◆思考に同一化しない
故障した自転車をあえて修理せず、最近はずっと駅から職場まで歩いている。その間はもちろんずっとサティを心がけている。その日によって違うが、思考に巻き込まれたままということは少ない。思考に気づいては戻り、また戻り‥‥。
26日に抜書きした「‥‥こうして公平に、すべての思考、幻想、観念、イメージをじっと見つめていると、あなたは次第にそうした思考やらイメージやらの無意識的な影響から解放されていく」という言葉が印象に残っている。思考に巻き込まれ、思考と一体となっているときは、そのとりことなり、支配され、影響されている。しかし、思考に気づけば、それに同一化した状態から少しでも解放される。それが続いていけば解放の度合いは大きくなるだろう。
解放の度合いは小さいだろうが、たとえわずかでも解き放たれるのを感じる。
◆役に囚われない
「自己」に同一化したまま人生の場面、場面を生きていくだけではない、もう一つの視点。「自己」へのとりこになったまま人生という舞台を生き続けているだけではない、もう一つの視点。限りある「人生舞台」を、自分が演じる「自己」という役柄に埋没しきらず、上の方からじっと見るめる。そうした視点を持ちうることは救いだ。
時間的に初めと終わりのある人生舞台で、一定の役を選び、演じることの無根拠性。所詮それは、幕が下がれば終わる虚構に過ぎない。幕が下がればいやおうもなく役は終わる。だからそれに囚われない。
◆『統合心理学への道』
ケン・ウィルバーの『統合心理学への道』の読書ノートをブログ『精神世界の本を読む』のほうで始めている。これは『存在することのシンプルな感覚』へのコメントよりも長くなりそう。
故障した自転車をあえて修理せず、最近はずっと駅から職場まで歩いている。その間はもちろんずっとサティを心がけている。その日によって違うが、思考に巻き込まれたままということは少ない。思考に気づいては戻り、また戻り‥‥。
26日に抜書きした「‥‥こうして公平に、すべての思考、幻想、観念、イメージをじっと見つめていると、あなたは次第にそうした思考やらイメージやらの無意識的な影響から解放されていく」という言葉が印象に残っている。思考に巻き込まれ、思考と一体となっているときは、そのとりことなり、支配され、影響されている。しかし、思考に気づけば、それに同一化した状態から少しでも解放される。それが続いていけば解放の度合いは大きくなるだろう。
解放の度合いは小さいだろうが、たとえわずかでも解き放たれるのを感じる。
◆役に囚われない
「自己」に同一化したまま人生の場面、場面を生きていくだけではない、もう一つの視点。「自己」へのとりこになったまま人生という舞台を生き続けているだけではない、もう一つの視点。限りある「人生舞台」を、自分が演じる「自己」という役柄に埋没しきらず、上の方からじっと見るめる。そうした視点を持ちうることは救いだ。
時間的に初めと終わりのある人生舞台で、一定の役を選び、演じることの無根拠性。所詮それは、幕が下がれば終わる虚構に過ぎない。幕が下がればいやおうもなく役は終わる。だからそれに囚われない。
◆『統合心理学への道』
ケン・ウィルバーの『統合心理学への道』の読書ノートをブログ『精神世界の本を読む』のほうで始めている。これは『存在することのシンプルな感覚』へのコメントよりも長くなりそう。