長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ROMA ローマ』

2019-03-06 | 映画レビュー(ろ)

僕はメキシコに行った事もなければ70年代生まれでもない。
それでも『ROMA』は僕の記憶の奥底にあった少年時代を呼び起こし、懐かしいと感じさせる。なぜだろう。

アルフォンソ・キュアロン監督の半自伝的映画である本作は、彼の作家性を読み解く重要な1本だ。少年時代のキュアロン家にはリボさん(劇中の名前はクレオ)という家政婦が住み込みで働いていた。本作は彼女に捧げられている。

寄せては返すさざなみのような語り口でクレオの日常が描かれていく。
床を磨き、洗濯をする。部屋を片付け、食事を作る。誰よりも早く起き、誰よりも遅く眠る。休みない日々。一家の主人であるアントニオ医師は外に女を作って家に寄り付かず、奥様のソフィアは悲嘆に暮れ、苛立っている。今や子育てもクレオの仕事だ。
友達の紹介でフェルミンという男と付き合う。程なくして妊娠。子供ができた事を告げるとあっさり姿を消した。ある晩、酔ったソフィアがうそぶく「女は孤独なのよ」。

思い返せば“母性の危機”がキュアロン映画のテーマだった。『トゥモロー・ワールド』は世界で最後の子供を身籠った女を巡る物語であり、『ゼロ・グラビティ』は娘を失くした母親が再び大地に立つ物語である。『ROMA』も終幕、まさに後光が射すかのような大きな母性愛に包まれる。一貫してキュアロンはフェミニズムの人であった。

今回、キュアロンは盟友エマニュエル・ルベツキ撮影監督がスケジュールの都合で参加できなかったため、自らカメラを撮った。「現在から過去を見通す幽霊の視線」と語るそれはカメラを一か所に据えて何度も横移動を繰り返す独特のメソッドだ。キュアロン映画のトレードマークとも言える緊張と構図の美にはモノクロでありながら陽光の温かさや夜気の冷たさ、乾いた風が宿る。一見、とりとめもないエピソードの羅列はキュアロンが忘れる事のできなかった記憶であり、それはまるで僕自身の記憶であったかのような強度を持って画面に再現されていく。ピークに達する終盤の大暴動シーンも圧巻だが、オスカー撮影賞の真価は大掛かりなモブシーンよりも見る者の五感と記憶に訴えた所かも知れない。

本作は劇場公開を前提としないネット配信映画ながら、ヴェネチア映画祭金獅子賞はじめ全米の批評家賞を独占、ついにはアカデミー賞で10部門にノミネートされ監督賞、撮影賞、外国語映画賞を受賞した。キュアロンの卓越された演出に酔いしれる、2018年最高の1本である。


『ROMA ローマ』18・メキシコ、米
監督 アルフォンソ・キュアロン
出演 ヤリッツァ・アパリシオ、マリーナ・デ・タビラ





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