ナカナカピエロ おきらくごくらく

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アンディ ウォーホール

2011-03-11 02:08:24 | 日記
アンディ ウォーホール

アンディ ウォーホールは、ポップアート界の第一人者であった。

彼は、資本主義で利益を得た裕福層が高額なお金で芸術品を売買するのを皮肉り、マリリン・モンローやエリザベス・テイラーの顔をシルクスクリーンで量産して、芸術の価値について一石を投じた。彼の死後、そのシルクスクリーンは、高額なお金で売買されている。彼がそのことを知ったらどう思うであろうか?

とある美術館で、アンディ ウォーホールが制作した映画を観に行ったことがある。場内は満員で人がごった返していて、席には座れず、立ち見していた。上映時間はなんと8時間。ストーリーはない。ただ無意味な映像が流れるだけ。途中で退席する人や、地べたに座り込んで寝ている人も結構いた。私もさすがにつらくて途中から地べたに座り込んで見ていた。アンディ ウォーホールは、この映画に興味を持って観る人を退屈させるために制作したらしい。

アンディ ウォーホールは、常に世を冷めた目で見ていたアーティストだった。
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ムンクの叫び

2011-03-10 01:39:30 | 日記
ムンクの叫び

ムンクの叫びは、実は梅干しを食べた時のすっぱい顔なんですっ。。。って、皆さん同じ思いの方も多いはず。

多分、大方知っている人はいないと思うが、とあるソフトウェアのサブコマンドに”munch”という名前のコマンドがある。”munch”には、むしゃむしゃ食べるという意味があるらしい。誰がどのような経緯で命名したのかは分からない。

名前のないものに名前をつける時には、結構、その人のセンスが問われる。また一旦名付けた名前は簡単には変更できないため、変な名前をつけてしまうと、後世までバカ!って言われ続けててしまう。

こう言う時、私は、いつもウケを狙ってしまう。面白ければ、いいじゃん!というのが、私のポリシーだ。そういう不純な動機があるため、私の案は常にボツにされる。まあ、当たり前だろう。
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ルノアール

2011-03-09 04:10:01 | 日記
ルノアール

ルノアールが描く女性は豊穣である。

しかし、私には、どうも喫茶店のルノアールの方に縁があるらしい。昔、とある標準規格の委員をやっていた頃、毎週土日、英語で書かれた大量のIssue Listを読むため、ルノアールに通いつめたことがある。もちろん仕事中にそんな暇はないからだ。これは精神衛生上、非常に良くない。

ところで、ルノアールには二つ不可解なことがある。一つは、いやに年齢層が高いこと。もう一つは、いきなり座ると後ろにひっくり返りそうな程ふかふかのソファがあること。

その謎は未だに分かっていない。

後記
最近、残業して少しでも無理をすると、必ずや、頭痛になる。もうそろそろ、潮時かもしれぬ。そんな時、まるでこのブログが、太宰治の未完の短編「グット・バイ」のように思えてくるのである。まあ、内容は比べようかありませんがね。へへ。。
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ゴッホ

2011-03-08 01:21:12 | 日記
ゴッホ

ゴッホのひまわりは燃えている。

情熱的なゴッホの絵も好きだが、ひそかに私は「夜のカフェテラス」が好きである。こんな夜道を歩いてみたいもんだと思う。

昔、ゴッホ特集でドラマ仕立てのドキュメント番組を見たことがある。配役は仲代達也。完全にはまり役だ。ゴッホになりきっていた。

ゴッホは何故病んでしまったのだろう。未だによく分からない。いつかゴッホと向き合いたいと思っている。

不謹慎だが、ゴッホをネタにした持ちギャクがある。上長から「明日までにきっちり仕上げて、耳そろえてもってこい!」と言われた時に「今、両耳をかみそりで切り落として、その耳をそろえることだったら、すぐできますけど。By ゴッホ。って、その耳ちゃうやんけ!」という一人ボケ・ツッコミ。本当は、デビット・リンチの「ブルーベルベット」と言いたいところだが、多分知らない人が多いと思うので、メジャーなゴッホに軍配あり。

誠にゴッホには失礼千万だ。ここで懺悔しておこう。
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マチスとピカソ

