OBが勤務したのは2000年以降のこと。デスクは仙台市青葉区の東北電本社に置かれ、勤務は午前8時半から午後5時半だった。午前は「ゆっくりと新聞を読む」のが日課で、午後は自分の勉強に時間を費やした。
決裁権限は一切なく、社内プロジェクトに参加することもなかった。主な仕事は、社幹部が県庁にあいさつに行く際の日程調整ぐらい。専門性は関係なかった。
宮城県人事課は、東北電について「県庁で積んだ経験を生かせる職場」と説明している。証言は、こうした県の言い分と食い違いを見せる。
このOBは「飼い殺しされているようだった。眠気と闘う毎日だった」と言う。
報酬は年600万円。県庁関係者らによると、業務内容を含めた待遇は現在も大きく変わっていないとみられる
河北新報
東北電天下り「暇地獄」 経験者が勤務実態証言
決裁権限は一切なく、社内プロジェクトに参加することもなかった。主な仕事は、社幹部が県庁にあいさつに行く際の日程調整ぐらい。専門性は関係なかった。
宮城県人事課は、東北電について「県庁で積んだ経験を生かせる職場」と説明している。証言は、こうした県の言い分と食い違いを見せる。
このOBは「飼い殺しされているようだった。眠気と闘う毎日だった」と言う。
報酬は年600万円。県庁関係者らによると、業務内容を含めた待遇は現在も大きく変わっていないとみられる
河北新報
東北電天下り「暇地獄」 経験者が勤務実態証言