瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

駅まで35分のサティ(気づきの修行)

2012年10月10日 | 瞑想日記
数年前までは、通勤時の駅から職場まで歩いているときも熱心にサティをおこなっていた。ここ数日の、土手でのランニングやウォーキング時のサティがきっかけとなり、今日は通勤時のサティを復活した。今の職場は、駅から歩くと35分ほどかかる。朝はバスに乗るのだが、帰りは歩く。今日はその間ずっと、ラべリングによるサティを続けた。35分という時間の長さが今となってはうれしい。

サティの中心対象は次々変わる。人通りも多いから「注意」などとラべリングすることも多い。さまざまな音に対するラべリングも多い。土手で得た感触同様、時たま思考が湧いてきても巻き込まれることなくサティが入る。そして日常的な思考に埋没しているときには気づかない、様々な微妙な感情に気付く。私にとってはこれがことのほか大切なことだと思っている。

やはり数年前と少し、いやかなり違う。全体として思考に巻き込まれる度合がはるかに少ないのだ。数年前に熱心に修行していたときの経験が、今生きてきているのか。どうしてそうなったか。今は、はっきりは分からないが、ひとつだけ考えられるのは、それだけ力みがなくなっているということか。

瞑想合宿のレポートに何度も書いたが、合宿に入るとどうしても成果を強く期待してしまう。その期待が囚われとなって瞑想を妨げる。いやというほどその経験を繰り返した。合宿時だけでなく日常の修行においても何かしら成果をだそうとする囚われが、自分で気づいている以上に強かったのかもしれない。

数年間の休止期間は、自分の中の囚われや力みを洗い落とすのに必要な時間だったのかもしれない。もちろん再び修行を続けているうちにまたまた囚われや力みが生じる可能性はある。ただ、ここ数日の感触では、サティそのものがそれらを的確にとらえてくれるうような気がしている。
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思考では大物は捕まらない

2012年10月09日 | 瞑想日記
先日紹介した、三回目のヴィパッサナー瞑想合宿のレポート「天女」をに読み返して、ある箇所が心に残った。以前から気にはなっていた言葉に久しぶりにであって、また刺激を受けたという感じか。合宿中の面接で、地橋先生が何回か強調していた言葉だ。

「思考はエゴの働きであり、エゴが中心になってエゴが裁量している。だからエゴが許す範囲のことしか見えない。雑魚は多く引っかかっても、大物は捕まらない。『撤退』型のサティに徹してある程度思考が納まってくると、思考という小さな網ではすくい切れない大物が現れるのだ」と。

ここで「撤退」型のサティとは、知覚対象だけではなく、どのような心の動きにも巻き込まれず、一歩退いてサティし(気づきを入れ)、それを限りなく続けていくということだ。

自我は、自ら認めたくないことを抑圧しているのだから、自我が裁量する思考によって気づけることはたかが知れている。しかし、腹や足裏などを中心対象にしてサティを続けるとどうなるか。抑圧されたエネルギーは、集中しようとする自我を裏切り、その裏をかいて、特定の知覚への関心や傾向、連想、イメージ、投影などに姿を変えて浮上してくる。中心対象をはずれて心が何かに向かったり、囚われたりしたら、それは抑圧されものの磁力による場合が多いのだ。だから「優勢の法則」にしたがって、そのつど心に優勢になった対象にサティをすることが、抑圧されたものへの気づきと解放につながっていく。これは、自我が裁量する思考では出来ない仕事なのである。

以上は、私にはとてつもなく大切なことだと思える。思考に巻き込まれず、そのつどサティを入れて、再び中心対象へのサティに帰って行くことが大切なのは、「思考という自我の産物」を越えた英知が働きやすくするためなのだ。

日常生活の中でのサティや、通勤中のサティなども、以前はずいぶん力を入れて行い、このブログに毎日のように報告していた時期があった。そんなサティからもしばらくご無沙汰していた。昨日、久しぶりに土手を歩いたり走ったりしながらサティしていて、以前に比べ力みが取れたのか、楽にできるようになっている感じがした。

今日も夕食前、7時過ぎに土手を歩いた。昨日ほどではなかったがサティはクリアであった。
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ランニング瞑想

2012年10月08日 | 瞑想日記
夕方5時40分から40分ほど荒川の土手をウォーキングと軽いランニング。日が暮れると青く浮かび上がるスカイツリーがことさらきれいだ。

昨日書いたようにランニングもまた、瞑想、気功、断食、ゆる体操などとともに総合的に修行効果を高めていくための一つと意識するようになった。今日は、昨日よりも意識的にサティをしながら歩き、走った。

