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芭蕉の発句アラカルト(25) 高橋透水

2024年06月29日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
海くれて鴨のこゑほのかに白し  芭蕉

 この句の前書きに「尾張国熱田にまかりける頃人々師走の海見んとて船さしけるに」とある。貞享元年十二月十九日、熱田での作である。芭蕉はときに四十一歳。
 芭蕉一行は、船の上で海に夕日が沈むのを眺めていたのだろう。暮れて暗くなる前の、薄明るい白々とした海。そんな海を眺めていたら、鴨の鳴き声が、うっすらと白く聞こえたというイメージを詠っている。
 芭蕉は目で見、耳で聞いたものを心で感じる。視覚と聴覚の、まさに「ほのか」に混ざりあった感覚は旅で培ったものだ。現実の風景と綯い交ぜに、芭蕉の心の風景にそれが錯綜しあい夕暮れの風景の中に幻出したのだ。
 この句の眼目は、鴨の声をほのかに白いと感じる知覚だろう。すなわち、聴覚が視覚に転化されていることだ。鴨の姿が見えないが、鴨の声があたかも見える物のように暮れていく海上に浮かびあがらせる効果がある。見えない光景がみえ、聞こえないものが聞こえてくる。それを句にするのは芭蕉の得意とする手法だ。また芭蕉の作句方法に時を変え状況を変えて造り直すことが多いのも特色だ。
 が、詩人で評論家でもある清水哲男は「この句は、聴覚を視覚に転化した成功例としてよく引かれるけれど、芭蕉当人には、そうした明確な方法意識はなかったのではないかと思う」と述べている。またこの句の破調について、「あえて『五・五・七』と不安定な破調を採用したのではなかろうか。そう読んだほうが、余韻が残る。読者は芭蕉とともに、聞こえたのか聞こえなかったのかがわからない『白い意識』のまま、いつまでも夕闇につつまれた海を漂うことができる」との論述は卓見であるといってよい。
 つまり、語順を変えた〈海くれてほのかに白し鴨のこゑ〉と比較してみると、破調の効果がよくわかる。畳み込むことによって同じ鴨の声に不安感が醸し出される。「ほのかに白し」で暮れの海の神秘さもある。前回にとりあげた〈明けぼのや白魚しろきこと一寸〉とは対照的にイメージの拡がりを内在した一句となった。

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