先月、「能年のホットロード」を記した。
そして、公開初日に観る。
良く描かれていたと思う。
能年の和希は期待どおり、ほぼ原作のままの和希であった。
「まま」の和希とは、最高の評価のつもりです。
戸惑う目が本物で、この作品の為の唯一の女優、という思いを強くする。
意外だったのは春山役の登坂くん。
配役発表時、「原作」のイメージとは合っていないと感じていた。
原作の春山には茶目っ気があった。登坂くんにそれを求めるのは無理かな、と。
だが、登坂くんなりの春山がそこにしっかり存在していた。
この人の”落ち着き感”がいい。動揺のない目線、迷いのない口元、
なによりこの人には真摯な優しさが感じられた。。
映画初出演ということで、多少動きがぎこちなかったかも知れない。だが
そこが功を奏し、少しためらいがちに和希に接する「好ましい不器用」な春山が出現していた。
ある一場面のセリフ・・
「おばさん。こいつのこときらいなの。おれもらってっちゃうよ」
と、実に素直に春山が言う。
「おばさん?」でもなく「おばさん!」でもない・・・後に続くセリフも一切の抑揚がなく
気負いなく綺麗に素直に届く言葉。その誠実な声質に参ってしまった。
恐らく、これがそのままの登坂くんなのではないだろうか。
観終わって数日経ち、私は登坂くんの”優しさ”にまた会いたいと思っている。
この心理は誠に意外な展開だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/dc/2d2cd2ae04816397f6d2501da452ec53.jpg)
やはりこの場面のふたりが秀逸だ。
冒頭、「あの頃のあの子たちに会いたい」は、シンプルで好ましいと思っていたけれど、
映画レビューを読んでみると、先に時代背景を多少なりとも説明しないと分かりにくかったかなと思う。
しかし、いつの時代でも10代の心の揺らぎ、不安、抵抗感、厭世観は変わらない。底にある共通点を
見つめてほしい。
そして、公開初日に観る。
良く描かれていたと思う。
能年の和希は期待どおり、ほぼ原作のままの和希であった。
「まま」の和希とは、最高の評価のつもりです。
戸惑う目が本物で、この作品の為の唯一の女優、という思いを強くする。
意外だったのは春山役の登坂くん。
配役発表時、「原作」のイメージとは合っていないと感じていた。
原作の春山には茶目っ気があった。登坂くんにそれを求めるのは無理かな、と。
だが、登坂くんなりの春山がそこにしっかり存在していた。
この人の”落ち着き感”がいい。動揺のない目線、迷いのない口元、
なによりこの人には真摯な優しさが感じられた。。
映画初出演ということで、多少動きがぎこちなかったかも知れない。だが
そこが功を奏し、少しためらいがちに和希に接する「好ましい不器用」な春山が出現していた。
ある一場面のセリフ・・
「おばさん。こいつのこときらいなの。おれもらってっちゃうよ」
と、実に素直に春山が言う。
「おばさん?」でもなく「おばさん!」でもない・・・後に続くセリフも一切の抑揚がなく
気負いなく綺麗に素直に届く言葉。その誠実な声質に参ってしまった。
恐らく、これがそのままの登坂くんなのではないだろうか。
観終わって数日経ち、私は登坂くんの”優しさ”にまた会いたいと思っている。
この心理は誠に意外な展開だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/dc/2d2cd2ae04816397f6d2501da452ec53.jpg)
やはりこの場面のふたりが秀逸だ。
冒頭、「あの頃のあの子たちに会いたい」は、シンプルで好ましいと思っていたけれど、
映画レビューを読んでみると、先に時代背景を多少なりとも説明しないと分かりにくかったかなと思う。
しかし、いつの時代でも10代の心の揺らぎ、不安、抵抗感、厭世観は変わらない。底にある共通点を
見つめてほしい。