昨日よりもはるかにサティ(気づき)が続いていった。後半、ランニングをし、歩き、また少しランニング、そして歩いて家に帰るまでサティが途切れることなく続いていった。日中よく知る道を歩くときよりは、薄暗い土手を歩くときの方が注意すべき対象が多いから、思考に溺れず、サティが続くという面もあるが、それだけではない。具体的には次のようにラべリングが続いていく。

見た→音→光→音→足の痛み→音→光→不安→思考→悲しみ→見た→音→かゆみ→‥‥‥

音は虫の音だったり、人声だったり、車の音だったりする。光は、ネオンだったり、川面の光だったりする。ともあれ一瞬一瞬、意識が向かう中心対象が入れ替わっていくが、それに即座に対応してラべリングがされていく。

ヴィパッサナー瞑想を始めた10年ほど前、やはり土手をよくサティをしながら歩いたが、今はあの頃に比べると中心対象への即座のラべリングがはるかに出来るようになっている。そのためか、思考に飛んでもすぐにラべリングが入る。また浮かんだ思考に伴う感情にもすぐにラべリングがはいる。上のラべリングで「思考→悲しみ」となっているのがそれだ。

わずかな思考に、それぞれある感情が伴い、それがクリアにサティされていく。10年前、土手を歩きながらサティしているとき、悲しみというラべリングが何度も入ったことを思い出した。今日も、「悲しみ」のラべリングが多かった。しかし、以前に比べると他の知覚や思考とはっきり識別される。妻や子供たちを一瞬想い、それに伴う感情がサティされる。その感情は日常的思考の中では気づきにくい微妙なものだが、生きるということの根幹にかかわる深いものだ。
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ゆる体操、再び

2012年10月08日 | 読書日誌
自発動気功をやっていると、その途中でしばしば「ゆる体操」的な動きが出てきて、そちらをしばらく続けてから本格的な気功に入ることがある。気功をやる前にまず体をゆるめろと言われれいるようだ。昨日書いたように、これまで行ってきたいろいろなことを、それぞれがつながり全体として相乗的な効果がでるように工夫せよというのが、新しい私のテーマとなった。それでゆる体操も本格的に復習しておこうと思った。

私が最初に読んだのは、「「ゆる」身体・脳革命 不可能を可能に変える27の実証 (講談社+α新書)」だった。この本については短評しか書いていないが、その中で「高岡英夫氏の理論は、気功やヨーガその他、体を動かす東洋的な行法においてきわめて画期的で、今後、この方面における中心的な役割を果たす理論かもしれない」とまで言っているから、相当に高く評価していたのだなと私自身が驚く。再読しなくては!

以下に、かつて書いた別の本の書評を掲げておいた。「これは『本物』だという、強烈な印象がある。」と書いているのでわかる通り、そうとう入れ込んでいた時期がある。そのころの日記を見ると、ゆる体操をするようになって肩こりが治ったと書いてある。今は、かなり肩こりがあるので、ますますゆる体操を復活する気になった。

「体をゆるめる」と必ず健康になる―心と体が若返る究極のリラクゼーション「ゆる体操」

高岡英夫の「ゆる体操」の実践編である。「ゆる体操」の考え方の簡潔な紹介と、イラストを使った分かりやすい実践編と、症状別プログラムとに分かれる。

体をゆらしたりしてゆるめること自体は、誰でもときどき行うが、ゆらしてゆるめることの意味を体系的な理論と実践法としてまとめたことの意義は大きい。こんなにかんたんなことでも継続すれば、からだにそんな大きな変化が訪れるのかと、納得できる。誰でもどこでもかんたんにでき、継続しやすいことのメリットも大きい。少しやってみれば、からだにどんな作用を及ぼすが誰でも体感できる。この本を読んで改めてなるほどと思ったことを箇条書きする。

☆体のパーツの緊密な連結をときはなち、剛構造を柔構造に変えていく。そのためには体をゆすって、ゆらして、ゆるませるのがもっともよい。

☆ゆすって、ゆらして、ゆるめていく、このサイクルを何度もくり返しているうちに、体が徐々にゆるむ。ゆるめばそれだけ、ゆすりやすくもなり、さらにゆれやすくなて、各パーツの連結がどんどんゆるめられていく。

☆ゆっくり温泉に入ったり、マッサージを受けたりすれば心身がリラックスするが、その状態は長くは続かない。ゆる体操は、自分の脳神経の働きによって体をほぐしたり、ゆるめたりするので、自分の脳神経の側から体をゆるめるテクニックが身につく。ゆる体操で、自分の体を感じながらくり返しゆるませていると、自分の体の筋肉から来る情報に対して閾値(機能的境界)が変わる。

