ねこ吉のよしなしごと

どうでもいい事ばかり書いていますが・・・。すっかり備忘録になってます。

禍転じて・・・。

2016-10-18 22:25:00 | 思い出
日曜日に、図書館に予約本を取りに行ったら、受け取り先の図書館を間違ってクリックしたために本が中央図書館に行ってしまった話を書いた。

予約した本は「マダムシック Paris Snap」

ねこ吉は中央図書館には行ったことがなかった。

せっかく、JR神戸駅から徒歩15分もかかるところまで行くのだから、前から気になっていたことも調べよう・・・。


たぬ吉は、結構中央図書館を利用していて「書架にない本も見ることが出来るし、調べたい事の相談にものってくれる。」と教えてくれた。

昨年の朝ドラ「あさが来た」を放送しているときに友人が原作本「土佐堀川」を貸してくれた。

本の後半には、
広岡浅子が、晩年日本女子大を作り、御殿場で勉強会を催したこと。その受講生の中には、市川房江、村岡花子などが載っていた。
つくづく素晴らしい人のもとには、素晴らしい人が集まっているものだと感心した。

その中に「木下さく子(結婚して竹内)」という人の名があった。
「広岡浅子の母方の京都に住む親類の娘で、日本女子大を卒業して、女子大で教鞭をとる。」書いてあった。

ねこ吉は、短大家政科(被服コース)の卒業。
確か1年生の時習った「住居学」の先生は、竹内さく先生。
かなりお年で、髪は広岡浅子のような「夜会巻」に結い上げ、いつもワンピースを着ていたような・・・。
「凛とした」という形容がピッタリの人だった。

もしかして、木下さく子は竹内さく先生?

何とかネットや図書館で広岡浅子の本を借りて調べたけど、同一人物だという確証はなかった。

母校の図書館にメールで問い合わせても、竹内先生のことは詳しくわからなかった。

今日、1階で予約本を受け取った後、ついて来たたぬ吉が2階の郷土史のところに、校史のコーナーがあると言って連れて行ってくれた。
75年史を調べたら、ねこ吉が在学当時の先生やカリキュラム、もちろん竹内先生も載っていたけど、
確証を得られるほどの史料は無かった。

係りの人に、ねこ吉が現在判っていることを話し、調べたい事をどう調べたらいいか相談した。

ちょっと不愛想な中年の男の人は、学校関係の史料を探してくれたけどめぼしいものはなかった。

もう、ねこ吉は諦めようと思った。
在学当時のカリキュラムが懐かしくコピーを取らせてもらおうと申し込んだ。
コピーが満員で待っていたら、係りの人が「竹内さく」を検索してくれたらしく、「自費出版の書物が見つかりました!」と3階から持ってきてくれた。

「我が探究の足跡」の著者略歴を見ると、京都市呉服商木下屋に生まれる。日本女子大家政科卒、結婚して竹内姓になる。と書いてあった。 

「やったぁ~!」やっぱりねこ吉が思った通りだった。

一本ずつだったバラバラの糸が繋がった。
ジグソーパズルの最後のピースが「パチン!」と音を立ててはまったよ。

嬉しい!嬉しいよォ!

ちょっと不愛想だった係りの人、本当に有難う。

書架に出ていない「我が探究の足跡」という先生の本も借りることができた。

見ていると何か「住居学」の教科書を思い出した。

いい加減な出来の悪い生徒だったけど、先生の講義は面白かった。
「うだつが上がらない。」のうだつの語源を教えてもらったのを覚えている。

台所の動線の話、小堀遠州の庭園の話・・・。

おぼろげながら思い出す。

「求めよ、さらば与えられん。」

ホント、その通りです。