★ドイツ人巨匠が日本のサービスや清潔さに刺激されて傑作映画を!
昨年12月22日に日本でも公開が始まった『Perfect Days』を見てきました。監督のヴィム・ヴェンダース (Wim Wenders)は、数々の受賞歴に輝くドイツ人巨匠です。1982年の『ことの次第』が、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞。1984年の『パリ、テキサス』がカンヌ国際映画祭にてパルム・ドールを受賞。1987年、『ベルリン・天使の詩』ではカンヌ国際映画祭にて監督賞を受賞などです。そして『Perfect Days』は、2023年第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、役所広司が最優秀男優賞を受賞しました。
この監督が、東京を舞台に清掃作業員の平凡な日々を描いた『Perfect Days』を作ることになったのは、次のようないきさつによります。元々この映画は渋谷区内17箇所の公共トイレを新しいユニークなものに作り変えるプロジェクト「ザ・東京トイレット」のPRのために企画され、そこにドイツの映画界の巨匠ヴィム・ヴェンダース監督を迎えて作られたのです。当初は短いアート作品の製作を考えていたようですが、監督は、日本滞在時に受けたサービスや公共の場所の清潔さに感銘を受け、それを長編作品として再構想したというのです。
ヴェンダース監督が、日本で感銘を受けたサービスの質や公共の場の清潔さは、『Perfect Days』という映画の内容とどのようにつながるのでしょうか。まずこの映画の内容に触れたうえで、最後にこの問いに答えたいと思いすので、少しお付き合いください。
この映画のなかで役所広司が演じる平山という中年の男性は、スカイツリーが近くに見える押上の安アパートに一人で住んでいます。そして毎朝薄暗いうちに起き、ワゴン車を運転して仕事場へ向かいます。行き先は渋谷区内にある公衆トイレ。「The Tokyo Toilet」のプロジェクトで作られたユニークなトイレを次々と回り、隅々まで心を込めて磨き上げてゆくのです。
主人公の平山は、何かしらの過去があり、現在の孤独な生活に至りついたらしいことが暗示されますが、それが何であるかは語られません。彼はただひたすらに自分の仕事に打ち込みます。しかも、つねに何か満ち足りた表情をしています。それはまるで、禅の僧侶が、禅寺の中の雑務に修行として打ち込んでいる姿のようです。
それもそのはず、ヴェンダース監督は当初、平山に僧侶のイメージをだぶらせていたということです。しかし、過去に平山が僧侶だったというわけではなく、むしろ熱心なビジネスマンでありながら、心の中に虚しさを抱えているような男を想定しているようです。その虚しさが極限までに至ったとき、彼はこれまでの生き方をすべて捨て、トイレの清掃作業員として働くことを選ぶのです。
彼は、日々の生活の中で出会う木々を愛します。とくに昼休みに、樹木に囲まれた神社で見る木漏れ日の美しさを愛します。一瞬一瞬の木漏れ日の美しさは、彼がひたすらにトイレの清掃に励む姿と重なります。木漏れ日の一瞬一瞬の輝きの連続のような、トイレ掃除の日々。その姿が、禅寺でひたすらに座禅し、薪を割ったり、庭や廊下を掃除したりする僧侶の姿とも重なるのです。
ひたすらに座禅をする、それは只管打坐とも言われます。只管はひたすらとも読むのです。ひたすらに、只管に掃除をする平山の一瞬一瞬の充実。すべてを忘れて、自分の目の前の仕事にひたすらに、只管に打ち込む、それがそのまま悟りの姿なのだと仏教は教えます。それを意味するのが「修証一如」という言葉です。もっとも、平山自身はこんな言葉は知らないでしょう。ほとんどの日本人が、こうした言葉を歴史の背後に忘れ去っています。ただ、ビジネスマンとしての経歴を捨てて、一介の清掃作業員になったときに平山は、木漏れ日のように一瞬一瞬の輝きに生きることの充実を知ったのです。
そんな彼の、平凡ながら満ち足りた日々に、かすかな波風がたつこともあります。あまり仕事に熱心でない若い同僚の清掃員、そしてそのガールフレンドとのちょっとしたかかわり等々。
★以下は次の動画で御覧ください⇒ドイツ人巨匠が日本のサービスや清潔さに刺激されて傑作映画を!
