この2日ほど共通する要素を持つ夢を何回か見ている。
たとえば、ある友人と議論しているときに、マルティン・ブーバーをめぐる話になった。私が、マルティン・ブーバーについての自分の見解を述べた。友人は、英語で「It is practical mistake!」と叫んだ。私は、その言い方に非常に腹を立てた。腹を立てたと同時に自分の感情を観察していた。しかし、「あるがまま」の観察がどのようにすればできるのか、自信がなかった。
次の夢は、授業をしている夢だった。インドの現代史についてだっただろうか。あるところまで話すと、次がどうしても思い出せなかった。しかたなく、「ちょっと自分のノートを持ってくるから」と生徒に言った。そういった直後に自分の気持ちにマインドフルになろうとしていた。しかし、このときも、充分マインドフルになれたか自信がなかった。
別の夢は、前の職場の夢だった。「あなたにはこの役職は任せられない」と面と向かって言われた。自分のリーダー性が疑われていると思った。このときも、そう言われた自分の反応に気づきを入れようとしていたと思う。しかし、充分にはできなかった。
いずれも夢の中の自分の感情にマインドフルであろうとして、充分できない自分へのとまどいの中で目覚めている。たぶん、クリシュナムルティが「あらゆる思考と感情への無選択の自覚、すわなちその動機やメカニズムを理解し、思考と感情を開花させること」という、その「無選択の自覚」がどのようなことであるのか、自分の感情に充分にマインドフルであるということがどんなことなのか、得心がいっていないことが夢に表れているのだろう。
たとえば、ある友人と議論しているときに、マルティン・ブーバーをめぐる話になった。私が、マルティン・ブーバーについての自分の見解を述べた。友人は、英語で「It is practical mistake!」と叫んだ。私は、その言い方に非常に腹を立てた。腹を立てたと同時に自分の感情を観察していた。しかし、「あるがまま」の観察がどのようにすればできるのか、自信がなかった。
次の夢は、授業をしている夢だった。インドの現代史についてだっただろうか。あるところまで話すと、次がどうしても思い出せなかった。しかたなく、「ちょっと自分のノートを持ってくるから」と生徒に言った。そういった直後に自分の気持ちにマインドフルになろうとしていた。しかし、このときも、充分マインドフルになれたか自信がなかった。
別の夢は、前の職場の夢だった。「あなたにはこの役職は任せられない」と面と向かって言われた。自分のリーダー性が疑われていると思った。このときも、そう言われた自分の反応に気づきを入れようとしていたと思う。しかし、充分にはできなかった。
いずれも夢の中の自分の感情にマインドフルであろうとして、充分できない自分へのとまどいの中で目覚めている。たぶん、クリシュナムルティが「あらゆる思考と感情への無選択の自覚、すわなちその動機やメカニズムを理解し、思考と感情を開花させること」という、その「無選択の自覚」がどのようなことであるのか、自分の感情に充分にマインドフルであるということがどんなことなのか、得心がいっていないことが夢に表れているのだろう。