瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

75歳 後期高齢者・なお伸び続ける英語勉強法

2025年01月15日 | 普通の日記
私のYouTube動画の中で、比較的再生回数が多かったものに英語学習に関する話題の扱った次の二つがある。

★『75歳 後期高齢者・なお伸び続ける英語勉強法

★『75歳・なぜ私はこうも熱心に英語を学び続けるのか?インターネット最大限活用法

これらの動画のコメント欄を見ると、私の同世代の人々で英語やその他の語学を熱心に学び続けている人々がかなり多いのがわかる。私の動画を見て勇気づけられたという内容のコメントもかなりあった。

これらの動画の中でも語ったが、毎日オンラインで海外の人々と会話を楽しむことが私にとって大切な時間となっている。最近はとくにオンラインでの日本語教室に力を入れている。ボランティアの教師として日本語を教えることが良い脳の刺激となっている。

そのメリットをまとめるとだいたい次のようになる。

第一に、説明を英語ですることが多いので、私にとっては英語を使う時間が増し、自分の英会話力のアップにかなり役立ちます。
第二に、とは言っても日本語教室なので、挨拶や気候の話などは日本語でした方が生徒も喜ぶし、その分私も気が楽です。英語しか使えないときより緊張度が低いのです。
第三に、様々な国の人々と話すことでその国への関心も深まり、現地ならではの貴重な情報を直接もらうこともできます。たとえばイスラエルの男性からは、そこで生活している人ならではの生の声が聞けて楽しかったです。
第四に、75歳にもなると社会生活の範囲が次第に狭まり、その分会話の機会も減りますが、オンラインで日本語レッスンをしていれば、毎日世界中の人と話すわけで、これは脳にとっても最高の刺激となります。女性二人はまだ20代で、日本のポップカルチャーに関心が深いので、話を合わせるため私も評判になったアニメは極力見るようにしています。ロシア人女性は日本の歌手ADOの大ファンなので、私も聴いてみることにしまた。
第五に、ボランティアでやることの意味ですが、お金をもらわない分、それほど責任を感じずに、楽しんでできるということです。ストレスも感じないで出来ます。上に挙げた四つのメリットだけでも十分に報われていると感じています。

世界中で日本語学習者の数は確実に増えている。だから日本語を教えると募集すれば生徒を見つけるのは容易だ。私の場合も数日で16人の応募があった。日本語だけを使って日本語を教える方法でも、学びたい生徒は多いのではなだろうか。
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ドイツ人巨匠が日本のサービスや清潔さに刺激されて傑作映画を! 役所広司主演『Perfect Days』

2024年01月28日 | 普通の日記
ドイツ人巨匠が日本のサービスや清潔さに刺激されて傑作映画を!
昨年12月22日に日本でも公開が始まった『Perfect Days』を見てきました。監督のヴィム・ヴェンダース (Wim Wenders)は、数々の受賞歴に輝くドイツ人巨匠です。1982年の『ことの次第』が、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞。1984年の『パリ、テキサス』がカンヌ国際映画祭にてパルム・ドールを受賞。1987年、『ベルリン・天使の詩』ではカンヌ国際映画祭にて監督賞を受賞などです。そして『Perfect Days』は、2023年第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、役所広司が最優秀男優賞を受賞しました。

この監督が、東京を舞台に清掃作業員の平凡な日々を描いた『Perfect Days』を作ることになったのは、次のようないきさつによります。元々この映画は渋谷区内17箇所の公共トイレを新しいユニークなものに作り変えるプロジェクト「ザ・東京トイレット」のPRのために企画され、そこにドイツの映画界の巨匠ヴィム・ヴェンダース監督を迎えて作られたのです。当初は短いアート作品の製作を考えていたようですが、監督は、日本滞在時に受けたサービスや公共の場所の清潔さに感銘を受け、それを長編作品として再構想したというのです。

ヴェンダース監督が、日本で感銘を受けたサービスの質や公共の場の清潔さは、『Perfect Days』という映画の内容とどのようにつながるのでしょうか。まずこの映画の内容に触れたうえで、最後にこの問いに答えたいと思いすので、少しお付き合いください。

この映画のなかで役所広司が演じる平山という中年の男性は、スカイツリーが近くに見える押上の安アパートに一人で住んでいます。そして毎朝薄暗いうちに起き、ワゴン車を運転して仕事場へ向かいます。行き先は渋谷区内にある公衆トイレ。「The Tokyo Toilet」のプロジェクトで作られたユニークなトイレを次々と回り、隅々まで心を込めて磨き上げてゆくのです。

