奈良散策 第634弾
11月11日、ふと思いついて田原本町にある「唐古・鍵考古学ミュージアム」に行ってみました。ここは弥生時代の唐古・鍵遺跡に関する展示があります。
この立派な建物は「田原本町青垣生涯学習センター」で、この中に田原本町公民館、弥生の里ホール、田原本町立図書館、それに、唐古・鍵考古学ミュージアムが入っています。
建物の入り口です。
唐古・鍵考古学ミュージアムは2階にあって、階段の踊り場にはこんな土器が飾られていました。唐古・鍵遺跡は弥生時代の集落ですが、周囲を環濠で囲まれていました。その環濠の壁にこんな土器があったようです。
2階に上がったところです。
ミュージアムは奥の方にありました。こちらは秋季企画展「王権誕生の地『ヤマト』~唐古・鍵、大福、纏向遺跡~」が開かれている部屋です。
そして、こちらがミュージアムの入り口でした。入場料は企画展との共通券が300円、JAF会員は50円引きでした。受付でボランティアの方の説明をお願いしますかと聞かれました。土器を見てもどうせ分からないだろうと思ってお願いすることにしました。
ボランティアの方は最初に地図を見せながら、唐古・鍵遺跡の発掘の歴史について説明してくれました。1936年に国道15号(現在の国道24号)建設に伴って唐古池の土取り工事が行われたのですが、以前、この場所からは弥生時代の遺物が出ることが知られていたので、工事と並行して発掘調査が行われました。その結果、池の底から、多数の遺物が見つかったということです。特に水に浸った状態だったので、木製品もそのまま発掘されたようです。この頃は、「唐古遺跡」と呼ばれていたのですが、その後、1977年にすぐ隣にある鍵池近くで環濠の跡が見つかったので、唐古の集落はさらに広い領域であることが分かりました。それで、現在では「唐古・鍵遺跡」と呼ばれるようになったということです。
発掘されたものについて詳しく説明していただいたのですが、あまりにたくさんあったので、どれがどれだか分からくなりました。説明が終わった後で、受付の人に写真を撮ってもよいかと聞いたら、フラッシュを焚かなければ結構ですというので、もう一度、会場の中を回って撮りました。この写真は入り口から内部を撮った写真です。
後は印象に残ったものだけ出すことにします。遺跡からは遺骨が出てきたのですが、それから復元した顔だそうです。ほとんど現代人と変わらない顔つきをしています。
これは畑を耕す道具だと思うのですが、確かに、木製のものがたくさん展示されていました。
唐古・鍵遺跡というと、屋根の端に渦巻き状の棟飾りがあるのが特徴ですが、実は土器にこんな絵があったからのようです。
それを再現して現在建物が復元されているようです。このような形状の建物は周辺の集落でも見られているのですが、実は大陸にはなかったとの説明でした。
さらに奥にもう一つ部屋がありました。
その中に綺麗なヒスイの勾玉がありました。左下にある、内部が空洞の石の中に入っていたそうです。宝石入れみたいなものだったのでしょうか。
土器の後ろに奇妙な人形が置かれていました。
こんな人形です。
実は土器に描かれたこんな絵から再現したようです。何か呪術的な行事に着る服装なのでしょうか。
ミニチュアの土器があったので、写しました。これもお供えに用いていたのでしょうね。
これは鶏の頭です。鶏は石上神社や伊勢神宮でも見られるように昔は聖なる鳥だとして扱われていたとのことです。
これも木製品です。奥の大きなものは臼のようです。
これは銅鐸を作るための鋳型で、鋳型が見つかるのは珍しいという話でした。
こちらは企画展の内部です。ここでは説明を頼まなかったので、あまりよく分かりませんでした。
ただ、小さな骨のかけらから魚の種類を同定しているのには驚きました。DNAでも調べたのでしょうか。受付の人に展示目録がお買い得ですよと言われたので買うことにしました。200円でした。
説明では唐古・鍵遺跡で見つかったのは弓とか石刀くらいで、いわゆる武器は見つからなかったとのことです。たぶん、平和に暮らしていたのでしょう。ボランティアの方の話を聞いていると、弥生時代の生活についてはずいぶん詳しく分かっているなぁという印象を受けました。この唐古・鍵遺跡とその周辺に広く分布する集落は「ヤマト」と呼ばれる「クニ」を形成していたようですが、この「ヤマト」と大和政権や豪族が活躍する古墳時代以降には大きなギャップがあるように感じました。