高柳重信の一句鑑賞(二) 高橋透水
船焼き捨てし/船長は//泳ぐかな 重信
人口に膾炙した句である。句集『蕗子』(昭和二十五年)に収録された病床での一連の句作のなかで〈身をそらす虹の/絶巓//処刑台〉と並んで際立っている。
こうし佳句を量産する重信の生い立ちを見てみたい。中村苑子の言葉によれば、『一生の宿痾となる結核に彼が冒されたのは昭和十七年の夏で、大戦の激化にともない進学不可能となって大学が繰り上げ卒業を行った年でもある。十九歳であった。/戦時の動乱のさなか、六カ月のいのちと宣言されながら病苦に呻吟していた彼は「僕の俳句は、僕独特の、僕の必死のアリバイである」と示唆したとおりに切実な生き方をしていた。』(「高柳重信の世界」昭和俳句文学アルバム・梅里書房)
と述べられているように、病魔は重信の人生を大きく左右し、結果として俳人としての道を拓いたとも言える。
ところで重信の師であり良き理解者であった冨澤赤黄男は、句集『蕗子』の「序にかえて」のなかで、『高柳重信の精神は一言でいへば、反抗と否定の精神である。それは同時に彼自身へ反抗し、彼自身をも否定せんとする激しさを示すものである』『彼は自ら傷み、自らを否定することから「匍ひ上る」ことによって彼自身の思想を掴もうとしてゐる』と述べ、更に重信は『蕗子』を実験として提示したが、『この書は既に充分一つの実験の成果として、力と重さをもつところのある位置に達してゐるものである』と賛辞している。
さて、重信の反抗と否定の精神とは何か。一つは既成の俳句に向けられているように思う。「焼き捨てし」は伝統的な腐敗した俳句界であり、「船長」は重信自身、そして重信は新しい俳句の大海へと泳ぎ継ぐのである。
総じて言えば、重信にとって多行表記は俳句形式の本質が多行発想にあることを、身にしみて自覚しようとする決意の現われである、ということだろうか。
船焼き捨てし/船長は//泳ぐかな 重信
人口に膾炙した句である。句集『蕗子』(昭和二十五年)に収録された病床での一連の句作のなかで〈身をそらす虹の/絶巓//処刑台〉と並んで際立っている。
こうし佳句を量産する重信の生い立ちを見てみたい。中村苑子の言葉によれば、『一生の宿痾となる結核に彼が冒されたのは昭和十七年の夏で、大戦の激化にともない進学不可能となって大学が繰り上げ卒業を行った年でもある。十九歳であった。/戦時の動乱のさなか、六カ月のいのちと宣言されながら病苦に呻吟していた彼は「僕の俳句は、僕独特の、僕の必死のアリバイである」と示唆したとおりに切実な生き方をしていた。』(「高柳重信の世界」昭和俳句文学アルバム・梅里書房)
と述べられているように、病魔は重信の人生を大きく左右し、結果として俳人としての道を拓いたとも言える。
ところで重信の師であり良き理解者であった冨澤赤黄男は、句集『蕗子』の「序にかえて」のなかで、『高柳重信の精神は一言でいへば、反抗と否定の精神である。それは同時に彼自身へ反抗し、彼自身をも否定せんとする激しさを示すものである』『彼は自ら傷み、自らを否定することから「匍ひ上る」ことによって彼自身の思想を掴もうとしてゐる』と述べ、更に重信は『蕗子』を実験として提示したが、『この書は既に充分一つの実験の成果として、力と重さをもつところのある位置に達してゐるものである』と賛辞している。
さて、重信の反抗と否定の精神とは何か。一つは既成の俳句に向けられているように思う。「焼き捨てし」は伝統的な腐敗した俳句界であり、「船長」は重信自身、そして重信は新しい俳句の大海へと泳ぎ継ぐのである。
総じて言えば、重信にとって多行表記は俳句形式の本質が多行発想にあることを、身にしみて自覚しようとする決意の現われである、ということだろうか。
高柳重信の一句鑑賞(一) 高橋透水
