太宰治展
5時半起床。だらだら。
今日は姉夫婦と神奈川近代文学館で「太宰治展」を見に行った。結構じっくり見れて良かった。
太宰治は故郷津軽の裕福な家系に生まれ、兄や姉に囲まれて育った。若かりし頃、芥川龍之介に傾倒しすぎて素行がおかしくなり、兄から小説を絶ち、しばらく勉学に励むよう言われ、素直に兄の指示に従い、感謝状を送る素直なところがあった。
元来、太宰治は素直すぎるのである。自意識過剰であるとともに他意識も過剰であり、いつも自分と他人との関係に怯えるほどの繊細な素直さを持ち合わせていたのだろう。だから人に優しくされると素直に感謝し、悪い輩にも素直に巻かれてしまうところがあった。酒に溺れ、女に溺れ、薬に溺れる苦痛の日々を送ったことは戦争という混乱した時代の影響かもしれない。太宰はニヒリズムを持って戦争を見ていたというより、日々の自分の生活で精一杯であったのかもしれぬ。彼は自分の弱さを嘲笑して、かつそれを人間の本質として私小説を書いた。彼の心の嘔吐は、誰もが抱える人間の弱さに通じる。だから多感な人間ほど、つい太宰に共感してしまうのである。
もし彼が私小説ではなく、純粋に文学という芸術のために小説を書いていたなら、かつそれが彼の目的であったなら、彼はまた異なった文豪として名を連ねたであろう。実際、そういう時期もあった「富嶽百景」に見られる”富士には月見草がよく似合う”というのは、その太宰の心意気でもあった。しかし太宰は折れてしまう。
太宰は自分の弱さと人間の弱さを重ねあわせて書いた。そして自分の弱さを貫き通して、究極の私小説を書き上げてしまったのである。太宰治の後に私小説なしと言っても過言ではないであろう。享年39歳。
後記
「Foundamentals of OpenStack」 (Vishal Shukla) (P.53/105)読了。
5時半起床。だらだら。
今日は姉夫婦と神奈川近代文学館で「太宰治展」を見に行った。結構じっくり見れて良かった。
太宰治は故郷津軽の裕福な家系に生まれ、兄や姉に囲まれて育った。若かりし頃、芥川龍之介に傾倒しすぎて素行がおかしくなり、兄から小説を絶ち、しばらく勉学に励むよう言われ、素直に兄の指示に従い、感謝状を送る素直なところがあった。
元来、太宰治は素直すぎるのである。自意識過剰であるとともに他意識も過剰であり、いつも自分と他人との関係に怯えるほどの繊細な素直さを持ち合わせていたのだろう。だから人に優しくされると素直に感謝し、悪い輩にも素直に巻かれてしまうところがあった。酒に溺れ、女に溺れ、薬に溺れる苦痛の日々を送ったことは戦争という混乱した時代の影響かもしれない。太宰はニヒリズムを持って戦争を見ていたというより、日々の自分の生活で精一杯であったのかもしれぬ。彼は自分の弱さを嘲笑して、かつそれを人間の本質として私小説を書いた。彼の心の嘔吐は、誰もが抱える人間の弱さに通じる。だから多感な人間ほど、つい太宰に共感してしまうのである。
もし彼が私小説ではなく、純粋に文学という芸術のために小説を書いていたなら、かつそれが彼の目的であったなら、彼はまた異なった文豪として名を連ねたであろう。実際、そういう時期もあった「富嶽百景」に見られる”富士には月見草がよく似合う”というのは、その太宰の心意気でもあった。しかし太宰は折れてしまう。
太宰は自分の弱さと人間の弱さを重ねあわせて書いた。そして自分の弱さを貫き通して、究極の私小説を書き上げてしまったのである。太宰治の後に私小説なしと言っても過言ではないであろう。享年39歳。
後記
「Foundamentals of OpenStack」 (Vishal Shukla) (P.53/105)読了。