長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『クイーンズ・ギャンビット』

2020-11-24 | 海外ドラマ(く)

 新型コロナウィルスによってブロックバスター映画が途絶えた2020年。演出、脚本、撮影、演技が揃った『クイーンズ・ギャンビット』はハリウッドが見過ごしてきたナラティヴの力を謳う傑作だ。1950年代アメリカの孤児院から始まる本作は、交通事故で母を失ったベス・ハーモンがチェスの天才的才能を開花させていく。『ローガン』等で知られる名脚本家であり、傑作西部劇『ゴッドレス』を監督したスコット・フランクの下、音楽カルロス・リヴェラ、撮影スティーヴン・メイズラーらスタッフが再集結した。

【反逆者アニャ・テイラー=ジョイ】

 群像劇だった『ゴッドレス』が時にその語りの“遅さ”も魅力にしようとしていたのに対し、本作はアニャ・テイラー=ジョイという絶対的主演女優によって強い推進力を得ているのが特徴だ。野性的な異貌、細長い手足とアンバランスなふくよかさ、コケティッシュな容姿からは想像のつかないハスキーボイス…まさに映画女優になるべくして持ち得た華であり、スコット・フランクはアニャの美しさを余すところなく映すことに成功している。

 何より彼女の魅力はこれまでの映画で見せてきたパンキッシュさだろう。ブレイク作となったロバート・エガース監督作『ウィッチ』では17世紀キリスト教社会へ魔女になる事で反逆し、大ヒット作『スプリット』では虐待の被害者に扮して、社会からはみ出した32人格の怪物を抱きしめた。そんな彼女が『マッドマックス/怒りのデス・ロード』前日譚でシャーリーズ・セロンの持ち役フュリオサを演じることはある意味、必然とも言えるだろう(ジョージ・ミラー、老いてますますの慧眼)。

 本作のベス・ハーモンも男性社会であるチェス界に単身挑む反逆者だ。精神を病んだ母(天才数学者であったが事が伺える)は言った。「男達は教えたがる。あなたはあなたらしくいればいい」。ひと回り以上も歳の離れた男達を次々と打ち破り、男達は成す術なく道を開け、肩を貸していく事となる。

【チェスと男たち】

 全7話、チェスシーンにおけるスコット・フランクの手練手管が素晴らしい。静寂の中、駒を進める音だけが響き渡り、プレーヤーの知性と意志力を引き出すかのようにリヴェラのピアノスコアが聞こえてくる。本作におけるチェスは対決であり、対話であり、愛の交歓だ。ベスの幼少期(素晴らしい子役Isla Johnston)が描かれる第1話で彼女にチェスを教えるのは孤児院の老用務員である。洗練されたチェスの指し手の如くムダのないビル・キャンプの名演は、最終回でついに画面不在で涙を誘う。父を知る事のないベスにとって2人の静かなチェスは疑似親子関係の構築でもあったのだ。

 1つの駒で同時に2つの駒を取れる状況を指した第5話“フォーク”ではベスの前に対称的な2人の男が現れる。1人は少女時代の彼女に破れた地区チャンピオンのベルティック。ベスの苦難に現れ、指南役を買って出るが彼女に抱く尊敬と愛情の念は盤上でも実生活でも報われない。天才と凡人、持てる者と持たざる者の決定的差を描いた名エピソードであり、近年『悪魔はいつもそこに』などで印象を残すハリー・メリングの演技が涙を誘う。

 方や全米チャンピオン・ベニーとの戦いはカメラが長回しやスプリットを多用し、ノリのいい音楽も手伝ってほとんどミュージカル映画のような楽しさだ。演じるトーマス・サングスターは『ゴッドレス』にも出演した子役出身で、歳を重ねいい味が出てきた。ロックスターのような風貌のベニーとベスの丁々発止は天才同士の幸福なケミストリーだ(NYでの多面差しは1960年代という時代設定も相まってか一瞬、フリーセックスのような淫靡さも漂う)。

 最もベスの心を動かしたのは初恋の相手とも言えるタウンズだろう。彼との対局後、ベスに初潮が訪れる。再会した2人が盤を挟む第3話も実にセクシーだった。

【勝負師の執念】

 原作はポール・ニューマン主演の61年作『ハスラー』で知られるウォルター・テヴィスによる小説だ(日本未刊行)。
『ハスラー』ではニューマン演じる天才ビリヤード師のエディが、強敵マイアミ・ファッツと25時間以上に及ぶ激戦を繰り広げ、大敗を喫する。土壇場でアルコールに溺れたエディの弱さがファッツの精神力に屈したのだ。失意の底でエディは謎めいた女性サラと出会う。素性も明らかではなく、アルコールに溺れた彼女との共生関係はさらにエディを深みへと引きずり込んでいく。

 『クイーンズ・ギャンビット』のベスも勝負と自己破壊衝動に憑りつかれている。幾度となく彼女の前に立ちはだかるソ連チャンピオンのボルゴフは言う「彼女は孤児だ。我々と同じで、負ける選択肢がない」。幼少時代、孤児院で強要されてきた精神安定剤がベスに天才的ひらめきを与え、天井にチェス盤を幻視させた。勝利にかける執念は心身を蝕み、彼女を圧倒するボルゴフはさながら超えるべき内なる悪魔だ。

 『ハスラー』との大きな違いはエディの自己破壊衝動に男性特有のナルシズムが潜んでいたのに対し、ベスの勝利への執着は清々しいほどに純粋である事だろう。ベスにとってのサラとなるのは全国を共に行脚する養母だ。子供を身籠ることもできず、夫にも捨てられた彼女はアルコールに溺れる。第3話、初めて敗戦したベスと人生に敗北した養母との間に芽生える連帯を見逃してはならない。養母を演じるのは『ある女流作家の罪と罰』『幸せへのまわり道』を監督した才媛マリエル・ヘラーだ。  

【エンドゲーム】

 “クイーンズ・ギャンビット”はじめ、各話タイトルはチェスの定石を冠しており、最終回のタイトルはずばり「エンドゲーム(終盤)」。チェスにおける終盤とは王手を狙う将棋のそれとは意味が異なり、ポーン(歩)が敵陣に到達して任意の駒へと昇格する“プロモーション”を目指す。そして最強の駒クイーンへのプロモーションが“定石”なのだ。

 『クイーンズ・ギャンビット』はベスが自己破壊を乗り越え、女王になるまでのビルドゥングス・ロマンであり、アニャ・テイラー=ジョイのスターへのプロモーションである。映画だけ見ていては俳優のベストアクトを見逃す時代になって久しいが、コロナショックによってTVドラマがスターを生む風潮はさらに強まっていくだろう。アニャ・テイラー=ジョイ、揺るぎない代表作の誕生だ。


『クイーンズ・ギャンビット』20・米
監督 スコット・フランク
出演 アニャ・テイラー=ジョイ、マリヘル・ヘラー、ビル・キャンプ、トーマス・サングスター、ハリー・メリング、マルチン・ドロチンスキ

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