人生、ゆるむが勝ち

この本は、ゆる体操の人生への応用編といった本だ。ゆる体操によるゆるみが、私たちの実生活を円滑化させ充実させるためにも、どれほど大切なことであるかが、いくつかの印象的なエピソードとともに語られている。

「‥‥ゆする、ゆれる、ゆるむということを意識して、ゆすり方や気持ちの持ち方を工夫していくと、ゆする、ゆれる、ゆるむが、ぐるぐるとサイクル状になって回っていく。お互いに次々に影響し合い、らせん階段を上っていくようにどんどんいい状態になって、各パーツの連結が解放されていくことに気がついたのです。」

これは、同著者の『「余分な力」を抜けば、人生が変わる!』(三笠書房、2003年)の方からの引用だが、らせん状にゆるんでいくという感じが、ゆる体操を始めたばかりの私にも、何となく実感できる。このように自分でやってみての体感からも、本を読んで受ける直感からも、ゆる体操という理論と方法が、これからますます重要な意味をもってくるのではないかと感じる。これは「本物」だという、強烈な印象がある。

心が固まれば、体も固まる。体がゆるめば、心もゆるむ。これは、常識ないし生活の知恵としては誰もが知っている。しかし、その関係を科学的な姿勢で探究し、からだをゆるめる効果的な方法を確立したところに著者の画期的な業績がある。体がゆるむと、自律神経やホルモンの状態が改善し、精神が安定して頭脳が冴え、発想力までものが高まってくる。つまり、リラックスしながら集中力が高まってくるのだという。

私自身、ゆる体操は毎日続けている。そのためか、あるいは週末断食のためか、肩こりが軽くなってきたようだ。パソコンに向かっていてちょっと眠くなったときに立ってゆる体操を行い、交感神経を軽く刺激すると効果的だ。床についてからの「寝ゆる」はもちろん毎日続けている。実は「統一棒」も購入した。しかし、これを用いたトレーニングはまだ行っていない。そのうちこり出すかも知れない。
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統合の季節

2012年10月07日 | 瞑想日記
◆瞑想・気功・断食・ランニング・ゆる体操
今日は、一日半断食の二日目。12時で復食。空腹感をほとんど感じない順調な小断食であった。来週もできればチャレンジしたい。断食の経過の詳細は以下を参照のこと。

一日半断食をツイッターで報告
一日半断食二日目

昨日も書いたが、断食だけでなく気功も瞑想も少しずつ復活している。ただ復活したというだけではなく、これまでそれぞれ別々にやっていたものを、統合して行っていこうという気持ちになっている。

最初のきっかけになったのは気功かもしれない。勤め先の同僚で今年、隣のデスクになった人は、以前から気功に興味があったようだ。話しているうちに私がかなり専門的な知識を持っていることに驚き、私の気功を受けたりして、それ以来すっかり気功にはまってしまった。毎日自分で気功の修練をするようになり、私とも毎日のように気功談義をしている。

彼の熱心さにだいぶ刺激を受けて、私も自発動気功を再開した。また7月から8月にかけての父の介護の最中も、父への気功を行っていた。

これまでヴィパッサナー瞑想では、地橋先生に瞑想と気功は切り離して行えと指導を受けていた。もちろん瞑想中は、気に囚われず、自分が感じたままにサティしていけばよいのだが、ただ瞑想によって浮上する無意識からのメッセージと自発動気功の無意識から湧き上ってくる動きとは、ひとつの視野の下で見ていった方がよいと思った。同じ無意識からの働きかけとして相互に刺激し合う面があると思う。

断食と無意識との関係は昨日触れたとおりだ。これからは、瞑想、気功、断食を、相互に刺激し合うものとして関連づけながら行っていこうと思う。他にランニングも少し復活している。ランニングは意識の持ち方で瞑想的な効果があると思う。ゆる体操も気功中に出ることがある。これも関連した視野の中で見ていきたい。

◆日本文化論との統合
前回まで「成長という生涯の課題」というテーマで3回書いた。それをきっかけに、このブログも復活した形だ。このブログを長い間、ほとんど更新してなかったが、その間、何も書いていなかったわけではなく、もう一つのブログを熱心に更新していた。そちらのブログに、今回以下のような文章を書いた。

再びユダヤ人と日本人

「瞑想と精神世界」の方は、私個人の魂の成長の記録といってもよいが、「クールジャパン★cool Japan」のブログは今後、日本人の霊性の成長を求めて、というような方向へ深めていければと思っている。これも、統合といえば統合だ。
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