2011-03-07 00:40:17 | 日記
マチスとピカソ

マチスとピカソ。

二人の芸術家を二人の芸術家が追った番組があった。マチスは池田満寿夫で、ピカソは横尾忠則。ピカソは随分とマチスを意識していたらしい。

どちらが好きな画家か?と問われたら、私はマチスかな。色使いがとても良くて、切絵のダンスなどは、音楽を聞いているみたいで楽しい。

その番組の最後で、マチスが手掛けた教会が紹介された。ロザリオ礼拝堂という白い教会。その教会があまりに素晴らしく、私はとても感動した。

教会の中は白いタイルで覆われ、聖書に出てくるお話をもじったデッサンが描かれているだけだが、その白いタイルに夕日が指す時、ステンドグラスの様々な色がタイルにうつり、何とも言えない淡い色が、その聖画を引き立てるのだ。一度たりとも同じ色合いになることなく、日々刻々と違う姿を見せる。まるで神様のいたずらのように。

それ以来、私はすっかりマチスの虜になってしまった。

私はマチス。みなさんは?
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岡本太郎

2011-03-06 01:25:00 | 日記
岡本太郎

岡本太郎生誕100周年。

現在、「TAROの塔」と題したドラマがNHKで放送されている。とても面白いので是非興味のある方は見てほしい。ここには、岡本太郎の知られざる内面が描かれている。

岡本太郎美術館へ見に行ったことがある。色々な作品を見たが、「うーん」と唸ってしまう。一体これは何なんだろうか!わからん!というのが正直な感想だ。でも何故か惹かれてしまう。

多分そこが岡本太郎の魅力ではないだろうか。生前は独特のパフォーマンスで知られていたが、文章などを見るとしっかりした価値観を持っているのが分かる。要するに彼は存在からして、芸術家だったのだろう。

ピカソは小さい時から正確にものを書くことしかできなかったという。ピカソは何十年もの時をかけて、子供が書くような絵を身につけたと言っている。

芸術は爆発だ、と名言を残した岡本太郎はパッションそのものなのかもしれない。

実は岡本太郎で好きな作品が一つある。

確か太陽神戸銀行のシンボルマーク。岡本太郎がデザインしたと記憶している。父は太陽神戸銀行に務めていた。

このマークが世の中から消えた時、少し寂しかった。
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中学校の体育教師

2011-03-05 00:11:08 | 日記
中学校の体育教師

少し中学時代のことを書いたので、今日は中学校の体育教師について語ろう。

中学の時の体育教師は3年間変わらなかった。
体育の教師は3人いたが、その中には、何かあるとすぐに怒鳴る怖い体育教師がいた。だから一番温和そうな顔の先生が担当と知るや、私は安堵した。しかしその後、その3人の中でも、もっとも悪質で、悪魔のような先生だとは知るよしもなかった。

前のブログにも書いたが、復習しておこう。同じクラスで、同じバスケットボール部の友達がいて仲が良かったが、おかっぱ頭で髪が長かった。ある日、その体育教師がその友達に向かって、「おまえ、髪が長いなあ。後で俺のところに来い。」と言って、五厘に刈られ丸坊主にされたのは、すでに書いた。実は、私も後日言われ、慌てて床屋に行ったことがある。

そのほかにも色々とエピソードがある。

ある雨上がりの日、私たちはサッカーをしていた。ただ一人、リーゼントで頭をかためた不良の同窓生が、授業を見学し休んでいた。その不良は校庭の隅でサッカーボールを蹴って、遊んでいた。最後に整列しあいさつをして終わる時に、その不良に向かって「おまえ、後で血の雨ふらしてやるからな。」とその体育教師が言った。皆、冗談だと思って笑っていた。授業を終え教室に戻ろうと歩き始め、下駄箱のところで振り返ると、その不良は直立不動で謝されながら、何度も何度も足払いされて倒され泥だらけになっていた。まさに血祭りだ。さすがに皆、「かわいそう」と声を漏らしていた。

とある日、体育館で授業するはずだったが、皆出遅れたため、女子に体育館を占有されてしまった。「おまえら、何していたんだ」とその体育教師は低い声で言い、皆、緊迫感にかられた。私はずるいもので、それを感じるや、海老のように、すうーっと後ずさりした。その後、思った通り、その体育教師は近くにいる生徒を見境もなく、殴りつけた。ある友達は、もろ溝落ちを殴られ、うめき声をあげながら倒れていた。

