長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

八千代獅子

2010年03月15日 01時51分49秒 | お稽古
 箏と三味線と、両方演奏なさる方も多いが、楽器に対する志向性は、はっきり分かれるような気がする。私は箏の音色も好きだが、13本も絃がある楽器なんて、とてもとても使いこなせそうにない。…3本の糸でどんな音でも出せる、単純ながら無限の掛け算の魅力がある。それが三味線のいいところ~♪で、いつの間にか四半世紀を超えて付き合う羽目になった。
 以前、はじめて地唄の曲を演奏する機会があったときに、その微妙な速度の曲運びに、大変てこずった。今でいえば、「イライラする」。まあ、確かに三十過ぎた頃だった。
 長唄は江戸・東京のものだから、テンポもすっきり溌溂としている。それに対して地唄のテンポはどうにも、ゆったりしすぎて間延びしてるような感じで、参った。
 しかし、それが不思議なもので、何度も弾いているうちに、その焦燥ともいえるまったり感が、この上なく快感に思えてきた。あの、ウヴィーン、イン…という揺らぎが何ともいえずいい感じに変わっていったのだ。
 そのとき、東京生まれの谷崎潤一郎が、なぜあんなに上方を愛好するようになったのかが、何となくわかったような気がした。
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幾代餅

2010年03月15日 00時01分29秒 | 落語だった
 五街道雲助の、ルックスと雰囲気が好きなのである。
 誰かに同意を求めたことはないが、文楽三味線の野澤錦糸に似てる、と私は思っている。お二方とも、憬れのお人である。
 しかし雲助師匠は、長いこと私にとっては「君の名は」的すれ違いの落語家だった。
 寄席と言わず落語会と言わず、いつ、どこへいっても高座に接することができない。出ているはずだと思っていくと、すでに出番が終わっている。これからだ!と思って待っていると、逆に私の用事で寄席を後にしなくてはならなくなる。
 そんなことが度重なり、しかし、その不遇を克服して師匠の高座を何度かは観ているのだが、私にはもはや師匠の高座姿より、お江戸日本橋亭がハネて、楽屋口からシャツ姿でふらりと出てきた雲助師匠の、柳に風の爽やかな雰囲気しか思い出せないのである。
 そこで今日、この曖昧な記憶を再確認するために、九識の会へ行ってみた。
 3月14日は、松の御廊下内の刃傷、および塩谷判官が切腹したばかりではなく、年が明けたらあなたのもとへ、きっと行きます断わりに…じゃない、幾代大夫の年季奉公が明けた日なのでした。これは偉大なる逆ホワイトデーというやつなんでしょうか。
 これがために、今日高座にかけたという雲助師匠。そういうところが好きだな~~。
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