【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

想像力や創造性

2019-11-01 07:29:14 | Weblog

 「問題を解くこと」も重要だが、「問題を立てること」はもっと重要だ、と聞いたことがあります。すると、AIがいくら将棋が強くなっても、「将棋を越えるもっと面白いゲーム」を創造できない限り、人がAIをそこまで怖れる必要はないのかもしれません。
 ちなみに将棋のプロ棋士羽生さんは「AIが将棋の必勝手順を解明してしまったら、将棋は終わりでは?」と問われたとき「ルールを1つ変えれば良いんです。そうすれば全く違うゲームになります」とさらっと答えています。

【ただいま読書中】『ドキュメント 電王戦 ──その時、人は何を考えたのか』夢枕獏 他 著、 徳間書店、2013年、1600円(税別)

 『われ敗れたり ──コンピュータ棋戦のすべてを語る』の“続き"です。
 2012年に第1回電王戦を孤独に戦った米長会長は、敗戦直後の会議で翌年の第2回電王戦のコンセプトを固めました。コンピューターソフト5つと人間の棋士5人の対決です。米長さんは12年末に亡くなりましたが、その“置き土産"は13年3月〜4月の「五対五」の勝負として結実したのです。
 格闘技や将棋を題材にした小説を書く夢枕獏さんは「人間を応援するのは当然だ」と思っていましたが、現場に行って、コンピューター側の人間が正装をしていることに感銘を受けます。対局者と同じように心の準備をしている姿を見て、「人間対コンピューター」ではなくて「人間対人間」なんだ、と感じたのです。
 「勝敗の結果」だけを見たら「人間側の、1勝3敗1分け」とシンプルです。だけど、それぞれの対局者(人間の棋士、開発者)にそれぞれの“物語"があります。「棋譜」だけみたら、そういった物語は見えません。
 開発者もいろいろです。勝負にこだわって、「対コンピューター戦略」の対抗策をあらかじめソフトに仕込んでおいたり、対局の最中に設定を変えた人もいます。これって「純粋なコンピューターソフトの実力」で勝負していることになるのかな? そうではなくて、「将棋」を1つの題材として、技術力を上げるために注力している人もいます。
 電王戦は社会にも影響を与えました。それまで将棋に関心がなかった人たちの一部が、「なんだか面白そう」と興味を持つようになったのです。昭和の時代に将棋を覚えた私から見たら、これはもう「SFの世界」の話です。人間がコンピューターに“負ける"のはあまり感情的には嬉しくありませんが、それによって人の自己認識や社会のあり方が豊かになるのだったら、それもあり、と思っています。




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