フクシマの原発事故の後、体内被曝を心配する声に対して政府は「大丈夫だから、調査をする必要はない」と繰り返していました。私にはそれは「逆」に見えました。「調査をしたら大丈夫とわかった」ではないか、と。あるいは「チェルノブイリ」を引き合いに出して「甲状腺癌などは心配ない」と言う人もいました。私にはそれは理解できませんでした。チェルノブイリはチェルノブイリ、フクシマはフクシマ、調査しなければ両者が違うか同じかの断言はできないだろう、それがどうして調べないで断言できるのだろう、と思ったのです。さらに有志が甲状腺を調査して異常を見つけると「そういった調査をしなければ見つからなかった(フクシマとは無関係に存在していた)ものだから、心配ない」と言う人もいました。これも不思議な言い分です。それを言うためには「フクシマ」でスクリーニングするのと同時に遠い他の地域でも同じスクリーニングをして、その比較をしなければそんなことは言えないはずですから。
1年半前に「新型コロナのPCR検査なんかしなくてよい」と強く主張する人がたくさんいましたが、フクシマといい新型コロナといい「調べる必要はない(=調べなくてもわかっている)」と主張する理由は、何なのだろう、と私は今でも不思議に思っています。そちらも詳しく調べてみたいなあ。
【ただいま読書中】『宝くじの文化史 ──ギャンブルが変えた世界史』ゲイリー・ヒックス 著、 高橋知子 訳、 原書房、2011年、2400円(税別)
「くじ」は文明とともにありました。たとえば古代ギリシアのアテナイでは、最高会議の500人評議会のメンバーや官僚、裁判の陪審員、死刑執行人までもがくじによって選ばれていました。これは権力を腐敗させず民主制を維持するために優れた制度、とアテナイでは考えられていました。古代ギリシアでは神託にもくじが用いられていました(有名なデルフォイの神託では、ソラマメのくじが使われていました)。そういえば日本でも足利将軍を選ぶのにくじが用いられたことがありますね(六代将軍義教です。そのくじが「阿弥陀くじ」だという説もあります)。
古代ローマでは「神託のくじ」が大衆化します。ローマの初代皇帝アウグストゥスは迷信深くくじを深く信じていました。そして、戦乱で疲弊したローマを再建するための資金集めにも、くじを活用しました。公営宝くじです。
ローマ数字で発行できるくじ券には、実用的な限界があります。数百枚以上は発行しづらいのです。アラビア数字(特に「ゼロの概念」)の導入が、宝くじを大きく変えました。さらに、15世紀半ばにヨーロッパに登場した持ち運び可能な印刷機によって、宝くじの発行枚数は飛躍的に増えます。この頃のベルギー・オランダ・ルクセンブルグあたりでは、慈善事業や公共事業のために大々的な宝くじが発行されました。
イギリス最初の公営宝くじは、1568年エリザベス一世が荒廃した港の改修費用捻出を目的として発行させました。ところが当選確率が1万6000分の1を嫌った人々はくじを買い控え、女王は当惑させられました。発売期間は勅令によって延期に次ぐ延期、抽選には4箇月もかかる、というドタバタです。結局イギリスでは宝くじは「為政者が避けるべきもの」になってしまいました。それを変えたのが、新大陸です。初期の入植地ジェームズタウンは疫病と飢饉と現地のアルゴンキン族との紛争で、全滅の危機にありました。それを救おうとイギリスで宝くじが構想されたのです。その利益で、植民地を運営するヴァージニア社は破産の危機から救われ、ジェームズタウン経営は軌道に乗りました。『ローマ亡き後の地中海世界』でも取り上げられていた「イスラム海賊に拉致されて奴隷となったヨーロッパ人」を奪還するための宝くじもありました。
ジャコモ・カザノヴァは女性遍歴で知られていますが、フランス国営宝くじ創設を支援したことでも知られているそうです。宝くじはフランス国民に愛されるイベントになり、その管理者に就任していたカザノヴァは(一時的にですが)富豪になりました。すぐにすべてを失うことになるのですが。
宝くじには、賛成論者もいれば反対論者もいました。違法な宝くじを運営する人たちは、現代だったら麻薬の売人のような行動をします。詐欺も横行。実は現代社会でも、宝くじを使った、あるいはそのシステムを応用した詐欺的商法が横行しているのだそうです。うまい話には、注意が必要です。