瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

障害児の母 Jさん

2019年06月30日 | 覚醒・至高体験をめぐって
『臨死体験・気功・瞑想』が閲覧終了になったのに応じ、その内容を新サイト『霊性への旅』へと移行させるいる。「覚醒・至高体験事例集」のの事例をひとつひとつ新しいサイトにアップしていくが、その都度、ここにその一部を紹介していきたい。今回は障害児の母Jさんのの事例である。
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これは、安藤治『私を変えた「聖なる体験」 』(春秋社)に収録された事例である。
Jさんは、最初の出産で、出産時の脳損傷のため重症の障害をもった娘さんを産んだ。その事実を知った衝撃、そしてその後の生活の想像を絶する苦労。家の中は糞尿にまみれ、すぐに激しいけいれいが起こる娘さん。おむつを洗いながらとめどもなく涙がながれた。「神も仏もない」、「私の人生は終わった」と嘆いた。

やがて彼女はたった一人で「障害者運動」をはじめた。
「ハンディーをもつ子供たちをふつうの子たちと同じように」と始められた運動は7年後に2000人もの会員を擁するようになった。
しかし、 やがて彼女は「もっと根本を考えなければいけなかったのに、外側にばかり解決を求めていた。自分の内側をきちんと見なければダメだ」と思うようになる。彼女は自分がはじめた大きな社会運動を解散させた。多くの非難を浴びたが、彼女の決意は堅かった。

以下『私を変えた「聖なる体験」 』から引用する。

混沌とした日々が続いた。「外側に求める」のをやめたとしても何かそれに変わるものがあったというわけではない。一人だけのさみしさ、弱さもつくづく味わう毎日だった。

そんな日々のなか、ふとJさんの目に止まるものがあった。新聞に出ていた禅の本の広告の「あるがまま、なすがまま」という言葉である。彼女はそれを見ると、翌日すぐに禅寺に向かったのだという。いてもたってもいられない気持ちで、寺が開くまで夜中から門の前で待ったほどだ。

寺に飛び込むと、Jさんはひたすら座らせてもらった。ものすごく気持ちが落ち着いた。「あーこれなんだ」。「ここにしか本当のことはないんだ」。「やすらぎ、静けさ、この気持ちで接することができたら、運動も何も必要はない」「なすべきことをやらないで運動ばかりしていた。苦しみから逃げるために運動にすりかえていたんだ」。

深い感動と静寂のなかで、Jさんは進むべき道を得た。いままでやってきたことが「音をたてて崩れていくような気がした」と彼女はいう。

Jさんはその後一年間、毎日なりふりかまわず禅寺に通い、座り続けたとのことだ。何カ月も人に会わない日々が続いたが、一年を過ぎたころからは、遠出もするようになった。そして、Jさんは、各地にでかけ、水行などを行ったり、キリスト教や神道などにも体験を通して関わるようになっていった。

もちろん、Jさんはそうした道のなかで数多くの深い体験をしている。だが、彼女にとって自分を変えた最も大きな体験は、と聞かれれば、迷わず一つの大きな体験があるという。それはいまから六年ほど前に訪れた。

娘さんの体調がひどく悪く、その看病疲れも極限的な状態に達していたある日だった。その日は、滅多に口にしなかったコーヒーやアルコールなども、ストレスを紛らわすために少し取り過ぎていたようだという。夜十時ごろだった。自宅でくつろいでいたのだが、急に呼吸ができない状態になってしまい、「七転八倒の苦しみ」のなかで「血の気が引いていった」という。「死ぬと思った」その時である。全身の毛穴のなかから「何かが抜け出し、上に上がっていく感じ」がした。気がつけば、それは自分の意識だったのだが、天井から下を見ている自分に気がついたのである。倒れているJさんを見て、友人があわふためいて救急車を呼んでいたという。

ただ、Jさんは妙に落ち着いた気持ちだったとのことだ。「あー、窓が開いている。子供が風邪をひいちゃう。窓を閉めなくては。帰らなきゃ。ごはんを食べさせなくちゃ、この子は死んじやう。帰らなくちゃ」。そう思ったとたん、意識は身体のなかにあった。そしてまた、「七転八倒」の苦しみのなかにいたというのである。


