仕事で、数字を入力したり、数を数えたり、採点したりなど、比較的単純な作業を行うことも多い。作業は単純だから、いろいろと「妄想」をめぐらせながらもできてしまう。しかし、そうするとミスが多くなる。実際、私はそういう単純作業でのミスが多い。
しかし、そんなときもサティのつもりで、「数字入力」という「中心対象」から意識がはずれたら、サティしてもとの「中心対象」に戻るということの繰り返しを意識して行えばよい。そうすると「妄想」は少なくなり、ミスも少なくなる。このような姿勢で行えば、単純作業そのものが瞑想になる。
昨晩から今日の明け方まで、そうした単純作業を行っていたのだが、「妄想」が湧き起るたびに気づいて、「中心対象」に戻ることを繰り返していたら、やはりミスが少なかった。
昨日書いた「恐れと怒り」については、これからも何度も確認していくことになるだろう。本当にそういう面があるのなら、いずれ瞑想の中でも「実感」として味わうことになるだろう。
しかし、そんなときもサティのつもりで、「数字入力」という「中心対象」から意識がはずれたら、サティしてもとの「中心対象」に戻るということの繰り返しを意識して行えばよい。そうすると「妄想」は少なくなり、ミスも少なくなる。このような姿勢で行えば、単純作業そのものが瞑想になる。
昨晩から今日の明け方まで、そうした単純作業を行っていたのだが、「妄想」が湧き起るたびに気づいて、「中心対象」に戻ることを繰り返していたら、やはりミスが少なかった。
昨日書いた「恐れと怒り」については、これからも何度も確認していくことになるだろう。本当にそういう面があるのなら、いずれ瞑想の中でも「実感」として味わうことになるだろう。