身をそらす虹の/絶嶺/・・処刑台 重信
句集『蕗子』(昭和二十五年)収録され、重信の代表句に挙げられる。冨澤赤黄男の、〈乳房や ああ身をそらす 春の虹〉が下地になっていると考えられるのが一般的だが、その点を四ッ谷龍の見解から見てみよう。
女性が身を反らせた姿と、虹のアーチ形とが、アナロジーによって重ね合わされる。さらに乳房の丸みと虹の半円形も相似形を作っている。高柳重信の俳句〈身をそらす虹の/絶巓//処刑台〉にはこの句(乳房や ああ身をそらす 春の虹〉)からの影響が見える。
確かに重信が赤黄男の影響は受けているのを認めたい。ところがこの句を夏石番矢の「精神的かつ性的エクスタシーの頂点の形象化。嘉悦の極みには、悲哀が、破滅が来る。『処刑台』はその象徴」(「高柳重信」蝸牛俳句文庫・蝸牛社)と鑑賞するのはいかがであろう。特に「性的エクスタシーの頂点の形象化」という解釈には与しがたい。不快ですらある。
重信はただ従来の俳句形式を打破したかったのだ。『蕗子』は実験であり、それは重信が次ぎのように述べていることから明らかだ。
「数ある文学のジャンルの中から、特に俳句という歯がゆいものを選んだという動機――その動機の中に、見逃がすことの出来ない虚無的な考え方、敗北主義の萌芽のあることを、改めて注目したいと思う」「そして、多少の飛躍を感じながらも、僕は、この敗北主義の中に俳句の特殊性を考えたいのである」「僕は、その最後の虚無的な数条の光芒の中から、敢て最短詩とは言わなくても、日本語による新しい短詩の芽生えが始まるであろうことを、かすかながら予期したい」(「敗北の詩―新興俳句生活派・社会派へ―」、昭和二十二年七月「太陽系」第十二号)より。
つまり、重信は問題提起や自己の方法論を
述べるだけで、結論は出さない主義なのだ。
要は実検的な多行詩は創るが、鑑賞と解釈は読者に委ねるという方法を取ったのである。
身をそらす虹の/絶嶺/・・処刑台 重信
句集『蕗子』(昭和二十五年)収録され、重信の代表句に挙げられる。冨澤赤黄男の、〈乳房や ああ身をそらす 春の虹〉が下地になっていると考えられるのが一般的だが、その点を四ッ谷龍の見解から見てみよう。
女性が身を反らせた姿と、虹のアーチ形とが、アナロジーによって重ね合わされる。さらに乳房の丸みと虹の半円形も相似形を作っている。高柳重信の俳句〈身をそらす虹の/絶巓//処刑台〉にはこの句(乳房や ああ身をそらす 春の虹〉)からの影響が見える。
確かに重信が赤黄男の影響は受けているのを認めたい。ところがこの句を夏石番矢の「精神的かつ性的エクスタシーの頂点の形象化。嘉悦の極みには、悲哀が、破滅が来る。『処刑台』はその象徴」(「高柳重信」蝸牛俳句文庫・蝸牛社)と鑑賞するのはいかがであろう。特に「性的エクスタシーの頂点の形象化」という解釈には与しがたい。不快ですらある。
重信はただ従来の俳句形式を打破したかったのだ。『蕗子』は実験であり、それは重信が次ぎのように述べていることから明らかだ。
「数ある文学のジャンルの中から、特に俳句という歯がゆいものを選んだという動機――その動機の中に、見逃がすことの出来ない虚無的な考え方、敗北主義の萌芽のあることを、改めて注目したいと思う」「そして、多少の飛躍を感じながらも、僕は、この敗北主義の中に俳句の特殊性を考えたいのである」「僕は、その最後の虚無的な数条の光芒の中から、敢て最短詩とは言わなくても、日本語による新しい短詩の芽生えが始まるであろうことを、かすかながら予期したい」(「敗北の詩―新興俳句生活派・社会派へ―」、昭和二十二年七月「太陽系」第十二号)より。
つまり、重信は問題提起や自己の方法論を
述べるだけで、結論は出さない主義なのだ。
要は実検的な多行詩は創るが、鑑賞と解釈は読者に委ねるという方法を取ったのである。