(何か筆みたいな鶏頭だな。)
昨日は、目が覚めたら6時前だった。
夜中に目が覚めなかったのは、珍しく嬉しいことだ。
相変わらず、ゼイゼイ、ゴンゴンという痰が絡んだ咳が少し出るけど、昨日に比べたらマシな気がする。
このまま治るといいけど・・・。
洗濯機のスイッチをいれて、またベットの中へ・・・。
ふと、「痰が絡んだ咳」をしたことで、正岡子規の「痰が絡みし仏かな」という句の下の句を思い出した。
上の句は何だっけ?
枕元のスマホで検索。
「糸瓜咲いて 痰が詰まりし 仏かな」
これは、正岡子規の絶筆三句の内の一句だった。
中学三年生の国語の時間、M先生が教科書に載っている句以外の句を板書してくれたのを断片的に覚えていたみたい。
句の解釈を検索して、
「『すでに仏と同然の自分には、いかによく効く糸瓜の水も、効かないし間に合わないだろう』と、自分の死期を悟り、病んだ自分を客観視しているのです。」
「すでに仏と同然の自分」って・・・。
ねこ吉は、句の中にある「仏」とは「喉仏」のことだと、この年まで思っていた。
つくづく、ねこ吉って、詩、短歌、俳句の鑑賞が出来ない人間だわ。
柿の木のあるマンションのプランターに鶏頭が咲いていた。
「鶏頭の 十四五本も ありぬべし」
これも、正岡子規の句だった。
(ネットから拝借しました。)
ねこ吉の知っている鶏頭って、上の写真のような花だった。
ニワトリの鶏冠みたいで、ねこ吉の嫌いな花だった。何かダサい。
今は、ピンクや白、黄色もあって形も様々。
オシャレな花に変わったな。
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