実際に身体に「死」の危険が訪れていたのかどうかはわからない。だが、彼女は、その時から「死」というものに何の恐れもなくなって、生きるこ
とにさえも執着しなくなったと語っている。「なーんだ死ぬってことは死なないってことじゃない」。Jさんは奇妙な、そして飛び上がるような至福感を感じたのである。

彼女は詩を作っている人なのだが、その体験の後で最初に書いた詩が次のようなものだ。

あ-な、うれしや
あ-な、おかしや
あ-な、おもしろ
あな、めでた

それまではうまく作ろうという気持ちが強かった詩作も、それ以来は、「そのままでいい」と思うようになったという。
「この世界がすべてではないことがわかった」。
そして「木も車も、人の心もみな一つに溶け合って生きている。木の葉の一枚も本当に生きている、そして生かされている」
「迷うことは何もない。自分の思うままに生きればいい。問題が起きたら、ただ受け止めればいい」
「ただそれだけ」。

Jさんは「迷うこと」がなくなった。そして、振り返れば、考え方が「百八十度変わった」という。あれほど苦しんだ娘さんの問題も、いまでは、「苦しいことも悲しいことも味わわせてもらったんだな」と感謝の気持ちをもっている。「苦しみ、悲しみ、そういうものは全部自分の感情が作っているということがよくわかった。それを娘は私に教えてくれていたんだ」と。

いま彼女は「よくやってきたな」と自分に対しても素直に誉められるようになったし、「娘をもたせていただいたことが本当によかった」と深い感謝の気持ちを抱いて毎日を暮らしている。そして、Jさんはいう。
「生きていること、日常そのものが瞑想なのだ」と。
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鈴木秀子氏の臨死体験

2019年06月09日 | 覚醒・至高体験をめぐって
『臨死体験・気功・瞑想』が閲覧終了になったのに応じ、その内容を新サイト『霊性への旅』へと移行させるいる。「覚醒・至高体験事例集」のの事例をひとつひとつ新しいサイトにアップしていくが、その都度、ここにその一部を紹介していきたい。今回は鈴木秀子氏の事例である。

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鈴木秀子氏は、日本近代文学を専攻する聖心女子大学の教授で、聖心会のシスターでもあり、エニアグラムやゲシュタルト・セラピーその他の心理療法にも豊かな実践経験をもつ。また、文学療法の開発者としても知られる。その著『死にゆく者からの言葉』(文藝春秋社)は、ベストセラーとなって、多くの人々の心に深く静かな感動を与えた。彼女の「臨死体験」は、『死にゆく者からの言葉 (文春文庫) 』でも報告されているが、ここでは、その体験がより詳しく報告されている、同氏の『神は人を何処へ導くのか (知的生きかた文庫) 』から収録する。

その体験をしたとき鈴木氏は、学会に出席するため、友人のいる修道院に泊めてもらっていた。その修道院は、宮家の立派な屋敷を改造した建物で、二階の客間から下に降りる階段は高く急であった。その夜、寝つかれなかった彼女は、何となく夜中に起き出し、暗がりの廊下を壁づたいにそっと歩いた。曲がり角らしきところで一歩足を踏み出したが、実はそこは廊下ではなく、その急な階段だったのである。 踏み出した瞬間、体はバランスを失った。恐怖を感じる暇もなく、一気に下まで落ち、床に叩きつけられて、そのまま気を失ってしまう。

ふと気づくと、私のからだは宙に浮かんでいます。そして、空中にまっすぐ浮いている私を、高いところから、もう一人の私が見つめているのです。空中に浮かんだ私の足の周りを、なぜかたくさんの筍の皮のようなものが覆っていました。

それが蓮の花びらだとわかったのは、ずっとあとのことです。台湾のさる有名なお寺を訪れたとき、仏像の足の周りを筍の皮のようなものが包んでいるのを見て、あ、これだったんだと思いました。それは蓮の花びらでできた台座でした。
 
