前回お知らせしたとおり、二宮忠八について書きたいと思います。
二宮忠八(1866 ~1936)は、世界で初めて飛行機を発明した人物として英国航空協会が認めている人物です。
(1954年、英国王立航空協会は忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示し、彼のことを「ライト兄弟より先に飛行機の原理を発見した人物」と紹介している:wikipedia)
日本ではあまりなじみがないのですが、戦前の教科書には記載されていたそうで、戦後GHQにより削除されたようです。
人類が初めて動力を使って(グライダーではなく)空を飛んだのは1903年のライト兄弟だと言われていますが、
そのライト兄弟より12年も早く、二宮忠八は飛行器を発明していました。
(彼は飛行機ではなく「飛行器」と表記しました。ちなみに「ひこうき」という言葉も二宮忠八の造語だそうです)
この二宮忠八、私の母校である八幡浜市立八代中学校のすぐそばで生まれ育ったということを最近知りました。
なんか、ご縁がありそう。
二宮忠八は裕福な商家の四男として生まれたのですが、兄たちの相次ぐ放蕩と父親の早すぎる死(彼が12歳のときに亡くなった)により、家は没落し、成績優秀であったにもかかわらず中学には行けずに働きに出ることになります。
彼は幼い頃から好奇心旺盛で、トビウオを見ては空を飛びたいと思い、弁当めがけて降下してくるカラスを見ては、鳥たちは羽ばたかずとも空を滑空できることを看破し、またトビウオとの共通点を見出し、固定式の飛行器の翼を思いついたといいます。
若い頃から空へのあこがれは強く、彼が作った数々の凧は「忠八凧」と呼ばれ、大変な人気だったといいます。
二宮忠八はついに自力で飛行器を発明し、動力さえあれば飛ばせるというところまでこぎつけますが、肝心の動力が手に入らない。
そこで軍の上層部に上申書を出して、飛行器のための動力となるガソリンエンジンを提供してほしいと幾度も申請しますが、軍上層部の無理解により却下され、彼の飛行器はついに日の目を見ることはありませんでした。
この間に、ライト兄弟が有人動力飛行実験を成功させてしまうのです。
ライト兄弟の実験成功の知らせを聞いた二宮忠八は、自身で制作した玉虫型飛行器をハンマーで破壊し、以後、飛行器制作に携わることを断念してしまいます。
空に憧れる人たちは、どの時代にもいました。
レオナルド・ダ・ヴィンチもヘリコプターの原形などを発明していますね。
近年では、気球やグライダーが発明され、人類はますます空へのあこがれを募らせていきました。
そして、1903年にライト兄弟が初めて有人動力飛行の実験に成功しますが、それからわずか64年後の1967年、人類はアポロ11号によって月に到達するのですから、この間の進歩のすさまじさがわかります。
地球上には多種多様な生物がいて、中には空を飛ぶ鳥や昆虫たちもいますが、その中で月まで行きたいと思う生物は人間だけでしょう。
人間はあきらかに他の生物たちとは違う脳や神経構造を持ち、原始時代から星々の運行に興味を持ち、宇宙に憧れてきました。
つまりね、私たちは他の星からやってきたのではないか、と思うのです。
だから、夜空を見上げるたびに郷愁を感じるのではないか。
一方で、残念ながら、飛行機は戦争によって発達してきたという側面もあるのですが、放っておいても人類は空を飛びたがり、やがて宇宙へ出ていきたがる生き物なのではないか。
二宮忠八やライト兄弟をはじめとした大空に憧れた人たちは皆、どこかでそれを感じ取っていたのかもしれません。
そんな気がしてならないのです。
ともかく、二宮忠八の発明した玉虫型飛行器のデザインの美しさは、後世に伝えるべき文化遺産であると思います。
私がここでくどくど書くよりも、YouTubeには詳しい彼の伝記や飛行器の説明等がありますので、興味のある方はぜひそちらも見てみてください。
日本には二宮忠八という悲運の発明家がいて、実は世界で最初に飛行機を発明していたことは、もっと多くの人に知られていい事実だと思います。
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