定時制高校2年の頃 一時 教師になりたかった
それも どちらかと言うと 教師と言うより 親しみのある 先生 小学校の先生を夢見たものだ
その為には 学芸大学卒業が目標 そんなに大げさでは無く行きたかった夢と言うものである
貧乏家庭 昼間働いた町工場の給料から 少しは母親へ食い扶持を入れる
大学なんて行けるはずが無い うたかたの夢の範囲だった
しかし その定時制高校でも 私なりの楽しみ 生き方をしてきたものだ
昼間の生徒には 文化祭がある 私たちはスポーツも出来ない環境と そのような催しも無い
それではと思いついたのが 海上自衛隊の音楽隊に手紙を書いて励まして頂きたいと投函した
誰も知り合いも無く 唐突な私の手紙に 感動された隊長さんがフル編成で来られた
40名くらいの音楽隊が ジープなどで次々と到着 見たことの無い楽器が運び込まれた
会場は体育館などない為 学校側が近くの区民館を申し込み 現在もその建物は健在である
演奏が終わると 公務員だからとお茶や弁当は不要 一切お金も拘わらず帰られた
真面目に勉強もしたが 奇想天外な行動をして 教職員を驚かせた
日比谷野外音楽堂で 500円でアサヒビールコンサートがあった 無論 夜間である
私がその話をしたら クラスの大半が共感してしまい ある日一緒に聴いてきた
問題は 生徒の大半が居ない教室となったこと 翌日 私は職員室に呼ばれて叱責された
でも 参加は自由で あくまで個人意思で行ったのだからと 妙な意見を貫いて怒られた記憶は無い
工業高校であったから 女子高と交流しようと ある女子校と掛け合い 許可を取り見学に行った
これも職員室に呼ばれ こちらは 実現が不可能となった まだ不純異性交遊の時代(笑)
こんな具合に 定時制ながら 大いに青春を堪能したものである
4年で卒業だが この間際にボランティアにも目覚めた
隣りの区に 孤児院施設があって 訪問したが何の芸も 勿論 ピアノなんて夢の夢の頃
僅かな給料の中から 何度か通って 買える文房具を持って行くのが精々である
ノート 鉛筆は勿論 時には 木琴も無理して買って行った 60年前以上のの話である
30代半ばから 会社にあったオルガンでポツポツ弾いて独学 ピアノが弾けるようになった
社内行事から町内会へ 病院や老人ホームなど 当時 楽器の出来る人は少ないから喜ばれた
老人ホームなどは バンドで行ったら 生きていて良かったと利用者さんが次々と握手
現在までピアノが生きている ボランティアはまだ通い続ける うたごえは更に楽しい
グランドピアノを弾けるのだ それもプロが弾くものを私たちにも弾かせてくれる 迫力ある音だ
昨日も下町のうたごえ 浜辺の歌やローレライなどを伴奏していると すっかり 先生の気分になれる
皆さんの声も若いし 外で誰かが聴いたら 学生が歌い 先生が弾いている?
まあ そこまでは若くないが 皆さんも楽しみ 私も夢の実現を少し感じさせて頂いていることに感謝だ
先生の元気分けてねと言われる ハイ もっと元気になれるよと 私が握手された手を包む
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余裕があってするのとは違って本当のボランティア。
お好きな事を続けて今はピカピカ輝く大人気の「先生」!
遠くてもブログ読みながら元気を分けていただいてます。
「五番街のマリーへ」大好き〜(^o^)/
自戒します。
ちょっとうるんっときました。ご苦労が多すぎます。
海上自衛隊の音楽隊の演奏って素晴らしいですよね。
自衛隊の演奏会には、可能な限り時間を作って出向きます。
不純異性交遊って・・・懐かしい言葉ながらバカバカしいですね(笑)
夢は持ち続けるものですね…のびたさんは、立派な先生だと思います。
人生を楽しくさせてくれる先生。出来るなら1度うたごえの授業を受けてみたいです♪
決していい時代ではなかったですね
でものびたさま努力家で活動家で
実践力があって
悔いなく生きてこられたのですね
これからもお元気でご活躍くださいませ
お誕生日8月23日は私の母もそうでした
もう しっかり毎年覚えていますから
ユーモアがあって、自分の素の姿を呈することも躊躇せずに。
のびたさんのような方こそが「教師」だと私は思います。
教員免許なんて、薄っぺらい、形だけのものです^^;
(その薄っぺらいものの事務的な更新に、今追われていますf^_^;)
活動的でしたね。
学生でありながら、孤児園へ訪問、働いたお金で、
鉛筆やノートなどのプレゼント。
胸が熱くなりました。
高橋真梨子さんの曲は、歌うのは難しいですが、
味わいがあって、いいですね。
最底辺の生活 飢餓も味わいましたから(笑)
今は 充実した日々 多くの方に元気を分かち合えます
ひろさんにも繋がっていること 嬉しいですね
高橋真梨子さんの五番街のマリーへ 一緒に歌えますね
結構楽しい人生を歩んでいるでしょう
貧しさも人生の栄養剤になって居ましたね(笑)
現在は日々充実していますね
最底辺の生活 東京に出てきてからは 父の屑拾いの毎日にも付き合ったことが有りました
街のどぶ川に 泥だらけで入り 鉄を探すのです
飢餓では幻覚を見るまでも味わいましたが 全て笑って話せますよ
意外と鈍感だったのでしょうね
海上自衛隊音楽隊 社会人になっても聴くことがあり 感謝していました
縁も無い町工場の職工苦学生の手紙を 受け止めて下さったのです
不純異性交遊 この言葉は死語ですね(笑)
相手の名門女子高が許してくれたのに 我が高校はダメ 変だよね 格の違いに怖れたのかな?