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芭蕉の発句アラカルト(24) 高橋透水

2024年02月11日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
 狂句木枯の身は竹斎に似たるかな 芭蕉

 『野ざらし紀行』の前書きに「名古屋に入る道の程、風吟ス」とあることから、貞享元年十月に名古屋で詠まれたもの。同行者木因との道すがらの句だろう。
 いうまでもなく、「竹斎」とは、仮名草子「竹斎」の主人公で藪医者のことだが、貧乏ながら狂歌を歌いつつ各地を転々とした。芭蕉は名古屋に着き、自らの俳諧の生き方を竹斎に擬え当地の句会の挨拶句とした。
 名古屋蕉門の山本荷兮が編集した俳諧七部集の第一集「冬の日」貞享二年刊の冒頭にも置かれた句でもあり、それの詞書によると、
「笠は長途の雨にほころび、帋子はとまりとまりのあらしにもめたり。侘びつくしたるわび人、我さへあはれにおぼえける。むかし狂歌の才士、此国にたどりし事を、不図おもひ出て申し侍る。」とある。
 芭蕉は自らのやつれた姿と俳諧に掛ける尋常ならざる想いを竹斎の風狂になぞらえたわけだが、芭蕉特有の戯言の世界だ。ちなみに木因の道行の句は
  歌物狂二人木枯らし姿かな
である。が、この旅の風狂は芭蕉俳諧の一大転機になっており、訪れた名古屋の門弟に見せる並々ならぬ自信とするのが定説だ。すなわち冒頭の「狂句」は、芭蕉のこれからの決意を示す宣言であり、敢えて砕けた「狂句」という自虐的な言い方をしたのであろう。
 「狂句木枯」の脇句は、
そやとばしるかさの山茶花  野水
 山茶花の散りかかる風流な笠を着て来られた侘び人は、いったいどこのどなたでしょうか、と芭蕉の発句に対する答礼の脇で、竹斎に擬した客人に山茶花の風雅を添え、風狂人を引き立てたもので芭蕉の意にかなった。
 さらに、
有明の主水に酒屋つくらせて  荷兮
  かしらの露をふるふあかむま  重五
と続く。『冬の日』は全巻を通して風狂の相を基調としており、安らかな句体へと移行しつつある。門弟との息も合い、後年蕉風開眼の書と位置づけれることとなった。
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