瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

世界に最も影響を与えた日本語は禅?

2024年06月20日 | 瞑想日記
また、このブログを頻繁に更新したい気持ちになってきた。それが自分自身への刺激になり、最近すっかりご無沙汰している瞑想の再開への意欲につながるのではないかと思う。

この1・2年、とくに力を入れている活動にユーチューブがある。英語で発信していたのだが、あまり再生数は伸びなかった。国籍を日本とデータ入力しているので、AIの判断で日本人中心に配信されるのが理由らしい。英語で発信される動画を日本人が見ることはほとんどないだろうからだ。それで、日本語で発信し始めると、急に再生数が伸び始めた。なかでも伸びたのは、これで6万9千回の再生数だった。

『日本だけに起きた奇跡・アメリカ人研究者はこう見た (銃と剣をめぐって)』

これは特別だが、それでも日本語で作った動画の方が平均すると英語でのより10倍は再生数が多い。ただ、いちばん最近作った次の動画は、日本語なのに再生数が伸びない。

『世界に最も影響を与えた日本語ーアニメでもマンガでもサムライでもない』

世界に最も影響を与えた日本語は禅だというのが私の答えだ。そう言える理由を私なりに説明した。現代日本で禅は、忘れかけられた伝統だが、世界では欧米の世界観・価値観をくつがえすような革新的な影響力をもって迎えられた。その意味に注目することで、逆に日本人が、自分たちの伝統の中にあるものの価値を再発見することもあるだろう。

私のユーチューブチャンネルのコンテンツそのものも徐々に精神世界にかかわる内容のものを増やして行きたいと思っている。
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無意識的なおしゃべりに気づく

2022年11月29日 | 瞑想日記

写真は、11月19日に皇居外苑にて撮影

瞑想の段階

自分のブログのアクセス解析を見ていたら、私が2006年2月書いたこのタイトルの記事にアクセスがあったことが分かった。どなたかが、検索エンジンを通して訪れたのだろうか。16年も前に書いた自分の文章、もちろんこんな記事を書いたことを全く覚えていなかったが、読んでみると、こんなことを書いていたのかと、新鮮な気持ちで読めた。

「瞑想の修行を始めて最初に気が付くのは、自分の心が、ということは自分の人生というものが、ほとんど無意識的なおしゃべりで占められているということである。‥‥いずれにしろ、瞑想の初期においては、瞑想の経験はまるで映画のようである。あなたはすわって、いろいろな幻想や概念的な思考やらが、眼の前を、意識の前を通り過ぎていくのを見ている。しかしすべてのポイントは、これらに気が付いている、ということである。

‥‥こうして公平に、すべての思考、幻想、観念、イメージをじっと見つめていると、あなたは次第にそうした思考やらイメージやらの無意識的な影響から解放されていく。あなたはそれを見ている。‥‥あなたは、そうした思考やら観念やらイメージに頼っている分離した自己感覚から、解放されていく。言い換えれば、あなたはエゴから自由になっていく。これがスピリチュアルな次元の初めの段階であり、そこでは慣習となっているエゴは「死」に、高次の意識が「復活」(再生)する。」240(「瞑想の段階」より)

これは、K・ウィルバーの『存在することのシンプルな感覚』からの引用だが、表現の的確さに驚く。そして自分がいまだに「無意識的なおしゃべり」から解放されていないことにも驚く。ただ、日常生活のなかで自分の「無意識的なおしゃべり」に気づく度合いは、少しは多くなっているかなとも感じる。瞑想する時間が少なかったり、ほとんどしなかったりの時でも、歩いたり雑用したりしている時に、つねにこの内的なおしゃべりに気づこうと意識することはできる。その意味でこのウィルバーの文章は、とても刺激的だった。

この引用のあとに自分なりの考察をしているのだが、それもまた刺激的であった。こうして過去に自分が書いたものをきっかけに文章を綴ること自体、なにか新鮮で楽しい。今後もやってみたい。



