タイトルどおり、初めて読む分にはいい本だと思います。現代美術を鑑賞するといういうことに関して。僕も現代美術について曖昧な理解しかしていなかったので、いろいろ知れて面白かった。読み終えて思ったことは、僕には知識は必要ないなということです。実は僕は美術鑑賞というのはあまり好んでするものでもないのです。嫌いではないのだけれど。ちょっと構えちゃいますしね。それより音楽を聴いたり本を読んだりするほうが感動できて好きです。そしてそれ以上に絵を描いたりものをつくったりするのが楽しくて好きです。僕にとって美術とは、みるものではなくするものです。
目覚めると。
微妙な色の石になってた。
オーグレゴリー。
君は動けるだけまだいいよ。
規定された中に真の。
自由があるのなら。
俺は今。
究極の自由だ。
どこへ行くのか。
路傍に佇む石となるか。
深海に沈むか。
それとも月の友達になるか。
ただしオーグレゴリー。
君には美しい死があるじゃないか。
俺にはもう時さえないのだ。
永遠の未来。
無限の可能性。
無限の可能性。
自由なことはなんて不自由なんだろう。
不自由なことはなんて自由なんだろう。
微妙な色の石になってた。
オーグレゴリー。
君は動けるだけまだいいよ。
規定された中に真の。
自由があるのなら。
俺は今。
究極の自由だ。
どこへ行くのか。
路傍に佇む石となるか。
深海に沈むか。
それとも月の友達になるか。
ただしオーグレゴリー。
君には美しい死があるじゃないか。
俺にはもう時さえないのだ。
永遠の未来。
無限の可能性。
無限の可能性。
自由なことはなんて不自由なんだろう。
不自由なことはなんて自由なんだろう。
ビジュアル本です。
円空仏の写真がたくさんのっている本が欲しいんだけど、ないのです。解説本とか円空の研究本とかはいっぱいあるんですけどね。単純に見てみたい。そしてつくりたい。
円空仏の写真がたくさんのっている本が欲しいんだけど、ないのです。解説本とか円空の研究本とかはいっぱいあるんですけどね。単純に見てみたい。そしてつくりたい。
ノクターンの調べに乗って。
私は葉を茂らせる。
プレリュードの流れる中。
あたし達は芽と根を覚ます。
バルカロールの曲と共に。
僕たちは遠く旅に出る。
まるでアンプロンプチュのように。
明日をわくわくしながら待っている。
ラプソディーを心に秘めて。
たった今恋は盲目の季節。
インテルメッツォで一休み。
美しいレクイエムが聞こえる。
葉も実も枯れ。
さよならを告げる。
私は葉を茂らせる。
プレリュードの流れる中。
あたし達は芽と根を覚ます。
バルカロールの曲と共に。
僕たちは遠く旅に出る。
まるでアンプロンプチュのように。
明日をわくわくしながら待っている。
ラプソディーを心に秘めて。
たった今恋は盲目の季節。
インテルメッツォで一休み。
美しいレクイエムが聞こえる。
葉も実も枯れ。
さよならを告げる。
様々なところで書いているエッセイをまとめた本です。
情報に踊らされている人が大多数を占める中で、藤原新也は自分の頭で考えたことを表現しているので信用できる。あたりまえのように聞こえるが、自分で考えたことをそのまま表現することは、この情報過多の時代にあって非常に難しい。まあどんな表現であろうと多かれ少なかれ周りの情報に影響を受けるのは仕方がないが、どれだけその影響が少ないか、またはどれだけ自分のものにできているかということが、本当に自分の言葉になっているかどうかの境目でしょう。ん?なんか書いてて解んなくなってきた。まあとにかく藤原新也の言葉には藤原新也がしっかりいて、聴く価値があるということです。ただし、信用できることと共感できることは別の話です。共感できないところももちろんたくさんあるのです。
その中でも共感できたこと。
「世界というものはディテールによって成り立っているからだ。そのディテールを救うことが世界を救うことにもなる。」「(日本は)鉛筆一本にも抗菌処理が施されているような異常とも見える無菌国家」「人間とは見つめあうことによって視線以上の何かを与えあうものらしい。」
僕は藤原新也のことを、言葉も発信する写真家、だと思っていましたが、どうやら言葉の方面にもかなりの比重を置いた表現者らしいぞ、ということに気付きました。
情報に踊らされている人が大多数を占める中で、藤原新也は自分の頭で考えたことを表現しているので信用できる。あたりまえのように聞こえるが、自分で考えたことをそのまま表現することは、この情報過多の時代にあって非常に難しい。まあどんな表現であろうと多かれ少なかれ周りの情報に影響を受けるのは仕方がないが、どれだけその影響が少ないか、またはどれだけ自分のものにできているかということが、本当に自分の言葉になっているかどうかの境目でしょう。ん?なんか書いてて解んなくなってきた。まあとにかく藤原新也の言葉には藤原新也がしっかりいて、聴く価値があるということです。ただし、信用できることと共感できることは別の話です。共感できないところももちろんたくさんあるのです。
その中でも共感できたこと。
「世界というものはディテールによって成り立っているからだ。そのディテールを救うことが世界を救うことにもなる。」「(日本は)鉛筆一本にも抗菌処理が施されているような異常とも見える無菌国家」「人間とは見つめあうことによって視線以上の何かを与えあうものらしい。」
僕は藤原新也のことを、言葉も発信する写真家、だと思っていましたが、どうやら言葉の方面にもかなりの比重を置いた表現者らしいぞ、ということに気付きました。