両親の頑張らない介護 ~日々のつぶやき~

継父令和2年7月他界、実母要介護3在宅で介護中、義父平成30年4月他界、義母要介護4施設入所

昔の

2011年06月05日 | 母の事
今日は自宅待機。

最近の気温の差があるせいか、体が重い。


ん・・・・???


太っかぁ????


そろそろ半袖の季節。

ガッチリした、二の腕が袖から出る季節。


母の介護を始めて2年半になる。
それほど母に対して力を使う事はないのですが、
日々の積み重ねか、二の腕は筋肉でムキムキ。



昔は、細かったのにね~~


と変わり果てた私の二の腕ちゃんにつぶやく。



昔といえば、

昨日、デイで、


『今、一番逢いたい人は誰ですか?』


というお題で皆さんとおしゃべりしたそうです。


ちなみに母の答えは、もちろんこの方!!



母「私が逢いたい人は、


  ○○さん(若くして亡くなった私の実父)」


  ホント、いい人だった」





と答えたとスタッフの方から聞きました。



スタッフ「ほんと、お優しくて、
   
      いい方だったとお話してくださいました」

  
  

そうなんです、ほんと、優しい父でした。


私、8歳の時の父の記憶。

父はとても穏やかな人で、声を荒げて怒る事はなく、

仕事から早く帰ると私達姉妹3人を外に連れ出し、

公園で遊んだ記憶が残っています。


反対に、母はヒステリックにいつも怒っていたのを記憶しています(笑)



その父が、ある日突然、職場で倒れ、一週間後に亡くなりました。



入院中は母の代わりに祖母が来てくれていて、

お見舞いも、祖母と一緒に行った記憶があります。


病室に入ると、青い顔をした母がいました。

父は、大きな機械に囲まれ、点滴のチューブがいくつも繋がれた状態。


母「お父さん、子供達来たんだよ!!


  分かる?」



涙声の母。


父の返事ありません。


代わりに、

人工呼吸器のシュー・シューという規則正しい音だけが病室に響いていました。



今でもこの光景・音は記憶として残っています。



その数年後、今度は母が人工呼吸器をつけ、

私が母に話しかけても返事はなく、

あの時と同じ、人工呼吸器の規則正しい音だけ。

唯一違うのは、機械が進化して音が静かだったこと。

そして、母は生還。


来月、父の命日がきます。

この日、母は自宅待機の日。

どんな風に過ごそうかな・・・。


コメント
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