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ニューエイジをめぐる対話

2019年06月02日 | 瞑想日記
2001年1月07日から2001年7月22日まで、パラトラパ雅さんとNOBORUとの間でニューエイジをめぐる対話を行った。この対話は、もともとYahoo!掲示板>科学>オルタナティブ>精神世界フォーラムで行われたものである。
 それで、当時の対話の形をできるだけ残しつつ、しかも重複する部分などを整理しつつ、二人が対座して対話しているような形をとって、ここに再録する。
パラトパラ雅さんは、本人にお断りしていないので本名は伏せるが、四国のある県の国立大学の先生である。
 
目次
はじまり
対話(1)権威主義をめぐって(1)
対話(2)権威主義をめぐって(2)
対話(3)前世療法をめぐって(1)
対話(4)前世療法をめぐって(2)
対話(5)『カルト資本主義』をめぐって
対話(6)新霊性運動の捉え方
対話(7)「新霊性運動」の歴史的な意味
 はじまり
NOBORU:
  パラトラパ雅さん、こんにちは。 そちらのサイトに元旦に書かれた「新世紀のメッセージ」:「心と魂のニューパラダイムの創生に向けて」、読ませていただきました。 精神世界、ニューエイジにかかわる大切な問いかけを含む内容に、感銘を受ました。少しでも多くの方に読んでいただきたいですね。( http://homepage1.nifty.com/paratorapa/ 現在こののページはは存在しない。 )
 読んでまず、感じたのは、精神世界・ニューエイジ運動に係わる者として、この運動を内側から批判的に吟味したり、自省したりすることの大切さでした。 私の印象でも、精神世界・ニューエイジ系の掲示板などで、自らの立場をその思考の前提にまで溯って、批判的に吟味する姿勢というのは、それほと多くないと感じます。 瞑想や修行など体験から得るものは非常に大切ですが、一方で歴史や時代をしっかり捉える眼を失わず、知的な思考や学びの大切さも忘れずに、自分がかかわる潮流をチェックし続ける姿勢も同じように大切だと思います。 パラトラパさのメッセージは、それを呼びかけていると思います。
paratorapa:
 ありがとうございます。 それぞれが各自のやり方で霊性の向上をめざしていくのがニューエイジの個の感覚を重んじるスタイルといえるでしょう。 しかし,自分の中にばかり入り込んでしまったり,自己愛ばかりが増長して,他者との交流,共感,共有がおろそかになってしまっては元も子もありません。 また,仲間内だけで凝り固まって,自分たちだけが真実に迫っている,特別な存在なのだと思うようになっても,逆に社会的孤立を深めるだけでしょう。
  最初は個人の信念だったものが,大勢の人々に共有され,それが社会のシステムの中に定着していくプロセスでは,多くの摩擦や葛藤も起こるように思います。その中で淘汰され,消えていくものも出てくることでしょう。 この運動が共有され,定着していくためには,倫理やモラルという社会的,集合的な基準の確立抜きには語れない部分もあるように感じます。自己責任と社会的責任の両方が問われているのではないでしょうか?
NOBORU:
  パラトラパ雅さんの新世紀のメッセージや、サイババ問題などに関連して 「私にとってのニューエイジ」ということを考えています。 「ニューエイジ」と一言でいっても、固定的な定義付けなど不可能でしょう。 私は、ニューエイジ・ムーブメントという言葉は出来るだけ広くとっておいた方がいいと感じています。
  19世紀西欧のスピリチュアリズムや東洋の神秘的伝統などの影響を受けながら、 組織化された宗教よりも個人の直接的な霊的な覚醒を大切にする、 広く大衆化された運動ぐらい感じで。 もっと簡単に言えば、伝統宗教や組織にしばられない大衆化された霊的・精神的な関心の広がり、 ぐらいの感じでしょうか。
 こうした関心の広がりや動きそのものは、非常に重要であり、 未来を開く可能性をはらんでいると思っていますし、 私自身そのことを大変好ましく思っています。
  また、個々人が自由に自己を探求しようとする特徴があるので、 そこに含まれる考え方や修行の形態には様々なものがあって、 本当に幅広い裾野をもっていると思います。 しかし、だからこそ逆に、疑問視せざるを得ない考え方や運動もこの流れの中に混ざってきて、 時に大きな影響を与えることがあると思うのです。 そんな潮流の中で私たちがすべきことはなんでしょうか。
 私も「伝統宗教や組織にしばられず、かつ大衆的に広がる霊的・精神的な関心」の中に身をおいています。そうした潮流をニューエイジ・ムーブメントと考えていいと思います。 現代の行き過ぎた科学主義や物質主義を打開していくために、こうした関心がさらに広がっていくことは、とても大切ななことだと思います。 しかし、それが大衆化すればするほど、自分が間違った方向に進んでいないかどうか、ひとりひとりが絶えずチェックしていくことが重要になると思うのです。サイババ問題は、そうした内なる問いかけのよい機会を与えてくれたと思っています。
  ではどんな問いかけをして行けばいいのか。私が、自分自身で行っていきたいと思っているのは以下のようなことです。
1)内実を伴わない権威主義的な傾向に陥っていないか。
2)実証的に確認していくという姿勢を失っていないか。
3)すべてに対して開かれた在り方を失っていないか。
4)個としても集団としても自己肥大化するエゴイズムに陥っていないか。
  いま考えられるのは、こんなところです。ただ、現実には自分や、属する集団がこうした傾向に陥っていないかどうかを確認するのはかなり難しいのかもしれません。人間は自分を守るためにいくらでも「自己正当化」してしまうものだからです。
 
