両親の頑張らない介護 ~日々のつぶやき~

継父令和2年7月他界、実母要介護3在宅で介護中、義父平成30年4月他界、義母要介護4施設入所

真逆な両親の思い出

2014年09月24日 | 母の事
今日は自宅待機中の母でございます。今日も朝の5時半に起きまして、ちゃんとおトイレで無事成功でございます。

この朝が決まると、朝からスムーズに事が進み、気持ちも多少はいいですね。



さて昨日はデイでした。

久々に来たスタッフさんが送迎で来ました。

この方、あれやこれやと色々とデイでの母の様子を教えてくれる方です。


「先日は敬老会のエピソードを教えて下さりありがとうございました。

皆さんの今までの生きてきた証というか歴史をね、皆さんに紹介して、

どんな時代を生きてきて今があるのかっていうことをお話しました。


皆さんね、人生いろいろですよ。ほんとね、私たちスタッフも勉強になりますし、

その時の時代風景もね、わかるし。


でね、❍❍さん(母)の話もね、少ししました。

お母さまの裁縫はお上手だった話とか、ご自分もレース編みとか好きでされていたとかね。

お兄さま2人の下の末っ子の女の子で、可愛がられて育ったのでしょう・・・とかね。



でね、お母さまの話になるとニッコリだったのがとても印象的でね。

仲がよろしかったのでしょうね」




まあ、祖母(母の母親)とは確かに仲は良かったですね、一人娘だったし。

祖母はちょっと破天荒な人で、子供みたいな人でした。

なので、ちょっと 『変わり者』 と周りの大人からはそう見られていました。

しかし、孫には大ウケで、いたずらっぽ、ちょっと首をすくめ笑うおばあちゃんが大好きでしたね。

祖父(母の父親)は祖母とは真逆の人。ものすごく細やかな人で、外にでるときは紳士な帽子をかぶり、

ズボンのポッケには懐中時計が入っていました。

後ろから見てもおじいちゃんとわかるダンディーな帽子。

その姿をよく学校帰りに見かけ、同級生と一緒に帰る事がありました。

祖父は1ヶ月に一度、私たちが以前住んでいた近くに大きな病院があり、そこに通院していました。

帰りは必ず病院の売店で買った孫3人分のお菓子をぶら下げて、娘である母のところに来るのが日課でした。

一人娘だったこともあり、亡くなる少し前に「何かに使え」と言い、お金をもらったそうです。

さすがに母も断ったようですが、祖父に押し切られる形でもらうことに。

しかしこれが後々、長男の耳に入り、ちょっとモメました。お金のことですからね。


まあ、母の両親はこんな感じ。

真逆な夫婦だったので、まあまあ波瀾万丈な幼少期だったと母に何度となく聞いたことがあります。

まさか、そんな話は披露できないので(笑)、きれいにまとめてみましたが、

母には自分の幼少期の記憶はまだらで残っているので、そこ辺りで思い当たるフシがあり、

笑っていたのではないか??と想像します(笑)



さてそんな母。先日も書きましたが、秋のお習字です。

今回期待?!を裏切り(笑)、こんな感じ。


  



母の秋なら、「秋刀魚」とか「松茸」とか「柿・梨」とか、

『食』を書いて欲しかったな~なんて思っちゃいました。


お次はデッサンだそうです(笑)昨日書いたそうです(笑)

どんな絵を書いたのか、楽しみです!!

秋刀魚こーーーーーーーーーい!!
コメント
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