◆人の心は、無限に深い広がりをもっているのだろう。ちょうと三角形の底辺がなく、その先は深い闇に包まれているように。三角形の突端のほんのわずかな部分が意識と呼ばれ、そこは絶えず気ぜわしく発光していて、静まるときがない(脳内おしゃべり)。
その発光をひとまず静める。それが瞑想の第一歩だ。そうすると、突端から奥へと無限に広がる領域への視界が少しずつ開けていく。何度か10日間の瞑想合宿に参加して感じたのは、やはりある期間の集中的な瞑想は、自分でも気づかぬうちに心の広大な領域へのドアを開くということだ。ただし、そのドアを開け放したままに保つのは難しいことなのだが。
意識の表層の気ぜわしい発光を静めて、心の奥深い領域に静かに分け入っていくこと。このこと自体の意味に「抵抗感」があるわけではない。どこかに気づかぬままの「抵抗感」がわずかでも存在すれば、それは瞑想の妨げになるから、徹底的に気づき、その無意味さを自分に納得させておかなければならない。もちろん分け入っていく過程で新たな様々な「抵抗」は発生していくのだろうが。
今日は、起床時に60分瞑想。
その発光をひとまず静める。それが瞑想の第一歩だ。そうすると、突端から奥へと無限に広がる領域への視界が少しずつ開けていく。何度か10日間の瞑想合宿に参加して感じたのは、やはりある期間の集中的な瞑想は、自分でも気づかぬうちに心の広大な領域へのドアを開くということだ。ただし、そのドアを開け放したままに保つのは難しいことなのだが。
意識の表層の気ぜわしい発光を静めて、心の奥深い領域に静かに分け入っていくこと。このこと自体の意味に「抵抗感」があるわけではない。どこかに気づかぬままの「抵抗感」がわずかでも存在すれば、それは瞑想の妨げになるから、徹底的に気づき、その無意味さを自分に納得させておかなければならない。もちろん分け入っていく過程で新たな様々な「抵抗」は発生していくのだろうが。
今日は、起床時に60分瞑想。