また、とある保健の時間。性教育の時にいつも周りからいじめられているやつの名前を呼び、「おまえ、パンツ脱げ」と言った。本当に最低なやろうだ。

その後、他クラスの不良を殴り、口の中を切らせて三針縫うという騒動があり、さすがにPTAで問題になったのか、しばらく、その体育教師はおとなしくしていた。

今だったら、即懲戒解雇になっていたであろう。
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プラネタリウム

2011-03-04 00:37:51 | 日記
プラネタリウム

プラネタリウムは好き。

都会では目にできない星空が見れてうれしい。
大学生だった頃、池袋のサンシャイン60にあったプラネタリウムに友達と行ったことがある。

ところで、プラネタリウムは自作できることを皆さん御存知だろうか?世の中には地球儀に加え、天球儀なるものがある。天球儀には夜の星空を丸い球儀にとどめて、宇宙の地図が記録されている。その天球儀を赤道に沿って半分に割り、星の部分に穴をあけ、周りをテントのように暗幕にして、後は半分に割った天球儀の中から電球をつけてまわせば、プラネタリウムになる。これが結構、さまになって面白い。

実はこれは中学の文化祭で科学部がやっていたことの受け売りである。

文化祭では、そのプラネタリウムが、とても面白そうだったので友達と一緒に暗幕に入った。中では科学部の人が天球儀をゆっくりまわしながら説明していた。

そこで私はいたずらをして、その天球儀の端をわしづかみにして、動かないようにしてやった。相手もさるもの、何とかまわそうと必至になり、満天の星空が行きつ戻りつして、一進一退の攻防に。ああ、満天の星空の運命は如何に。私はおかしくて友達と一緒に笑いを堪えていた。

さすがにどうしようもなくなったのか、「すいません。やめてもらえますか。」と言われた。私は詫びを入れて、天球儀から手を離し、満足げに、けたけた笑いながら暗幕の外へ出て行った。

全く私の悪がきぶりは、とどまることを知らなかった。
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動物園

2011-03-03 01:22:15 | 日記
動物園

小田原城のそばにちょっとした動物園がある。
そこに象がいるのだが、いたたまれない。象がいる場所が自分の体と同じ大きさしかなく、観覧客との間には深い溝があって、身動きできないからだ。象は何度も溝を超えようと足を伸ばすがとどかない。何度も何度もその繰り返す様を見てしまうと、何か悲しくなる。大草原の上で思いっきり走らせてあげたいと思う。

横浜のズーラシアに行ったこともあるが、これもいたたまれなかった。檻に入れたれたオラウータンを見て私は愕然とした。なぜなら、そのオラウータンは怯えた目でこちらを見ていたからだ。もし自分がそのオラウータンだったら、っと思うとぞっとする。

私には、もう動物園は楽しい場所ではなくなった。
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2011-03-02 01:05:29 | 日記


高校の時、自分が猫型か犬型か、について友人と話したことがある。その時は、完全に犬型と思っていたが、途中からどうやら私は猫型のようだと思うようになった。そう言えば私の詩集「屋上の幻想」にも猫は登場するが、犬はでてこなかったと思う。

まあ、本当は一匹狼なんですけど。

昔、私が会社の寮にいた頃、近くにごみ焼却場があって、その周りを囲うように結構大きな森林公園があった。その公園には一回りするようにジョギングコースがあり、早く帰れた時や土日の夕方に、私はよくジョギングした。その森で、私は数匹の猫をよく見かけていた。

ある日、ジョギングが終わり、芝生の上でストレッチをしていたところ、知らないおばさんが近寄ってきて袋を手渡され、これを猫にやってくれと頼まれた。中にはキャットフードが入っていた。一匹二匹に餌をやっていると、どんどん集まって、10匹くらいの猫に囲われた。私は皆が平等に餌が食べれるよう適当にばらまくと、私を警戒しながらも猫たちは餌を取って食べていた。

その中で一匹だけ足を引きずってこちらに近寄ってくる黒猫がいた。その猫は肝がすわっているのか、あぐらをかいて座っている私の足の上に乗り、まるでそこが吾輩の場所であるかのようにまるまった。私はその猫の首を揉んでやった。

餌がなくなり、いつまでも居てあげたいと思ったが、私は猫たちに別れを告げた。

一期一会とはこういうものだ。
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