瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

話すことへのサティ

2008年02月21日 | 瞑想日記
最近は、ゆっくり意識的に話すようにしている。それでも、うっかり忘れて少し早口になってしまうことがある。そうすると舌の動きが間に合わず、ロレツがまわらなくなる。ハッと気づいてまた意識的にゆっくりと話す。

これは、ある意味で話すことへのサティだなと思った。サティにも、深い浅いのレベルはあるだろうが、今の私は、あるレベルでゆっくり意識的に話さないと、舌の動きが伴わない。だったら話すことへの気づきを意識的に持続していけばよい。そして、その気づきのレベルを深めること。

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★現在、ブログなどで 「はだしのゲン」を世界へ!! という取組みを行っています。アニメ『はだしのゲン』を世界中の人に少しでも多く見てもらい、原爆の実態を知ってもらおうという運動です。IMDbという世界的な映画情報サイトでアニメ 『はだしのゲン』 に投票していただき、このアニメの存在を世界に知ってもらうことを呼びかけています。

皆様による、数分でできる投票が、あと230集まれば、このアニメが、アニメランキングのトップ10内に躍り出て、世界にその存在を知られる可能性が見えてきます。

ぜひ投票をお願いします。またブログ「はだしのゲン」を世界へ を紹介していただいたり、呼びかけ文 をブログやメールに貼り付けていただけると、なお目標が実現しやすくなります。詳しくは、呼びかけ文 や、 「はだしのゲン」への投票を!! をご覧ください。
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全てをゆだね切って

2008年02月18日 | 瞑想日記
「今日の一言」(この一瞬をとらえる、ヴィパッサナー瞑想の世界)から。

「2/14(木) 仏法僧の三宝に全てをゆだね切って、我が身に起きる一切の事象を受容していくことができるならば、無我の感覚で、淡々と、全力をふるうことができるだろう……。」

これこそ私の中の「白鶴」のイメージだ。日常生活をこのようなあり方に一歩でも近づけたい。

「2/15(金) エゴ意識や自我感覚が微塵も入らなければ、どのような結果も、ありがたく、あるがままに、受け止めていくことができるではないか……。」

病気は、まさにこのような受容の精神を確認する絶好の機会だった。脳梗塞をきっかけにして、このようなあり方を否応もなく学ばされてしまった感覚がある。一方で日常生活の中に色濃く残る「エゴ意識や自我感覚」。

心の奥深いところで静かに受容しているのを感じつつ、日常意識のレベルでは、エゴが強烈に働いている。

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白鶴のイメージ

2008年02月17日 | 瞑想日記
昨日、職場でまた舌の動きが少し悪くなっているのを感じた。うまく単語が発音できず、何回か言い直した。帰宅後、血圧を計ると上が112くらいか。いつもは150くらいなのでかなり低い。また小さな脳梗塞があった可能性がある。

今日は、病院に行く日だった。医者に計っってもらったときも血圧は低かった。医者も小さな脳梗塞があった可能性を認めた。

これが私の気持を少し引き締めたようだ。1月下旬に、小さな脳梗塞があった可能性が高く、そのあと肉体の無常を強く意識したが、何日かたつうちになた何気ない日常意識に戻っていた。そんな私に目覚めを促すかのように、昨日またしゃべりの状態が少し悪化した。

数日前に、このダイアリーの中の夢日記を読み直した。一昨年、恐怖と怒りの夢がしばらく続いたことがあった。その前に「白鶴」の夢を見たことがあった。この白鶴が私にとってかなり重要な意味をもっていて、その後の自分にかなり影響を与えてた。読み直したが、数日前に読み返したとき、白鶴の意味がかつてのようには実感できなかった。

今は白鶴の意味が実感としてよみがえりつつある。それは、日常生活における一つ一つの行為に、一瞬一瞬まっすぐに汚れなく打ち込むことを意味した。日常の行為の一切を「僧」として、利害を超えて行うことを意味した。日常を生きながらも、白鶴のように汚れなき「行者」でありつづけること。

私は、昔からその生き方を知っていたような気がする。しかし、一方では全く忘れてしまっている。病気が、私にそれを思い出させようとしているのかも知れない。

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瞑想合宿レポート05

2008年02月10日 | 瞑想日記
久しぶりに瞑想合宿レポートの続きを書こうという気持になった。そういう気持になったのは、脳梗塞で途中下山したことやその後の経過も含め、この経験から何を学んだのか、何を学びつつあるのかが、自分の中である程度はっきりしてきたからかも知れない。

3日目の午後4時ごろ、喫茶室でお茶を飲んだころから、からだがすっきりと爽快になってきた。普段、過食ぎみだったが、合宿で少食をしているうちにようやく浄化されてきたのだろう。

こうしてからだがクリアになってはじめて、普段いかに濁った状態にあるかが分かる。この澄んだ感覚を味わうからこそ、普段がいかに「まとも」でないかが実感できるのだ。

それは、食事や体の問題だけではない。日常の生活の中では情報や妄想に溺れて、ほとんど中毒状態になっているのに、その異常さに気づかない。こうして合宿に入って瞑想し、脳を静めることによってはじめてその中毒症状に気づきく。どんな状態が「まとも」なのかが分かる。

喫茶室でからだの状態が変化したあと、瞑想はずっとよくなった。腹の動きへの集中力が増した。思考し、自分の「物語」を紡ぎ始めることもあったが、そのつどクリアし、腹の動きへのサティに戻っていった。

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履歴を消し去る

2008年02月09日 | 瞑想日記
次に再読したいミンデルは、『シャーマンズボディ』と決めていた。昨日から読み始めている。タイトルにも示唆されているようにこの本は、従来のプロセス指向心理学から一歩踏み出す内容になっている。しかも全編に珠玉の言葉がつまっており、中味が濃い。

読み出してさっそく、思わず感嘆してしまう言葉に出合った。もちろん最初に読んだときも強く印象に残ったが、今はさらに深く感じるところがある。

人は、何らかのワークや修行をすることで、あるいは年齢を重ねるだけでも、「自分のアイデンティティはいずれ消え去らなければならない」ということを学んでいく。個人のアイデンティティ、ないし個人の履歴は、消し去らなければならない。アイデンティティは、「社会的な役割やコミュニティから期待される型をあなたに押しつけ、あなたの境界を定めてしまう」からだ。

「自分の履歴を自覚的に手放すか、あるいは、それにしがみついて死や病気によってそれが奪われることを恐れるか、どちらかしかない。」(何と強烈な言葉か!)

「自分の履歴を手放すことが、この世に生まれた以上は誰もが必ず学ばなければならない決定的に大切なレッスンである」とミンデルは言う。

夢に現れる敵は、実は自分に強い影響力を持つ「朋友」だ。病気も、家族とのトラブルも、同じように強烈な「朋友」だ。「人生の神話とは、望もうと望むまいと、この朋友との対決の物語だ。」 それは、自分のアイデンティティを消し去るまで、何度も何度も繰り返し襲いかかってくる敵であり、「朋友」なのである。人生は、強固なアイデンティティを手放すというたったひとつの主題をめぐって、学習を続けていくプロセスだともいえる。

私が軽い脳梗塞を体験し、その意味を夢で確認したのは、「自分のアイデンティティを消し去る」という課題に、私がこれまでにもまして真剣に立ち向かわなければならない、ということだったのだろう。

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