大阪ばかりでなかった太閤の町京都!?
バス一日乗車券を手に入れて、いよいよ出発します。最初の目的地は方広寺・豊国神社。
最寄バス停は博物館三十三間堂前です。京都駅からは100、206,208等が行きます。
さすが京都!観光客は多いです。100番のバスは満杯で次に来た206に乗って
出発しました。車内からは中国語や韓国語が聞こえてきます。
中国人旅行客が増えているのは、韓国ばかりではないようです。
重要文化財の国立京都博物館
方広寺は当時焼失した東大寺の大仏に代わって豊臣秀吉が、より大きい大仏・
大仏殿を建立しようとしたもので、南は三十三間堂あたりまであり、当時の
塀や門がそのまま三十三間堂の塀や門として利用されているそうです。
建立当時の大仏殿跡の史跡(発掘調査の後埋め戻されたそうです)
現存方広寺に残る創建当時の建物は鐘楼のみ。ここに吊るされている鐘が
有名な「国家安康」「君臣豊楽」の文言が刻まれていることを、家康の2文字が
引き裂かれ、豊臣家のみの繁栄を願っていると故意に曲解され、大阪夏の陣へ
つながっていく原因となったそうです。
方広寺鐘楼
白い部分右下が国家安康、左上が君臣豊落の文字
この寺の建造に関しては本尊を巡っての紆余曲折あり、天変地異あり話題に事
欠かない経緯がたくさんあるようです。
その秀吉が亡くなって朝廷から神位を授けられ、まつられたのが豊国神社です。
豊国神社
神社の本殿前にある唐門がきらびやかで眼を引きます。家康を始めナポレオン等
いわゆる英雄豪傑と呼ばれる人々の墓所は、何故か金ぴかに光っています!?
唐門(国宝:伏見城遺構を移築したと伝えられている)
神社の一角にひっそり宝物館がありました。社務所で入場料を支払うと渡された
チケットはお札でした。
展示品は秀吉愛用の品をはじめ、七回忌の様子を描いた屏風等点数は多くは
ありませんが、充実しています。なかでも槍を刀に作り直した二振りの刀には
思わず眼を見張りました。
屏風に描かれた七回忌で諸将が会した京の街角には、同じく浮かれて繰り出した
多くの町民が踊る姿が描き出されていて興味深いです。太閤秀吉は庶民に愛される
キャラクターだったのでしょうか?
宝物館
豊国神社前の道を真っ直ぐ鴨川へ向かう途中、左側に石塔が見えてきます。
これが長くお隣の国との友好を阻む元となった、文禄・慶長の朝鮮出兵時
戦功の証に倒した将兵の耳(鼻)を切り、持ち帰らせたものの供養塔です。
そっと手を合わせて蛮行のお詫びと冥福の祈りをしました。
鴨川を渡ると河原町通りに出ます。バス停は河原町正面。これは秀吉建立の
方広寺の正面に由来するようです。
ここで既に時間は12時近く、今日のお昼は2年前来た時、京都の友人に紹介
され、利用して美味しかった蓮乃色という小料理屋さん(お昼のミニ懐石2000円~)に
行こうと思います。実はこの時、お店の名前を失念していたのですが、場所は
覚えていたので、行けば何とかなるだろうと思って向かったのです。
河原町御池でバスを下車、御池通り北寄りの道を通りのショップを楽しみながら
心当たりの方角へ向かいます。
豚のオブジェに惹かれて店内を覗いたりするうち見つけました。押小路の
麩屋町と御幸町の間に、開店からかれこれ10年は経っているはずですが
未だに白木の香りが漂ってきそうな雰囲気です。
ところが残念なことに休業日なのか暖簾が出ていませんでした。
検索しないで出かけた私のミスです。
さあお昼をどうしましょう(・・;)
12時を大幅に過ぎていますが、京都到着後に食べたおにぎりのお陰で
幸いなことに、お腹はまだ少し持ちそうです。
そういえばヨンジュンさんが、京都へ来た時行かれたビストロは
割合この近くだったはず・・・。早速スマホを取り出し家族があるサイトに
載せてくださったその時の詳細情報を検索です。
(続く)