その筍の皮のような花びらが足もとから一枚一枚散っていくのです。高いところからそれを見ているもう一人の私は、花びらが散るごとに、自分が一つひとつの苦しみから解放されて、自由になっていくのがわかりました。
一枚落ちると、
 「ああ、これでもう人の言うことに煩わされなくてすむ、私は自由になった」  
 と思い、さらにもう一枚落ちると、
 「もう人に気を遣い、不安に脅かされなくてもすむ、私は自由になった」 とつぶやいているのです。限りない解放感と喜びが胸に溢れてきました。  

花びらが最後の一枚になり、これが落ちたら完全な自由になれると思ったとき、最後の一枚の花びらは落ちることなく、からだがすっと飛翔しました。そのとき、見ている自分と見られている自分が一つになりました。   
一瞬のうちに高さの極みに飛翔し、私は今まで見たことのないような美しい光に包み込まれました。白っぽい金色の輝きに満ちた、いちめん光の世界にいたのです。まばゆい輝きでしたが、まぶしすぎるとは感じませんでした。  

それは人格を持つ命そのものの光であり、深い部分で、自分とつながり、交流している生きた光なのでした。これが至福なのだ、完全に自由なのだ、と私は感じていま した。不思議なくらい、五感も思考もすべてが生き生きと冴えわたっています。オリンピック選手がベストコンディションで世界記録を破る瞬間とは、こんな状態のときなのでしようか。からだの全機能が最高の状態に保たれ、調和し、研ぎ澄まされているのです。 その冴えわたった意識の中で、私ははっきりと理解したのでした。

 「この命そのものの光の主に、私はすべてを知りつくされ、理解され、受けいれられ、許され、完全に愛しぬかれている」 これが愛の極致なのだと。 もし愛の究極の状態というものがあるのなら、こういう感情に貫かれることではないかしらとも思いました。真に満たされた状態とは、こういうことを言うのでしよう。 しかもその満たされた光の世界には、時がないのです。あっ、これが永遠なんだと私は思いました。 心は愛に満たされ、知性は冴え、能力のすべてが最高の状態で調和しています。

そんな至福感に包まれていたとき、どこからか声が聞こえてきました。
「癒してください、癒してください」
 


続きは以下でご覧ください。⇒ 鈴木秀子氏の臨死体験
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ユングの臨死体験

2019年06月08日 | 覚醒・至高体験をめぐって
『臨死体験・気功・瞑想』というサイトが閲覧停止になったのに応じ、その内容を新たに作った『霊性への旅』へと移行させることになった。「覚醒・至高体験事例集」は前サイトの中心になるコンテンツであった。その事例をひとつひとつ新しいサイトにアップしていくが、その都度、ここにその一部を紹介していきたい。最初はユングの臨死体験にともなう覚醒体験である。

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 臨死体験者の変化を全体として見ると、その根底には、「自分の周囲のあらゆる人々や生物、事物に心を開き、それらをあるがままに受け入れ、愛し、慈しみ、それらとの一体感を感じるようになる」と表現できるような傾向があるようだ。少なくとも、自分ばかりが可愛くて、自己と世界との間に垣根をめぐらして自分を守っているのとは逆の方向に、多くの臨死体験者は変化している。一言でいえば、臨死体験者には自己への囚われから自由になっていく傾向があるらしい。
 臨死体験者のさまざまな意識変化の謎は、「自己」への囚われからの解放という視点から説明すると、かなり納得できるように思う。以上のことを確認するために、ここではフロイトとならんで潜在意識の偉大な探求者であったC.G.ユングの例を考えてみたい。

◆「私は存在したものの、成就したものの束である」◆  
  ユングも、その晩年に臨死体験をしている。彼の場合は、「宇宙との一体感」を語っているわけではないが、自己への囚われや執着からの解放という点ではかなりはっきりとした自覚を持っている。自伝『ユング自伝―思い出・夢・思想 』のなかで、69歳でのその体験をつぎのように語る。 (自伝は、全二巻に分かれており、この体験が語られるのは二巻目である。)
 
