岐阜城跡と安土城跡へ行ってきました。
岐阜城とは織田信長が美濃平定後、尾張小牧山から居を移した金華山(329m)にあった山城です。
この城、信長に征服されるまで地名を井口、城の名前を稲葉山城と言いましたが
信長はその地名・城名共に『岐阜』と改名すると共に改築して本拠と定めたのです。
(天下布武の印を使い出したのもこの時期)
これは歴史の知識が無いと何の変哲も無い事に思われがちですが、本当は物凄く画期的な出来事なんですねぇ~
これだけで日本初の事を2つ若しくは3つ行っているんです。
更に、我々には馴染みの無い漢音と文字の『岐阜』には、
中華文明の故事『周の武王岐山にて天下を志す』と儒教の聖地でもある孔子の誕生地『曲阜』から名付けたと言われています。
簡単に言えば、『俺は天下を取って、この国を正しい姿にするぞ』と宣言している訳です。
(天下布武の印も、同じ意味だと言われていますね)
まあ書きたい事は尽きないんですが、それについてはまた追々で!
岐阜城ではルイス・フロイスの記述を思い出す事で、信長が統治していた時代の城下町の賑わいと信長の生活を想像しました。
山頂に建つ模擬天守からは、濃尾平野が一望でき、夏には霧の為見ることが出来なかった北アルプスの山々も眺めら満足。
フロイスによると、信長は山頂の館(天主と言う)から城下町の賑わいを眺めるのが好きだったらしい。
↓動画も撮影しました↓
この風景を眺めたら『天下とってやるだでぇや』と思うわな・・・
信長も高い所が好きだった見たいです(笑)
一日目は近江八幡に宿泊。
翌日、安土へと向かいました。
安土城は織田信長が岐阜から更に移転させた最後の本拠地です。
(本能寺の変が無ければ更に大阪へ移転しただろうと言われています)
この安土城は、多くの人が『城』と聞いて想像する、『石垣・漆喰の壁・天守から成る姿を持つ城』の最初の形をした城です。
安土城を見た大名・武将、秀吉・家康を初め信長の家臣らがこれを真似て大阪城・江戸城・姫路城等お馴染みの城を建てたのですが
後に建てられたそれらの城を遥かに上回る、奇想天外で独創的な城だった事実も残念ながら多くの方にはご存じ無い。
因みにこの安土城、信長の思想を具現化した建築物だったと言われています。
まあ兎に角凄い城だったんです。
↓ ↓の動画は安土の信長の館にある『安土城天主六層七層』を実物大で再現した展示物です。
因みに安土城では天守では無く天主と書きます。
八角形の造りである六層目の内部も凄い物なのですが、それは撮影せきませんでした。
(バッテリー切れで・・・・笑)
(あと、花粉症の為マスク着用、フンフン言ってますが御容赦)
この安土城についても追々ブログネタにしたいと思っています。
現在の安土城址は、遠めに見ると広大な農地にある小高い山でしかありませんが
山全体に石垣が残存在し、特徴的な大手道や天主台・礎石等も残り、当時の面影をうかがわせてくれます。
天主台の石垣を登り、心地良い風に吹かれながら
悠久の時に思いを馳せた一時でした。
三日目は一旦名護屋に戻り、その後松本へ遊びに!
松本では去年の夏以来に縄手通りの居酒屋『悠々』へ行きました。
店に居た常連の方と知り合い(愛知県出身)、会話を楽しみました。
(山の話・人の出会い・津島天王際&信長の話で)
その方に松本のお勧め蕎麦屋を教えてもらったのに・・・それを記したマップを店に忘れてくる始末。
申し訳無い事をしてしまった・・・・
また北アルプスの帰りに立ち寄って謝るとしよう。
今回は目新しい所には行かなかった旅だったけど、やっぱり良い旅でした。