★このあと、「では、この四点をめぐって対話をしていかないか」との
パラパトラ雅さんからのお誘いがあり、
私(NOBORU)も願ってもないこと快諾し、対話が始まった。

対話(1)権威主義をめぐって(1)へ
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『霊性への旅』の目次(内容一覧)

2019年06月02日 | 瞑想日記
前回書いたように『臨死体験・気功・瞑想』というサイトが閲覧停止になったのに応じ、その内容を新たに作った

霊性への旅

というサイトに移し替える作業をはじめ、8割ほどが終了した。

以下にその目次(内容一覧)示す。順次この場で記事についての紹介をしていく予定である。

ニューエイジ対話

論文集(精神世界や宗教関連)

瞑想世界の旅

臨死体験の世界

気の世界の旅

覚醒・至高体験事例集
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ちょっと書いてみたくなりました。

2017年04月22日 | 瞑想日記
何と2年近くも更新していなかったこのブログ、自分で最後に覗いたのもいつだったか忘れた。久しぶりに立ち寄って、急に何か書いて見る気になった。何から書けばいいのか。ともあれ元気で仕事も続けている。一昨年度までは高校の非常勤講師が中心であったが、昨年度からは短大の講師オンリーになった。週に三日、英語を中心に教壇にたっている。瞑想からは遠ざかっているが、こうしてこのブログに書き込むきになったのは、私の中の何かが瞑想や精神世界の方向に動いたのかもしれない。

短大で英語を教えるようになって、学生に英語での発信を勧める意味もあって、自分でも英語のツイッターを始めた。本格に始めたのは一昨年の5月ごろだったと思う。写真を載せて東京や日本を紹介している。写真を取りにあちこちに出かけるのがいい運動にもなり、それを英語で発信するのが楽しみにもなっている。これに私の最近の生活の一端は表現されていると思う。



私の現在の生活の中で、精神世界にかかわる大切な要素は、古くからの親友との語らいである。この友人との交友が、ここ6・7年の私の人生の方向に大きくかかわっている。今の私の仕事も、彼との縁で、彼の勤める短大でのものだ。だから毎週のように彼とは飲みながら話している。彼が取り組む研究に協力しているのでその関係の話も多いが、精神世界関係の話も多い。彼自身が、きわめてスピリチュアルな人間なので、彼との語らいの中でスピリチュアルな面で大きな影響を受けたり、刺激をうけたりしている。

今日はこれぐらいにしておこう。しかし、今日このブログに書き込んだことで私のなかに何か気持ちの変化が起こり、またこのブログに書きたいとおもうことがあるかもしれない。
コメント (2)
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