ナカナカピエロ おきらくごくらく

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

2011-03-21 02:22:19 | 日記


小さい頃、よく、おたまじゃくしを取って遊んだ。

水槽に入れておくと前足が生え、後ろ足が出てくると、ぴょんぴょん跳ねるようになる。

一回、大量のおたまじゃくしを取った時、後ろ足が生えて、ぴょんぴょん跳ねるようになった時点で、庭に離したことがある。

それから長い年数がすぎた。

中学生か高校生だった頃、飼い犬がワンワン吠えているので、様子を見に行ったら、でかいガマ蛙が飼い犬とにらめっ子していた。その時、私は幼少の頃を思い出し、おまえは、あの時の蛙なのか、と問いかけてみた。

とりあえず飼い犬から離れた反対側の庭に持って行き、達者で暮らせと言い、離してやった。

何となくだが、そのガマ蛙が我が家の守り神のように思えた。

後記
障害対応で会社から呼び出し。
3連休のはずが、2日潰れ、1日しか休めず。トホホ。。。
日本って何だろうと改めて、その定義を問うてみる。
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決死のハイキング

2011-03-20 00:36:45 | 日記
決死のハイキング

私は親友とよくハイキングに行く。
また暖かくなったら、どこか行きたいと思っている。

これまで鎌倉のハイキングコースや箱根の旧街道や高尾山など、結構行っている。複数の経路があると、ほぼ確実にハードなハイキングコースを私たちは選択する。

20代のころは親友より先に歩いていたが、30代をすぎると、逆になってしまった。親友は身軽でひょいひょいと歩いているが、私は、はあはあ言いながらやっとの思いで歩く。また薬の副作用もあり喉がカラカラになるため、水分補給しながら歩かなければならない。今回はその中でも一番つらかった時のことをお話する。確か晴天で夏になる前の比較的暖かい時期だったような気がする。

多分、箱根方面だったような気がする。10時半ごろ、私たちは、山の中腹にあるお寺を目指して歩いていた。道すがら、売店や食事処、弁当屋があったが、まだ早いなと言って、もうちょっと上に行けば何かあるんじゃねえか、と言って食料も水も買わず、寺の本堂まで来てしまった。

そこで親友が、あれっ、こっちにハイキングコースがあるけど行ってみようか、と言って、食料も水も持たないままハイキングコースに入って行った。これが間違えの始まり。道は、けもの道で険しく、大きく起伏があり、私はフラフラになりながら、歩き続けた。飢渇くとはこのことだ。私は休み休みしながら歩いた。まさに脱水症状寸前。

杉林のけもの道の途中で、私は野イチゴを一つ見つけた。私は、これは神様からの贈り物だと思い、口に入れた。そうすると野イチゴが、食道を通って、胃に落ち、消化され、血液とともに栄養が全身に行き渡るのが手に取るように分かった。それだけ、体がエネルギーを欲していたのである。

ほうほうのていで、ハイキングコースから抜け出し、とある境内にたどり着いた。親友は大分待ったようだった。寺にはわき水があった。親友は、好きなだけ水が飲めるぞ、と言った。私は5,6杯ほど、わき水を飲んだ。また自販機でCCレモンを買って飲んだ。そこで、ようやく落ち着いた。

日帰り温泉があるから行こうということになり、そこで体重を測ったら、4キロほど体重が減っていた。温泉に浸かって血液の循環が良くなると、急にお腹がすき始めた。

その後、親友と居酒屋へ入り、お互いの労をねぎらった。

自宅に戻り、体重計で測ったら、体重は元に戻っていた。それを見て、私はなんとも複雑な心境になるのであった。
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街道をゆく

2011-03-19 00:49:22 | 日記
街道をゆく

司馬遼太郎と言えば、誰もが知っているだろう。

坂の上の雲、竜馬がゆく、など多数の名作を残された稀有の人である。しかしながら、私はそれらを殆ど読んでいない。そのあまりの長編にどうも手が出ないのだが、いつか読んでみたいと思う。

私が読んだのは短編ばかり。果心居士の幻術、殉死、新選組血風録、ってなところ。。。どれも皆面白い。

「街道をゆく」は司馬遼太郎が歴史の跡を辿る紀行録だ。実はこれも読んでいない。でもNHKの番組「街道をゆく」のビデオを2本持っている。司馬遼太郎が歩いた跡を映像で追って行く。とても良い番組だ。DVD-BOX が販売されているが、価格が高い。