 1944年のはじめに、私は心筋梗塞につづいて、足を骨折するという災難にあった。意識喪失のなかで譫妄状態になり、私はさまざまの幻像をみたが、それはちょうど危篤に陥って、酸素吸入やカンフル注射をされているときにはじまったに違いない。 幻像のイメージがあまりにも強烈だったので、私は死が近づいたのだと自分で思いこんでいた。後日、付き添っていた看護婦は、『まるであなたは、明るい光輝に囲まれておいでのようでした』といっていたが、彼女のつけ加えた言葉によると、そういった現象は死んで行く人たちに何度かみかけたことだという。私は死の瀬戸際にまで近づいて、夢みているのか、忘我の陶酔のなかにいるのかわからなかった。とにかく途方もないことが、私の身の上に起こりはじめていたのである。  
 私は宇宙の高みに登っていると思っていた。はるか下には、青い光の輝くなかに地の浮かんでいるのがみえ、そこには紺碧の海と諸大陸がみえていた。脚下はるかかなたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。私の視野のなかに地球全体は入らなったが、地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭は素晴らしい青光に照らしだされて、銀色の光に輝いていた。地球の大部分は着色されており、ところどころ燻銀のような濃緑の斑点をつけていた。(中略)
 どれほどの高度に達すると、このように展望できるのか、あとになってわかった。 それは、驚いたことに、ほぼ1500キロメートルの高さである。この高度からみた地球の眺めは、私が今までにみた光景のなかで、もっとも美しいものであった。


 このときユングが見た地球の姿の記述は、立花隆氏も指摘するようにアポロが撮った地球の写真の姿と驚くほどぴったりと合っている。しかもユングはこれをアポロ宇宙船よりも以前、それどころかガガーリン以前に書いているのである。  
さてユングは、しばらくその美しい地球を眺めたあと、自分の家ほどもある大きな隕石のような黒い石塊が宇宙空間をただよっているのを発見する。その石の中央には入口があり、その中はヒンドゥー教の礼拝堂になっていた。ユングはその中に入っていく。

続きは以下でご覧いたきたい。⇒ ユングの臨死体験
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ニューエイジをめぐる対話

2019年06月02日 | 瞑想日記
2001年1月07日から2001年7月22日まで、パラトラパ雅さんとNOBORUとの間でニューエイジをめぐる対話を行った。この対話は、もともとYahoo!掲示板>科学>オルタナティブ>精神世界フォーラムで行われたものである。
 それで、当時の対話の形をできるだけ残しつつ、しかも重複する部分などを整理しつつ、二人が対座して対話しているような形をとって、ここに再録する。
パラトパラ雅さんは、本人にお断りしていないので本名は伏せるが、四国のある県の国立大学の先生である。
 