昨年12月22日に日本でも公開が始まった『Perfect Days』を見てきました。監督のヴィム・ヴェンダース (Wim Wenders)は、数々の受賞歴に輝くドイツ人巨匠です。1982年の『ことの次第』が、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞。1984年の『パリ、テキサス』がカンヌ国際映画祭にてパルム・ドールを受賞。1987年、『ベルリン・天使の詩』ではカンヌ国際映画祭にて監督賞を受賞などです。そして『Perfect Days』は、2023年第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、役所広司が最優秀男優賞を受賞しました。
この監督が、東京を舞台に清掃作業員の平凡な日々を描いた『Perfect Days』を作ることになったのは、次のようないきさつによります。元々この映画は渋谷区内17箇所の公共トイレを新しいユニークなものに作り変えるプロジェクト「ザ・東京トイレット」のPRのために企画され、そこにドイツの映画界の巨匠ヴィム・ヴェンダース監督を迎えて作られたのです。当初は短いアート作品の製作を考えていたようですが、監督は、日本滞在時に受けたサービスや公共の場所の清潔さに感銘を受け、それを長編作品として再構想したというのです。
ヴェンダース監督が、日本で感銘を受けたサービスの質や公共の場の清潔さは、『Perfect Days』という映画の内容とどのようにつながるのでしょうか。まずこの映画の内容に触れたうえで、最後にこの問いに答えたいと思いすので、少しお付き合いください。
この映画のなかで役所広司が演じる平山という中年の男性は、スカイツリーが近くに見える押上の安アパートに一人で住んでいます。そして毎朝薄暗いうちに起き、ワゴン車を運転して仕事場へ向かいます。行き先は渋谷区内にある公衆トイレ。「The Tokyo Toilet」のプロジェクトで作られたユニークなトイレを次々と回り、隅々まで心を込めて磨き上げてゆくのです。
主人公の平山は、何かしらの過去があり、現在の孤独な生活に至りついたらしいことが暗示されますが、それが何であるかは語られません。彼はただひたすらに自分の仕事に打ち込みます。しかも、つねに何か満ち足りた表情をしています。それはまるで、禅の僧侶が、禅寺の中の雑務に修行として打ち込んでいる姿のようです。
それもそのはず、ヴェンダース監督は当初、平山に僧侶のイメージをだぶらせていたということです。しかし、過去に平山が僧侶だったというわけではなく、むしろ熱心なビジネスマンでありながら、心の中に虚しさを抱えているような男を想定しているようです。その虚しさが極限までに至ったとき、彼はこれまでの生き方をすべて捨て、トイレの清掃作業員として働くことを選ぶのです。
彼は、日々の生活の中で出会う木々を愛します。とくに昼休みに、樹木に囲まれた神社で見る木漏れ日の美しさを愛します。一瞬一瞬の木漏れ日の美しさは、彼がひたすらにトイレの清掃に励む姿と重なります。木漏れ日の一瞬一瞬の輝きの連続のような、トイレ掃除の日々。その姿が、禅寺でひたすらに座禅し、薪を割ったり、庭や廊下を掃除したりする僧侶の姿とも重なるのです。
ひたすらに座禅をする、それは只管打坐とも言われます。只管はひたすらとも読むのです。ひたすらに、只管に掃除をする平山の一瞬一瞬の充実。すべてを忘れて、自分の目の前の仕事にひたすらに、只管に打ち込む、それがそのまま悟りの姿なのだと仏教は教えます。それを意味するのが「修証一如」という言葉です。もっとも、平山自身はこんな言葉は知らないでしょう。ほとんどの日本人が、こうした言葉を歴史の背後に忘れ去っています。ただ、ビジネスマンとしての経歴を捨てて、一介の清掃作業員になったときに平山は、木漏れ日のように一瞬一瞬の輝きに生きることの充実を知ったのです。
そんな彼の、平凡ながら満ち足りた日々に、かすかな波風がたつこともあります。あまり仕事に熱心でない若い同僚の清掃員、そしてそのガールフレンドとのちょっとしたかかわり等々。
★以下は次の動画で御覧ください⇒ドイツ人巨匠が日本のサービスや清潔さに刺激されて傑作映画を!