こういう物には頓着せずに購入する私が迷っている。うーん。ボーナスが出たら買おうかな。

いつか私も街道にゆく。
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弱法師

2011-03-18 00:25:15 | 日記
弱法師

弱法師は三島由紀夫の近代能楽集に収められた戯曲集の1つである。近代能楽集は以前読んだことがあり、好きな本の一つである。

近代能楽集の中で、特に弱法師が強烈に記憶に残っている。それは劇場に足を運び、演劇の舞台を生で観たからだ。蜷川幸雄演出。藤原竜也主演。卒塔婆小町との二本立て。しかし圧倒的に強烈に記憶に残っているのは、弱法師だった。

舞台装置は真に簡素。戦争で目が見えなくなった男のお話なのだが、弱法師の告白が始まると、周囲の登場人物が消えていき、まさに弱法師の一人舞台となる。

弱法師の告白は、戦争での体験を生々しく語り、次第に精神状態が耐えきれないほど、告白は熱を帯びエスカレートしていく。そのすさまじい体験を狂おしく叫ぶ、その恐怖が自分が見た最後の光景であると嘆く。

この熱演ぶりを蜷川幸雄が演出し、藤原竜也が演ずる。テレビで見る藤原竜也は、あまり印象が少なく興味をもたなかったが、この舞台での存在感は圧倒的だった。私は、その時、この人は舞台栄えする人なんだな、と感じた。

とにかく、数少ない私の舞台観劇の中でも、もっとも心に焼きついた舞台だった。

後記
その後、藤原竜也主演の映画「カメレオン」を観た。この時の藤原竜也はカッコ良かった。
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死体の足

2011-03-17 02:19:48 | 日記
死体の足

2011.01.16 「死体の腕」と題したブログを書いたが、ついに足までも死体と化した。まるで血が通っておらず、だらりとして動かなかった。感覚もなく、死体のように冷たかった。何回か転んだ後、ようやく足は元に戻った。

私は、カフカの書いたグレゴリー・ザムザのようになって、生きて行くのではないか。せめて、早熟の天才ラディゲのように「三日のうちに、僕は神様の兵隊に銃殺されるんだ。」と言って死にたいが、私の場合、どうもそうではないようである。

私は、エレファントマンが叫ぶ、「 I'm human being ! 」とは何か拮抗している気がする。私は人間のような姿をしているが、人間ではないような気がする時がある。そう。私は怪物なのだと。(「屋上の幻想」冒頭の詩)
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天気図

2011-03-16 01:01:22 | 日記
天気図

高校か中学の時か忘れたが、夏休みの宿題で、天気図を作らされことがある。NHKのラジオで朝早く、経度・緯度とその地点でのへストパスカルが放送されるので、テープレコーダで録音し、そのデータを元に、地図に記録して線を結べば出来上がりだ。

私は丁度、台風が来る頃に作成したため、渦巻きを書くのが、楽しかった。一週間ぐらいは記録しただろうか。

すくなくとも天気図ぐらいは読めるようになってほしい。一般常識として。

かくゆう私は、天気図は読めるが、地図が読めない。地図を持って行っても、方向音痴のため、必ず道に迷ってしまう。って、だめじゃん!

よって私は、人のことをあれこれ言える分際ではないのである。

後記
今日行ったら、障害調査に必要なマシンだけ復活していた。明日の午前中には対策会議。今日の午後にはインフラも復旧した。今は、皆、自分がやれることをやろうじゃないか。。。
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寮委員 寮祭編

2011-03-15 00:58:26 | 日記
寮委員 寮祭編

毎年、寮祭を実施していた。
食事調達や催し物など分担が決められ、準備する。

大体、私は催し物担当。ビンゴ必須で、あとはオプションで一つ催し物を考える。おもちゃのボクシングでトーナメント戦などしたりとか、してたっけ。(わかりやすく言うと、紙相撲のちょっとした上等なやつとイメージしてもらえれば良いです。)

