自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

処分するアルバムから見る私の原点

2022年01月16日 | なかま道志

先日も、もう見ることのないアルバムを整理していました。

処分するのは簡単ですが、そこにはたくさんの思い出も詰まっています。

片付けを始めましたが、その前にデーターとして保存して置こうとしています。

この日は50数年前の米国の一人旅行や生活などを保存して、アルバムを処分いたしました。

ふと思ったのですが米国での一人旅行や生活が、私の考え方や原点がここにあるような気もいたします。

北米一周はこのバス会社(グレイハンド)を使いました。

もう一社は、「コンチネンタル」だったかと思います。

旅行者用に半年くらいだったかな?乗り放題でたしか3万円くらいでした。

何冊使ったのか記憶が無いくらい乗りました。

金がありませんので、宿泊代を稼ぐためホテル代替わりに夜間バスを利用します。

米国は広いものですから、主要都市間の移動はそのくらい移動時間が掛かります。

西海岸から東海岸のニューヨークやワシントンDCなど・・・。

米国の象徴「自由の女神」です。

この像の中がらせん階段になっていて、てっぺんの冠の窓から一望できます。

ホワイトハウス前でパチリです。

テキサス州など、まだ原住民がその姿のままで生活(露天商など)していました。

ロスのディズニーランドのチケットです。

ここも一人で観光です。

*日本のディズニーランドは行ったことはありません。

時にはレンタカーも借りました。

ほとんどが、一人旅行です。

途中、仲間が出来ると共に同じ方向(街)まで一緒になることもありました。

金を節約するため、ほとんどがYMCAなどの安ホテルです。

5~7$くらいです。

日本の感覚で言えば一泊1000円くらいでしょうか?

そんな宿ばかり探していました。

安い分、危険と隣り合わせです。

いろいろとありました・・・。

やがて、カルフォルニア州のオークランドと言う街に定住いたしました。

その時のアパートの鍵です。

考えてみれば、アパートの鍵や当時の領収証やチケットなども保存していました。

同居人に頼んで間借りしていました。

これでも生活は十分で不足はありません。

日本に電話するにしても、3分で3000円くらいだったかと思います。

逆に日本から電話するにしても、誰が出ても電話代がかかるステーショントゥステーションと、その方(名指し)が出てから料金が発生するパーソントゥパーソンと言う仕組みもありました。

英会話を学ぶためにパブリックスクールに通いました。

また、バイトもしました。

ガーディナー(芝刈りなど)やペンキ塗り、そして日本食レストランもです。

日本食レストランは、もちろん仲間とは日本語ですので憩いの場にもなりました。

昼と夜食付きですので、大変助かりました。

いつも日に2食生活でした。

学校とレストランで働く日々で、睡眠時間も6時間くらいでしたね。

日本では想像できないくらいの高い給料(週払い)です。

当時のサラリーマンの給料が、アルバイトの週給くらいでした。

こんな車も安く手に入れました。

橋を渡って、隣街のサンフランシスコには週末には遊びに行っていました。

サンフランシスコにある日本人街のピアノバーが何件かありました。

とみ子・歌舞伎・東京などの店名です。

アポロ13号が月面着陸しいました。

11号の時は、たしかニューヨークにいたかと思います。

住まいの近所にも日系人がいて、大変お世話になりました。

仕送りなんかありませんので、生活は苦しく食費を抑えてスーパーで脂身ばかりのベーコンやジャガイモでシチューを作り4~5日はそれを食べ続けていました。

時には身の回りもモノを売り払って生活費にしたこともあります。

その時に使用した、バスの時間表や貨幣などです。

下の小さなコインはトークンと言って、バス専用の乗車コインでした。

こうしてアルバムを片付けていると、当時のことが思い出されます。

若いっていいなぁ~と振り返っています。

良い経験でしたが、同じことは出来ないと思う年齢です。

帰国はハワイ経由で飛行機を利用しました。

何かあった時には直ぐに帰国できるように帰国のチケットは渡米するときに買っておいたのです。

当時は「日付変更線通過記念証」が発行されていました。

機内のメニューです。

久しぶりに日本食らしい食事に有りつけました。

その後、米国出張の際に昔住んでいたアパートを訪ねました。

どなたが住んでいるかは分かりません。

懐かしい、青春時代の思い出たくさん詰まったアルバムを処分いたしました。

自分の原点はここにあると思っています。

また、何かの機会に拙ブロブに残したいと思っています。

自分の思い出を処分するって、結構辛いですね。

 

Hiro