主人公の平山は、何かしらの過去があり、現在の孤独な生活に至りついたらしいことが暗示されますが、それが何であるかは語られません。彼はただひたすらに自分の仕事に打ち込みます。しかも、つねに何か満ち足りた表情をしています。それはまるで、禅の僧侶が、禅寺の中の雑務に修行として打ち込んでいる姿のようです。

それもそのはず、ヴェンダース監督は当初、平山に僧侶のイメージをだぶらせていたということです。しかし、過去に平山が僧侶だったというわけではなく、むしろ熱心なビジネスマンでありながら、心の中に虚しさを抱えているような男を想定しているようです。その虚しさが極限までに至ったとき、彼はこれまでの生き方をすべて捨て、トイレの清掃作業員として働くことを選ぶのです。

彼は、日々の生活の中で出会う木々を愛します。とくに昼休みに、樹木に囲まれた神社で見る木漏れ日の美しさを愛します。一瞬一瞬の木漏れ日の美しさは、彼がひたすらにトイレの清掃に励む姿と重なります。木漏れ日の一瞬一瞬の輝きの連続のような、トイレ掃除の日々。その姿が、禅寺でひたすらに座禅し、薪を割ったり、庭や廊下を掃除したりする僧侶の姿とも重なるのです。

ひたすらに座禅をする、それは只管打坐とも言われます。只管はひたすらとも読むのです。ひたすらに、只管に掃除をする平山の一瞬一瞬の充実。すべてを忘れて、自分の目の前の仕事にひたすらに、只管に打ち込む、それがそのまま悟りの姿なのだと仏教は教えます。それを意味するのが「修証一如」という言葉です。もっとも、平山自身はこんな言葉は知らないでしょう。ほとんどの日本人が、こうした言葉を歴史の背後に忘れ去っています。ただ、ビジネスマンとしての経歴を捨てて、一介の清掃作業員になったときに平山は、木漏れ日のように一瞬一瞬の輝きに生きることの充実を知ったのです。

そんな彼の、平凡ながら満ち足りた日々に、かすかな波風がたつこともあります。あまり仕事に熱心でない若い同僚の清掃員、そしてそのガールフレンドとのちょっとしたかかわり等々。

★以下は次の動画で御覧ください⇒ドイツ人巨匠が日本のサービスや清潔さに刺激されて傑作映画を!
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なぜ日本にキリスト教徒は少ないのか、海外からの厳しい反論

2022年02月19日 | 普通の日記
最近、このブログでの発信はほとんどしなくなっていたが、今はTwitterYouTubeチャンネルで世界に向けて発信するようになっている。YouTubeの方は、今まで実験的に、日本の寺社や観光地などを紹介する動画を作っていたが、徐々に日本文化ユニークさに切り込む動画も作成していくつもりである。

最近は、「日本はなぜキリスト教徒が少ない?――「もののけ姫」が語らなかったこと」”Why are there so few Christians in Japan? -What “Princess Mononoke” didn’t say.”という動画を作った。日本語の字幕も作ったのでぜひご覧ください。
 
なぜ日本にはキリスト教徒がこれほど少ないのか。その理由を縄文文化との関係や日本文化の母性原理との関係で簡潔にまとめました。縄文文化といっても外国の人びとには馴染みのないと思われるので、『もののけ姫』のストーリーに触れ、縄文文化への導入としました。

この動画での、私の主張の論点は、曖昧さの中にすべてを飲み込むような、縄文時代以来の日本文化の母性原理的な特性が、父性原理的で唯一神以外は受け入れない、排除的な宗教とは相いれないというものでした。

私の主張に対して二人の外国の人が反論してきました。私のFacebookアカウントで、この動画を紹介したので、そこでの反論です。その論点を簡単に紹介します。最初の反論は、以下のようなものです。

~~~なぜ日本にクリスチャンが少ないのかという質問に対する答えは、哲学的というよりも歴史的なものです。 キリスト教が(布教に)「失敗」したと言うことは、満州が単なる「事件」であったと言うようなものです。
1500年代半ばから始まって、過度に単純化するリスクを冒して、日本はキリスト教の世紀を迎え、信者の人口は増え続けました。 キリスト教が「失敗」した理由は、信者の不足によるものではなく、仏教の指導者たちがキリスト教徒全体を火とはりつけで全滅させ、キリスト教を禁止し、世界から孤立させたためです。
何百年もの孤立から発展した文化的な思い込みは非常に深いので、多くの人はそれらやそれらの思い込みの背後にある歴史に気づいていません。
~~~