催し物担当は、景品を用意しておかなければならない。これが、結構楽しい。普段なら絶対買わないような物が買えるからだ。

いつぞや、同じ催し物担当の年上の寮委員二人と買い物を行ったことがある。この先輩寮委員が、二人とも、ふざけた人で、一位の商品は、これが良いんじゃない、っと行ってみたら、等身大の黒人彫刻の置物。選ぶもの全て、もらっても全くうれしくなく、逆に迷惑するものばかり。さすがの私も、この二人の暴走を止めるのに必至だった。

寮祭の時は、外からの来客もいるので受付もしなければならないし、食事を出したり、片づけたり、司会進行役もやらなければならず、忙しい。

寮祭が終わり、片づけが終わった後、ささやかな寮委員だけの寮祭が始まるのである。

後記
今日は買いだしに行って、日持ちしそうな物を手当たり次第、買ってきました。2,3日凌げる食べ物、水、懐中電灯を用意した方が良いです。お風呂も予備水として水を張った方が良いです。皆さんの御無事を祈ります。
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寮委員 防災訓練編

2011-03-14 00:32:43 | 日記
寮委員 防災訓練編

毎年、防災訓練を実施していた。

消防署の協力を得て、指導を仰ぐ。大体は地震で火災が発生するという設定で、まず最初に火点を決め、消火実施。被害が拡大したと想定して、消防署に連絡。寮内放送で寮委員に召集がかかり、各位分隊を決め、入寮者に避難指示、誘導。避難場所に集め、人数を確認し、避難していない入寮者がいた場合は部屋まで行き、安否確認。確認後、ようやく避難完了する。消防署の人には、これらの対応について、総評を述べて頂く。

その後は毎年かわるのだが、消火器を使って実際に消火をしてもらったり、放水訓練で実際に2階に取り付けた的をめがけて放水体験をしてもらったり、また地震車、煙体験をしてもらったりと、今を思うと非常に貴重な体験をさせてもらった。

会社でも毎年、避難訓練はやっている。だから今回の地震も適切に対応できたと思っている。

とにかく、避難訓練は絶対やっておくべきだと思う。
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寮委員 大掃除編

2011-03-13 03:20:58 | 日記
寮委員 大掃除編

寮生活を送っていた頃、3年程、寮委員をやったことがある。その寮は結構新しく、私が入居した時は、築5年ぐらで、まるでホテルのような建造物だった。

寮委員になって、まず最初の大仕事が倉庫の清掃だった。倉庫は、これまで無法地帯だっため、ごみだめとかしていた。過去の寮委員がさぼっていたのである。

倉庫は全部で7~8室ぐらいあった。全て、ごみだめになっていた。私はまず計画を立案し、委員会でそれを承認してもらい、実行した。倉庫の状況から日程を立て、倉庫にあるものを全て一旦出して並べ、持ち主は一旦自室に引き取ってもらい、倉庫に通路を設けた。1週間程陳列した後、持ち主不明のものは破棄。引き取って持ち帰ってもらったものについては、部屋番号と名前を記載して置くようルール化した。寮始まって以来の大仕事であった。

私は、やると一旦言ったら、手段を選ばず、力ずくでも、必ずやり遂げる人間だ。だから腕力を鍛えておけ、というのである。
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地震

2011-03-12 03:53:02 | 日記
地震

やっぱ、この話でしょう。
こんな大きいのは、生まれて初めて。しかも縦揺れ。

会社の電源は全て落ち、パソコンはおろかサーバまで。。
果たして、再起動でき復旧できるのか?

午後一の会議で障害調査の打ち合わせをして、土日も出勤か、って状態だったけど、全部吹きとんだ。

地震が起こった時、机の下で隠れ、ヘルメットを着用。消防隊の誘導で避難場所へ移動。外に出ても建物がぐにゃぐにゃして、窓ガラスが割れる被害が。パソコンなども机から落ちていた。安全確認に一時間半ぐらい掛かり、やっと建屋に入ることができ、手荷物を持って、歩いて帰宅。

歩きながら、家族へ電話。無事確認。
自然は恐ろしい。歩きながら、被災地の人を思うと、涙が流れた。

何とか日が落ちるまでに帰宅。電気、水道も止まったまま。ろうそくで凌ぐ。電気、水道が復旧して、テレビをつけるとすさまじい有様を目の当たりにする。

とにかく会社の人も家族も皆、生きていて良かった。生きていられることのありがたみを神に感謝せねば。
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