ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

ソロモンの偽証 (続き)

2016-08-25 23:13:31 | 映画
前回の続き(ネタバレです)。
何より気になったのは、自殺した柏木の背景が見えないことです。
かなり独善的で攻撃的な性格だったようですが、そこに至る背景、家庭環境等が見えない。
彼が死んだことにより、家族は悲嘆にくれたはずなのに、描かれない。
担任の先生ですら、柏木君が怖かったなどという。
誰も彼の死を悼んでいない(泣いたのはショックだったから)。
人が一人死んだというのに・・

特に第一発見者の藤野涼子のショックは大きかったはず。
それなのに、彼女は、あろうことか犯人探しの裁判に走ります。

裁判の前に、一人の中学生が死んだという事実を見つめるべきでしょう。

藤野は、もしかすると、柏木が死んだことで、どこかほっとした部分があったのかもしれません。
それをカモフラージュするために裁判を言い出したのかもしれない。
深層心理の中で。

事件はとてもシンプルです。
何らかの理由で追い詰められ、死のうと思った柏木が、最後に神原を頼みの綱として屋上に呼び出すも裏切られ、激情にかられて死んでしまう。
神原は自責の念にかられるけれど、それをしっかり見つめようとはせず、藤野が提案した裁判に乗っかってしまう。

そもそも神原が誰かに打ち明けていれば、あんな大騒動にはならなかったはずです。
裁判もなかったし、松子も死なずに済んだはず。
すべての責任は彼にあります。
彼自身が口にしたよりもずっと重く。

柏木は死ぬことにより、最後のとどめを刺そうとしたのです。
ハチが命がけで毒針を刺すように。
けれども、そうせざるをえなかった柏木の心情はどこにも描かれていない。
甘やかされ、自己中心的で精神的に不安定な子・・というイメージだけが残る。
そうじゃないと思います。

柏木こそが主人公のはずなのに、蚊帳の外。
だから、裁判が宙に浮いてしまうのです。

では、なぜ神原は申し出なかったのか。
彼も中学生。事件に巻き込まれ、呆然としたのは事実でしょう。受け止めきれず、考えることを先延ばしにしたのでしょう。
でも、それは彼が背負っていかなければならない十字架です。
時間をかけて問い続けなくてはいけない宿題です。
大勢の前で断罪してほしい、などというのは甘え以外の何ものでもない。
そんなことをしても、罪が軽くなるわけじゃない。

結局、神原も藤野も、柏木が言うとおりの「口先だけの偽善者」だったのですね。
柏木は鋭い感性を持っていたと思います。
他の人たちには理解できないところに彼はいたのだと思います。
だから死を選んだ。

なぜ柏木は死ななくてはいけなかったのか。
この肝心の点が曖昧なまま、柏木の死はあたかも既成事実のように扱われます。
自殺か他殺かわからないけど、とにかく死んじゃったんだから、犯人探しをしようぜ。

裁判をすることにより、彼らは自分を見つめる機会を失います。
目をそらし、他のことに夢中になり、現実を忘れます。

それを傍観していた大人の責任は大きい。
いえ、大人は気づかなくても、彼らの本質を見抜いた子たちは大勢いたはず。
だからこそ、彼らが無傷でいられるわけがないのです。

登場人物すべてに家庭的な背景があり、闇があります。

みんな一筋縄ではいかない背景を背負っている。
藤野涼子だけが幸運なことに、よい家庭に恵まれ、よい環境の中で育ってきて、
優等生でもある。
だから、藤野は弱い。
柏木や樹里に見えるものが、藤野には見えない。
藤野の正義はしょせん中学生の正義で、それを正すのが大人の役割のはずなのに、
そういう大人がどこにもいない。

裁判ごっこでは暴くことのできない深い闇が横たわっていることに誰も気づかない。

中でも、罪深い(そして闇も深い)のはやはり神原だと思います。
彼の言葉は表面的で、真摯な後悔の念がいまひとつ感じられない。
人を二人も死なせてしまったというのに。

でも、神原はそういう奴なのだと思います。
そういう奴が社会の中で成功し、日本や世界を牽引していく人たちの仲間になるのです。
それを暗示するシーンがあれば、あの映画は、あるいは成功したかもしれないと思います。

ま、所詮、エンターテイメントですけどね。



「THE PATH」 
第3話が今日配信されました。
ますます面白くなってきています。
目が離せません。早く次回が見たい。 
コメント
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