うたごえなどでリクエストをされて ピアノで伴奏する時 どうしても涙が出そうになる曲がある
だんだん涙が滲んできて 楽譜が読みづらくなるのだ
解説をしていても 想いが込み上げて来て 途中で止め 次に入るが しばし止まらない
大好きな歌で有るけれど 苦手である
その一つは 「真白き富士の根」 これは たびたびリクエストされる名曲である
作詞が三角錫子 作曲はアメリカの牧師 ジェレマイア・インガルス
明治43年 逗子開成中学校の生徒12人を乗せたボートが転覆 全員死亡した事件があった
鎌倉女学院の教師であった三角錫子が これを悼み 七里ガ浜哀歌として作詞をした
そして この中学の追悼大会に 鎮魂歌として初演されたのである
この曲は讃美歌の曲であり 歌詞は違うが 教会で歌われる
私の父親は若い頃から鳶や日雇いで 戦中戦後の暮らしを支えた
当然 酒を飲むと酒乱に近い状態で 母や私を困らせた
しかし50代くらいになって 教会に通うようになり クリスチャンの生活で穏やかになる
兄も時を同じくして通い始め 神学校にも行き 今はしていないが牧師にもなった
弟が33歳で亡くなった時 信者ではないが 親の関係で教会で葬儀が行われる
世間で言う通夜 告別式 納骨が キリスト教式で行われた
その時歌われた歌が この讃美歌の曲の方の「真白き富士の根」である
父母より先に逝く親不孝な奴と 遊びも共にした弟をなじりながら号泣して私は歌った
母の最期は 私が近郊の都市で 講義を2時間受け持ち 開始早々連絡が入る
危篤の情報で有るが 講義を止めるわけにはいかず 終わってから駆け付けた
既に臨終には間に合わなかった
父の最期は病院で迎える 母の亡くなる前後から急速に悪化し 母の死亡は告げなかった
そして亡くなる一週間前辺りから 私が病院に泊まり込んだ
絶対 最期を看取るからと心に決めたのである 兄は海外へ仕事で居ない
母の死後 49日も待たず 母を追うように 父は天国へ行った
この時も 通夜 告別式 納骨 歌ったのが「真白き富士の根」である
計9回も歌い 想いが込められているだけに 今 歌うと哀しさが込み上げてくる
もう一つ 涙ぐむ歌がある
あまりリクエストされないから助かるが 演歌のジャンル 「娘よ」 結婚式前日の父親の姿だ
私は息子の結婚には あまり感傷も無かった 家を出て生活していたからかもしれない
しかし 娘は その日まで毎日私と一緒に生活していた 朝出れば 夜には帰る
結婚式が終われば その日から この家に帰ってこないのである
父親の心理としても めでたくも寂しい心理そのものであった
その前日の夜 私が布団に入って寝かかると 娘が突然私の布団に入って来た
ちょっとだけ居させてね・・・・
気恥ずかしいが 嬉しくて 子供の時のように腕枕をして見た
しばらくして黙って出て行った 涙の跡が私の腕に有る
その跡を見て 込み上げる涙が止まらなかった
結婚式の後 私はサウナに行った
ここなら思い切り汗と一緒に 涙が出ても不思議には見えない
この二つの曲は どうしても 込み上げる感情で楽譜が良く見えづらくなる
リクエストは嬉しいが どうか 私を泣かさないでおくれよ
最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m