瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

追加したい至高体験

2008年10月29日 | 瞑想日記
サイト『臨死体験・気功・瞑想』のメイン・コンテンツである、至高・覚醒体験事例集は、ひさしく更新していないが、追加する予定の事例はいくつもある。

先日所要で茨城県に行ったとき、五浦にある「茨城県天心記念五浦美術館」を訪れた。そこに展示されていた岡倉天心の手紙を見ていたとき、晩年の天心の心境を語る文面を目にした。親交のあったインドの女流詩人にあてた手紙であったが、そこに深い至高体験が語られていた。その場で少し時間をかけてその文章を書きとめた。後で大岡信の評伝『岡倉天心』を手に入れて調べてみると、そこにもこの手紙が紹介されていた。近々このブログでまず紹介し、サイトに事例集にも載せたい。

他にもプンジャジの『覚醒の炎』の中には、プンジャジ自身の覚醒体験や、弟子の女性の体験などが掲載されている。

さらにインドの経済学者ラビ・バトラの覚醒体験、『中論と他力信仰』の中で稲津紀三師氏が語る他力の信仰を通しての覚醒体験など。

最近、これまで集めてきたものを整理しておきたいという気持も湧きはじめ、更新への意欲も少しは出ている。
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自我という部屋

2008年10月27日 | 瞑想日記
前回(20日付け)のブログで「想念が湧き上がって、次から次へと展開していく様は、真っ暗で何も見えない、だだっぴろい部屋の中を、むやみやたらと当てずっぽうに動き回るさまに似ている」と書いた。このたとえでいう「部屋」は、自我という枠組みのことだともいえよう。

想念・思考のほとんどが、自我を基盤とし、自我を養分として、自我を強化させるために、自我という「部屋」の中でで行われているのだ。

瞑想をすることで、想念・思考の働きがおさまってくると、自我という部屋の壁が次第に崩れ去っていくのだとも、いえるだろう。

お願い~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★現在、ブログなどで 「はだしのゲン」を世界へ!! という取組みを行っています。アニメ『はだしのゲン』を世界中の人に少しでも多く見てもらい、原爆の実態を知ってもらおうという運動です。IMDbという映画情報サイトでアニメ 『はだしのゲン』 に投票していただき、このアニメの存在を世界に知ってもらうことを呼びかけています。

皆様による、数分でできる投票が、あと67集まれば、このアニメが、アニメランキングのトップ10内に躍り出て、世界にその存在を知られるようになるのです。

ぜひ投票をお願いします。またブログ「はだしのゲン」を世界へ を紹介していただいたり、呼びかけ文 をブログやメールに貼り付けていただけると、なお目標が実現しやすくなります。詳しくは、呼びかけ文 や、 「はだしのゲン」への投票を!! をご覧ください。
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ただ座る

2008年10月20日 | 瞑想日記
◆人の心、意識というものの不思議。湧き上がっては消える想念の不思議。瞑想をするごとに、その不思議さへの思いを深くする。想念の動きが一時止まったにせよ、その背後に「地」として横たわっている強固な自我。想念・思考の母体としての自我への気づき。

想念に話を戻す。想念が湧き上がって、次から次へと展開していく様は、真っ暗で何も見えない、だだっぴろい部屋の中を、むやみやたらと当てずっぽうに動き回るさまに似ているかもしれない。衝動的に動きまわりただ消耗するだけ。

衝動的に動き回るのをやめる。それが瞑想だ。動かずに、部屋の真ん中に静かに座る。そうすると、やたらに動き回っていたときには感じなかったことを感じるようになる。

◆話は違うが、最近、youtubeで、音楽そのほか様々な画像を楽しむことが多い。つい数日前に偶然見つけた、弓道をする女性の画像には、強く印象付けられた。

弓道 -不動心-

Student's Kyudo(3)
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