先日、姉さまと箱根路を共にしました。
その時に、昔の写真が出てきたよとラインで送っていただきました。
今は多摩市かな?府中市?に是政と言う場所があります。
直ぐそばに多摩川の流れがあり、よくそこで遊んだり泳いだりもいたしました。
まだ、水量の豊富な時で、タイヤのチューブの浮き輪を借りたり、スイカ割りなどをして楽しみました。
まだ、下水道が河川に流失していないときでしたので、水質は良く見えました。
懐かしい写真です。
美人のお袋さんも自慢?でしたね。
この写真を整理するためにパソコンの画像を開きました。
すると、当時19歳の時に沖縄に行った画像(アナログ画像ですのでスキャンして保存しています)がありました。
当時の沖縄は今のような観光地ではありません。
*これらの画像は過去に何回かご紹介しています。
日本政府から身分証明書が発行されていた時代です。
目的は観光です。
所持金も記載されます。
US$98.60でした。
日本円で換算すると100ドルが3万6千円の時代です。
私はガソリンスタンドでバイトして貯めて旅費にしました。
芝浦ふ頭から2泊3日の船旅で沖縄泊港(とまりん)です。
島に近づくとコバルトブルーの海が印象的でした。
当時の朱礼の門です。
学生時代の友人だった女性の〇原さんが沖縄出身の方で、現地では大変お世話になりました。
ご自宅に泊めていただいたり、現地のご友人と島内巡りもしていただきました。
お宅は奇跡の一マイル(国際通り)から、ほど近く松前?中学校の近くだったかと思います。
定かではありません。
直ぐ近くに庁舎があったような気も致します。
沖縄は日本であって、日本ではありませんでした。
甲子園出場選手は甲子園の土を袋に入れて持ち帰るのですが、島内には持ち込むことが出来ずに、島近くで海に投棄していたのです。
まだ、返還前の沖縄です。
*1972(昭和47)年5月15日、27年間に及んだアメリカ統治が終わりを告げ、沖縄は日本に復帰し、沖縄県になりました。
*1968(昭和43)年4月5日、「南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」が調印され、同年6月12日公布、26日に発効し、小笠原諸島は日本に復帰しました。
そして、小笠原諸島は東京都に編入されました。
電車などはなく、車は右側通行で貨幣はドルでした。
お世話になって島内を一周いたしましたが、ほとんどが米軍基地で鉄条網や金網で囲まれていました。
日本語を話しても日本ではないと実感した時でした。
酷いことです。
若き日の貴重な体験です。
今では街のインタビューで開発されリゾート化された沖縄でも行きたいと言う方が多くいますが、今もそうだと思いますが戦争の傷跡が深く残っています。
なんだかんだで沖縄には2週間くらいいました。
船で八重山諸島の宮古島と石垣島まで足を運びました。
リゾート地になるなんて、想像もできませんでした。
海岸の浜にの寝ころび、シュラフ(寝袋)一枚で満点の星を見ながら寝込んだことを思い出されます。
近所の方が芋を食べるかと分けてもいただきました。
このように馬を借りて、浜辺も散策しました。
時には琉球大?沖縄大?の学生とも、偶然に出会いキャンプをしながら夜を明けるまで話し合ったこともあります。
私のような東京出身者は、内地の人と言われていました。
最初は人見知りなのか口下手?(無口)ですが、親しく触れ合うといろいろな話をしてくれます。
村の公民館と言っても屋根と柱だけで、壁がありません。
焼酎を飲みながら、戦争や家族への想いなど、同世代の話で通じるものがありました。
こうして、その後は一人旅行が増えていきました。
美味しモノを食べて、きれいな観光地を見るのもよろしいかと思いますが、現地の方々と会話することに楽しさを覚えました。
この年齢になると、やはり安全性第一になります。
また、美味しいモノとか観光目的になってきました。
約2週間の旅を経て、内地である西鹿児島に戻ってきました。
そこからは、特急寝台で東京まで帰るだけです。
寝台車は三段ベットで、私は二段目です。
最後の夜は西鹿児島の繁華街をぶらつきました。
まだ、19歳でしたけど・・・。
お姉さんに声をかけられ、2千円で飲めると誘わて店内に・・・。
有り金4千円くらいを支払う羽目になってしまいました。
残金は千円もありません。
都内区間から自宅までの電車賃などを考えると、24時間かかる列車内では弁当も買えません。
列車で同席するおばあさんがいましたが、この方のベットは一番上の三段目です。
内地(本土)には初めて行くそうです。
上るのも大変だと思い、ベットを代えてあげて私が最上段にしました。
何も食べない私に、どうして食べないの?と聞かれて、西鹿児島で飲み過ぎて?(ぼったくられて)、金が無いんですと話すと、駅弁などを買ってくれたことを思い出しました。
これも人の縁でしょうか?なんとか帰宅できました。
・・・
次にまた、勇気ある?一人旅のお話をいたします。
Hiro