長崎の鐘 原爆の爆心地に近い浦上天主堂にあった アンジェラスの鐘である
今でも再建された天主堂で平和を願い 鳴り続けているだろうか
長崎の鐘を歌う時は この歌の背景を時々私は皆さんに伝える
あの日 8月9日は こよなく晴れた青空であった
長崎医科大学放射線科の医師 永井隆博士は ここで研究に没頭していた
突然 轟音と爆風と灼熱地獄の衝撃波が襲ったとある
市内の建物は一瞬にして破壊しつくされ 彼は瓦礫の中から這うように出てきた
医科大学だけでも900人余が亡くなった
長崎医科大医学部の病院跡には 皮膚のはがれた重症の人々が次々運び込まれる
永井博士も被爆して負傷しながら 昼夜を分かたず懸命に治療を続けた
原爆の被害で有ることは専門分野のことで ひとめで分かったそうである
運び込まれた人々は 一人また一人と 手当もむなしく亡くなって行った
緊急の日々を送ってある日 一息ついたときに ふと妻の緑を思い出した
どこかで生きていれば 避難していてくれればと願いながら 住まいへ行く
そこには建物もなく わずかな肉片とロザリオがあり 妻と即断した
初めて妻の死を知り号泣した
緊急で運び込まれる患者たちの治療に追われ 妻の事は頭から消えていたのである
なぜすぐに来れなかったのか そばにいなかったかと永井博士は自責の念にかられた
疎開先に居た子供を呼び寄せて住んだ家を 如己堂と名付け原爆の悲惨さを書き続けた
白血病に侵されながら 長崎の鐘 この子を残して ロザリオの鎖など書き遺した
妻が天国へ召された日から5年9カ月 妻の元へ旅立った
この話をモチーフにサトウハチローが作詞した曲が 長崎の鐘 である
曲の前半が沈んだ短調で始まり せめて天国の妻へ 曲の途中から長調へ移調する
この歌があって 悲惨な原爆の長崎が祈りの長崎と言われることが せめてもの救いである
こよなく晴れた青空を 哀しと思う切なさよ
うねりの波の 人の世に儚く生きる野の花よ
慰め 励まし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る
召されて妻は天国へ 別れてひとり旅立ちぬ
形見に残るロザリオの 鎖に白き我が涙
慰め 励まし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る
最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m