大晦日だからこの一年を振り返るというわけではないが、この半年ほどの間で特記すべきは、「思考する自我」の実態がある程度見えてきたということだ。心の中でつぶやき即座に忘れていく日常の無数の想念・思考。それが延々と続くことで「自我」が織り上げられ、保持されていく。そういう自我と思考の姿が見えてきた。
別の観点から言うと、思考に埋没している状態と、自分の思考を相対化して見ている状態の違いが分かるようになってきた。「思考する自我」を対象化し、相対化して見ている意識。
今日あらためて確認したことは、何はともあれ思考したらそれに気づき、今の知覚に戻る、この単純なことをひたすら続けていくことの大切さ。想念に埋没しないこと。そのためにいちばん適しているのは、やはり今ここで知覚し、感じたことにそのつどラベリングしていくことだ。今日は、大掃除で動きまわっていたが、前半のサティは順調。夕方以降は、まったくダメ。
夏の10日間瞑想合宿でご一緒した二人の法友が、この暮れから正月にかけての合宿に参加している。先日コメントをいただいたcocoaさんも参加している。ひたすら瞑想に明け暮れるあの10日間の感触が懐かしい。私も合宿に参加しているつもりで、日々のサティを続けていきたい。
別の観点から言うと、思考に埋没している状態と、自分の思考を相対化して見ている状態の違いが分かるようになってきた。「思考する自我」を対象化し、相対化して見ている意識。
今日あらためて確認したことは、何はともあれ思考したらそれに気づき、今の知覚に戻る、この単純なことをひたすら続けていくことの大切さ。想念に埋没しないこと。そのためにいちばん適しているのは、やはり今ここで知覚し、感じたことにそのつどラベリングしていくことだ。今日は、大掃除で動きまわっていたが、前半のサティは順調。夕方以降は、まったくダメ。
夏の10日間瞑想合宿でご一緒した二人の法友が、この暮れから正月にかけての合宿に参加している。先日コメントをいただいたcocoaさんも参加している。ひたすら瞑想に明け暮れるあの10日間の感触が懐かしい。私も合宿に参加しているつもりで、日々のサティを続けていきたい。