「木下黄太のブログ」 ジャーナリストで著述家、木下黄太のブログ。

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原発事故や菅総理会見からマスメディアとジャーナリズムを考える

2011-03-26 09:34:34 | 福島第一原発と放射能

この記事も木下黄太が書いています。とにかく個人として、ジャーナリストとしてぎりぎりの感覚で書いています。お話がある方は、メールに電話番号をいただければ、こちらから折り返しいたします。

福島第1原発は予断許さない状況、事態収拾に全力=菅首相(トムソンロイター) - goo ニュース

昨夜の菅直人総理の会見を見て、まあ予想通りだったのは、ご本人が自分自身で、政治の最高責任者として、突っ込んだ判断を自分の言葉で伝えることが、国民に対しておこなうことが全く出来ないということです。本当は官房副長官どまりの人材とよく言われた感じです。「イラ菅」ならまだましなのですが、この会見で、「逃げ菅」である側面も国民の目にははっきりとしてきている状態になったと思います。僕は二十年ほど前に、彼と話して、実際にはどのような人物かよく知っていますし、僕の身の回りには彼と長い付き合いのある人々も多いので、「菅は責任をとりたがらない」「自分が決めた形にして責任を背負わされるのが嫌だから、そうした局面から逃げ続ける」ということは、常識としてもっていましたが、このような重要な局面で、やはりはっきり出てきたと思います。能力面は世の中の人々が知っているよりも、実は認識する能力はあるのですが、「決断」「判断」というワードから最も縁遠い人物だと思います。僕はよく知らない人に説明するのですが、菅氏は、ターミネーターみたいなもので、機械として機能は機能するのですが、与える情報を正確に誰かがインプットし、何をそれによっておこなうかも全部インプットして、さらに誰かがgoしないと全く機能しない機械であるということです。そして、今回おそらくは、彼のキャパシティを、起きている事態が大幅に超えていて、オーバーフローしているのは、間違いありません。本人が状況を正確に捉えられていないことが、公での「光明」発言、さらに僕がお伝えした「山は越えた」発言にあらわれていると思います。だから、ああした本質的な中味が全くない会見をすることになると思います゜。国民に対して国のトップとして、責任をもってきちんとした判断、状況、そして決断を伝えるのが、総理大臣としての責務なのですが、全くそうしたことがなされない状況です。ひどすぎます。論外です。

 さて、こうした時にメディアが何を伝えるのかですが、NHKの総理会見の中継を見ていても、中味が無いためでしょうが、中継した後に全くスタジオでも受けず、ニュースの次の項目に進むという判断をしていました。ある意味では良心なのだと思います。伝える意味がほとんどないことを、項目的にフォローしないことで示していると思いました。

 NHKに限らず、多分、現在のマスコミのしていることを見ていると、踏み込んで報じることを微妙に避け続けていて、安全に近づいているという感覚を醸し出すことに専念しているようです。ほぼ全てのマスメディアに共通していると思います。これは、公にもおのおのの組織内で語られているかもしれませんが(煽るなとか風評被害を避けろとかというワードで)、それよりもなんとなく自分達も含めた危機が目前にあるかもしれないという状況を直視したくないという微妙な「思考停止」になっていると思います。もちろん、その「思考停止」的なマスメディアの感覚が正しければ、僕は何も言うことはありませんし、僕自身が、判断を誤ったジャーナリストというだけで終わる話です。ただし、一つ一つ、おきている事象や状況を考えたときに間違いなく、事態の状況は大きく好転していませんし、この情勢を危機的な感覚だと本来伝えるべきというのがマスメディアがあるべき姿と僕は思います。

 ただ、マスメディアが難しくなっているのは、事態が複雑になればなるほど、確定的な事実がつかめないことです(現状でも、政府官邸さえ全ての情報を掌握していない疑いまで、僕は持っています)。ほとんど政府発表、東京電力発表を流すことに専念し、ほぼ全ての専門家が多かれ少なかれ、原子力を推進していた人々の言説で埋められていくということになっています。「何が正しいかわからない」という事から、実は「政府広報機関」「東京電力広報機関」の役割以外に役割がなくなりつつあるというのが、今のマスメディア実際の状況だろうと僕は考えています。僕自身にとって、そこは最もひっかかるところの一つで、ジャーナリズムという観点から考えていく場合、マスメディアのスタンスと僕個人のスタンスは大きく異なるという感覚が凄まじく強くなっているということです。

 本来、危機が訪れているかもしれないという警鐘を鳴らすのが、ジャーナリズムであって、ジャーナリストの仕事だと僕は思います。平時でもそうですが、今はまさに有事です。こうした時にこそ、ジャーナリストは、自分が間違えた場合には、後々罵られる可能性も踏まえた上で、自分が知りつかんだ情報や公の情報をベースにして、今何が起きているかということを、そればかりか、これから何が起こりうるのかということを、自分の分析と判断に基づいて、公に語ることこそ、ジャーナリストの本質的な仕事だと僕は確信しています。ぎりぎりの判断をしながらも、語り続けなければならないと僕は確信しています。これが責務です。その観点から考えると、現在、僕が出来得ることはこのブログを通じて、語り続けることしかできないかもしれません。マスメディアと比べれば、まったく非力です。ただし、この状況の中で、自分が何をおこなうかという事が、僕自身の人生にとって大きな判断だと思うものですから、こうしたことをおこなっています。自分がどこまで、ジャーナリストとしての能力があるのかどうかを、自分で自分を問い詰めることしかないと感じています。

今回の事態の関係者にお願いです。もし何か伝えられないことで、伝えるべき中味があればメールで連絡してください。こちらから必ずお電話いたします。