目次
はじまり
対話(1)権威主義をめぐって(1)
対話(2)権威主義をめぐって(2)
対話(3)前世療法をめぐって(1)
対話(4)前世療法をめぐって(2)
対話(5)『カルト資本主義』をめぐって
対話(6)新霊性運動の捉え方
対話(7)「新霊性運動」の歴史的な意味
 はじまり
NOBORU:
  パラトラパ雅さん、こんにちは。 そちらのサイトに元旦に書かれた「新世紀のメッセージ」:「心と魂のニューパラダイムの創生に向けて」、読ませていただきました。 精神世界、ニューエイジにかかわる大切な問いかけを含む内容に、感銘を受ました。少しでも多くの方に読んでいただきたいですね。( http://homepage1.nifty.com/paratorapa/ 現在こののページはは存在しない。 )
 読んでまず、感じたのは、精神世界・ニューエイジ運動に係わる者として、この運動を内側から批判的に吟味したり、自省したりすることの大切さでした。 私の印象でも、精神世界・ニューエイジ系の掲示板などで、自らの立場をその思考の前提にまで溯って、批判的に吟味する姿勢というのは、それほと多くないと感じます。 瞑想や修行など体験から得るものは非常に大切ですが、一方で歴史や時代をしっかり捉える眼を失わず、知的な思考や学びの大切さも忘れずに、自分がかかわる潮流をチェックし続ける姿勢も同じように大切だと思います。 パラトラパさのメッセージは、それを呼びかけていると思います。
paratorapa:
 ありがとうございます。 それぞれが各自のやり方で霊性の向上をめざしていくのがニューエイジの個の感覚を重んじるスタイルといえるでしょう。 しかし,自分の中にばかり入り込んでしまったり,自己愛ばかりが増長して,他者との交流,共感,共有がおろそかになってしまっては元も子もありません。 また,仲間内だけで凝り固まって,自分たちだけが真実に迫っている,特別な存在なのだと思うようになっても,逆に社会的孤立を深めるだけでしょう。
  最初は個人の信念だったものが,大勢の人々に共有され,それが社会のシステムの中に定着していくプロセスでは,多くの摩擦や葛藤も起こるように思います。その中で淘汰され,消えていくものも出てくることでしょう。 この運動が共有され,定着していくためには,倫理やモラルという社会的,集合的な基準の確立抜きには語れない部分もあるように感じます。自己責任と社会的責任の両方が問われているのではないでしょうか?
NOBORU:
  パラトラパ雅さんの新世紀のメッセージや、サイババ問題などに関連して 「私にとってのニューエイジ」ということを考えています。 「ニューエイジ」と一言でいっても、固定的な定義付けなど不可能でしょう。 私は、ニューエイジ・ムーブメントという言葉は出来るだけ広くとっておいた方がいいと感じています。
  19世紀西欧のスピリチュアリズムや東洋の神秘的伝統などの影響を受けながら、 組織化された宗教よりも個人の直接的な霊的な覚醒を大切にする、 広く大衆化された運動ぐらい感じで。 もっと簡単に言えば、伝統宗教や組織にしばられない大衆化された霊的・精神的な関心の広がり、 ぐらいの感じでしょうか。
 こうした関心の広がりや動きそのものは、非常に重要であり、 未来を開く可能性をはらんでいると思っていますし、 私自身そのことを大変好ましく思っています。
  また、個々人が自由に自己を探求しようとする特徴があるので、 そこに含まれる考え方や修行の形態には様々なものがあって、 本当に幅広い裾野をもっていると思います。 しかし、だからこそ逆に、疑問視せざるを得ない考え方や運動もこの流れの中に混ざってきて、 時に大きな影響を与えることがあると思うのです。 そんな潮流の中で私たちがすべきことはなんでしょうか。
 私も「伝統宗教や組織にしばられず、かつ大衆的に広がる霊的・精神的な関心」の中に身をおいています。そうした潮流をニューエイジ・ムーブメントと考えていいと思います。 現代の行き過ぎた科学主義や物質主義を打開していくために、こうした関心がさらに広がっていくことは、とても大切ななことだと思います。 しかし、それが大衆化すればするほど、自分が間違った方向に進んでいないかどうか、ひとりひとりが絶えずチェックしていくことが重要になると思うのです。サイババ問題は、そうした内なる問いかけのよい機会を与えてくれたと思っています。
  ではどんな問いかけをして行けばいいのか。私が、自分自身で行っていきたいと思っているのは以下のようなことです。
1)内実を伴わない権威主義的な傾向に陥っていないか。
2)実証的に確認していくという姿勢を失っていないか。
3)すべてに対して開かれた在り方を失っていないか。
4)個としても集団としても自己肥大化するエゴイズムに陥っていないか。
  いま考えられるのは、こんなところです。ただ、現実には自分や、属する集団がこうした傾向に陥っていないかどうかを確認するのはかなり難しいのかもしれません。人間は自分を守るためにいくらでも「自己正当化」してしまうものだからです。
 
★このあと、「では、この四点をめぐって対話をしていかないか」との
パラパトラ雅さんからのお誘いがあり、
私(NOBORU)も願ってもないこと快諾し、対話が始まった。

対話(1)権威主義をめぐって(1)へ
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『霊性への旅』の目次(内容一覧)

2019年06月02日 | 瞑想日記
前回書いたように『臨死体験・気功・瞑想』というサイトが閲覧停止になったのに応じ、その内容を新たに作った

霊性への旅

というサイトに移し替える作業をはじめ、8割ほどが終了した。

以下にその目次(内容一覧)示す。順次この場で記事についての紹介をしていく予定である。

ニューエイジ対話

論文集(精神世界や宗教関連)

瞑想世界の旅

臨死体験の世界

気の世界の旅

覚醒・至高体験事例集
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