除

2021-11-10 06:49:27 | Weblog

 掃除は「汚れの移動」ですが、「掃除してきれいになった」と喜んでいる“裏"では、移動してきた汚れが集まって寄り汚くなった部分が生じているはずです。

【ただいま読書中】『渋川春海 ──失われた暦を求めて』林淳 著、 山川出版社、2018年、800円(税別)

 古来「暦」は「権力の象徴」でした。暦は「天の動き」から作られますが、「暦」はつまり「天」と「時間」が合わさったもの、つまり時空間、つまり世界のすべてを示しているもので、それを管理する人間が中国では「天子」です。ところが暦に書いてある「月食」や「日食」の日付が間違っていたら、それは誰にでもわかることになり、天子はその資格を失います。ところが昔の暦はけっこう不正確だったんですよね。これでは権力者の面目が潰れます。そのため「正確な暦」を求めての改訂作業が、近世の東アジアでは中国・朝鮮・日本で行われていました。本来“宗主国"の暦をありがたく受容すれば良いはずですが、「中国の属国」を嫌がる風潮も生まれていたのです。
 渋川春海の父安井算哲は囲碁が得意で、囲碁を愛した徳川家康に認められて碁方(本因坊、中村、安井、林の四家)となります。息子の春海は、囲碁よりも天文暦学の方が好きで、そこに目をつけた“名君"保科正之は改暦作業の責任者に渋川春海を抜擢しました。春海は複雑な計算式を立て、月食や日食が起きるか起きないかを5回連続で当てます(従来の宣明暦は5回連続で外しました)。ところが6回目で春海は外し、宣明暦は当てます。すると大老は「春海の負け」を宣言しました。どうも幕府のエラい人は「一勝五敗」の方が「五勝一敗」よりも「強い」と思っていたようです。あるいは「新しい奴は100%当てなければダメ。古く権威があるものは1回でも当てればOK」だったのかもしれません。しかし春海は諦めません。自分が基盤を置く中国の暦には「日本との緯度経度の違い」が入っていません。だから「日本での観測結果」をもとにして計算をし直すべきだ、と考えたのです。
 1683年(天和三年)徳川光圀は春海に命じて天球図を作成させ、綱吉に献上しました。その時に光圀から改暦の話が持ち出されたようです。春海は「現状の暦には、11月に月食」と書かれているが、自分の計算では起きない』と主張。この予想は当たり、幕府では改暦の話が再燃します。話は朝廷にも伝わります。本来「暦」は天皇の直轄事項ですから。プロジェクトの責任者として春海は上京しますが、ここで朝廷と幕府の複雑な折衝(足の引っ張り合い)が始まります。「どの暦が正確か」ではなくて「おれとお前と、どちらがエラいか」の権力闘争です。
 この後春海は碁方を免ぜられ、天文方専任となります。その春海を批判する勢力は「たった一人で開発している」「新暦は中国と違う」「日本に災害が多いのは新しい暦のせいだ」などと悪口を言いまくります。「暦が正しい」ことはどーでも良いことのようです。もっとも「中国では豊作だが日本は凶作なのは、中国とは違う暦のせい」と言いがかりをつけていた人たち(主に儒者)は、しばらくして中国で大凶作が発生するとなぜか黙ってしまったそうです。
 江戸時代にも「科学」はあった、というのが新鮮な驚きでした。同時に、江戸時代にもエセ科学者もいた、というところも面白い。今とあまり変わりませんね。