一読してお分かりのように、明らかにキリスト教の側からの反論で、キリスト教は「善」、それを排除しようとした暴力的仏教は「悪」という前提の上に立っています。そして鎖国という孤立によって日本人は「文化的な思い込み cultural beliefs」に陥って、真実の歴史が見えなくなっているというのです。しかし、このような独善性こそ、日本人が嫌うもので、キリスト教が日本で受け入れられにくい理由がまさにそこにあるのだということに気付いていません。

これに対して私は、以下のように応答しました。

~~~14世紀末から15世紀初頭にかけてのキリスト教徒の割合は、当時の日本人人口の2%から4%と言われています。 キリスト教禁令と弾圧による犠牲者数は資料で確認できる人数は3,792人であり、実際の数は不明であるが、おそらくその数倍であっただろう。 多くの人が棄教したふりをして隠れキリシタンになりました。 秀吉だけでなく、その後の江戸幕府も260年間キリスト教を禁止しました。 それが、日本にクリスチャンが少ない理由のひとつとは思われます。 しかし、これだけでは、信教の自由が保証されている現代においても、日本人の1%しかキリスト教徒ではない理由を説明することはできません。~~~

つまり、秀吉の禁令や江戸時代の禁令は、日本にキリスト教が少ない理由の一つと言えるかもしれないが、それだけでは、現代日本においてもキリスト教が少ない理由は説明できない。そのもっと深い理由を、私は提示したのだということです。

この議論は、まだ少し続くのですが、長くなるので次回に回します。
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揺れる蓮の葉と彰義隊・YouTube動画作りで感じたこと

2020年10月22日 | 普通の日記
日本に関心を持つ外国人向けにYouTube動画を作り始めて感じたことを書く。昨日は、Ueno park・上野公園をアップした。少し前にアップしたのは、Kiyosumi Garden・清澄庭園である。もちろん、動画で解説する必要があるので、それぞれについてその歴史を含めた関連情報を調べる。そうすると、自分が今まで知らなかったことがいかに多いかを思い知る。

清澄庭園にしても、江戸時代の紀伊国屋門左衛門、明治の岩崎弥太郎などの関係人物、そして関東大震災で多くの命を救ったことなど、ずしりと重い歴史を背景にもっている。松尾芭蕉が隣接する深川の草庵に住み、そこから「奥の細道」の旅に出たことも忘れてはならない。つまり、ひとつの庭園の動画を作ることは、日本の歴史に深くかかわっていくことを意味するのだ。私は、そのことに大きな喜びを感じる。

上野公園にしても、そこは江戸時代、徳川家の菩提寺である寛永寺の広大な境内の一部であったこと。そして彰義隊がこの上野の山、つまり寛永寺の境内に立てこもって最後の抵抗を試みたこと、その結果、寛永寺内の多くの建物が焼失したことなど、深い感慨を感じつつ動画を作った。西郷隆盛の像は管理が行き届いているが、近くの彰義隊の墓は雑草も目立った。不忍の池の無数の蓮の葉が風に揺れる短い映像を挟んだが、上野の戦争で亡くなった人々への思いと重なりあった。

たとえ見る人は多くなくとも、これからも東京の日本庭園、公園そして寺社などの動画を作り続けるだろう。その解説で短く歴史や由来を語るごとに、私は日本の歴史、過去の日本の人々が生きた伝統に深くかかわっていとになるだろう。それは、多かれ少なかれ日本人の精神性に深くかかわっていくことを意味するのだ。

『臨死体験研究読本』の改訂版の出版も、日本文化と悟りという私の最近のテーマも、そしてYouTubeの動画作りも、私の中ではすべて一つの流れに合流していくような気がしている。

★最近、筆者がアップロードしたYouTube動画

→ Kiyosumi Garden・清澄庭園

→ Ueno park・上野公園

YouTube チャンネルはこちら → Spiritual Japan
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アクセス数が伸びない動画

2020年10月22日 | 普通の日記
上野公園を外国人向けに紹介するYouTubeビデオを作った。かなり時間をかけて作ったが前回の清澄庭園の動画に比べてアクセス数が伸びない。日本庭園の美しさにかなわないのだろうか。ちょっとがっかりだ。しかし、これにめげず、東京の大公園と日本庭園を紹介する動画は作り続けていくつもりだ。

YouTube動画 → Ueno park・上野公園
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