のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

ラジオ聴く 若き日スキー 蘇る   ああ懐かしのスキー そして・・・・

2019年03月08日 07時10分19秒 | うたごえ

私がスキーに出会えたのは今から60年前だ 私の付き合っていた青春のかけがえのない男女4人のグループ

運動神経は全くない文学少年(ウソ) 誘われてついて行ったのが上越・石打丸山スキー場だった

まだブームの一歩手前 スキー場で借りたスキー一式 今思えば笑えるほどの単板スキーである

 

合板では無いから 下手をすると折れたりするケースもある エッジも無いからカーブも斜めも横滑りしてしまう

下手なのもあるが 従ってスキー板は谷へ向かって揃ってしまう いやでもスピードが付いてまっしぐらに暴走するのだ

見てくれは格好良い 途中で止まっているスキーヤーが すげぇ~なんて感心する声も聴かれ一瞬で下り降りる

 

 

ところが すぐに転倒して見事に転げ落ちて行く スキー板は当時固定式のカンダーハである

どうやって転がって行くのか私にも分からない 雪の上にスキー板が刺さり身動きできない 身体は谷の方だ

抜けないから 誰かが来るまで待つ 人が来るとお~いと呼んで助けられるのがたびたびあった

 

やがて私はスキー板も自分で買ったが 合板で固定式 時代は 転倒時に足から抜ける固定式に変わって行った

その出始めは まだ慣れないスキー客 転倒して スキー板だけが足から離れてスキー場を滑降して行く

危険でもある スキー板だけが坂道をすっ飛んでくる その人は哀れにも 歩いて谷底まで拾いに行くのである

 

 

ラジオで話されていたゲスト 鹿児島の歴史研究会 池田会長はスキー歴何十年のベテランである

先月 岐阜の盟友と落ち合い 志賀高原で数日 スキーを楽しんできたと言う

彼は素晴らしい直滑降 私は転倒ばかりしている不滑降 いや不格好であった

 

私たちの行先は大概は石打・丸山 湯沢 岩原(いわっぱら)の民宿 稀には白樺湖 そして志賀高原である

上野からは夜行スキー列車が出る 行先は蔵王 上越 長野原経由草津 新宿からは志賀高原行が出ていた

これに乗るには 4時間位並ばなければ乗れない 乗っても結構込み合う

 

ホックスシートであるが 通路 挙句は座っている足元にも寝転がって 脚の動きが出来ない

つわものは網棚にも寝る奴がいた その網棚はスキー板が各自フックで吊るしてある

乗車時間は上越で4.5時間 まだ暗い駅に降り立ち 民宿に向かい慌ただしくスキー準備

 

薄暗いスキー場 一応ライトアップはしてあるが 今程完備では無く 坂のデコボコ ギャップが分からない

夜行日帰りも多く夜明けから滑り昼過ぎに終わり東京へ帰る  翌日は出勤である 休日は日曜日のみ

宿泊のときは夜が面白い ディスコなんて当時は無い トランプなど清純な遊びで笑い合ったものである

 

スキーは所帯を持ってからは生活苦で行かない 子どもが生まれ雪の降った日 のこぎりで前半分を切断した

子どもにそりを味わせてあげたかったからである 雪が降ればスキーに飛んで行った青春が懐かしい

添乗員になって 志賀高原などは何度もご案内した 上越も然りである 冬も夏も行ったがスキーでは無かった

 

シーズンオフのスキー場近くの宿は格安で ツアーには良く利用されて 観光の拠点になって居た

目玉には 山の中なのに ズワイカニ食べ放題などと催しがあり これで集客をしていた

スキー場も やがて黒姫のコスモス 他ではラベンダーなど花を植栽してシーズンオフを乗り切るようになった

 

 

四季を通じて訪れた観光地 ゲストさんの話題に上ると 自身の 或るいは添乗としての想い出がいっぱい蘇る

国鉄のキャッチフレーズで 父さん温泉 ぼくスキーなんて流行った 今はやや落ち目 スノボーが支えている

トニーザイラーが主演した 白銀は招くよ 格好良い映画だった 主題歌は今でも歌える

 

 

スキーに行く前に立ち寄ったのが 山の内にある 地獄谷野猿公苑である

ここは駐車場から30分くらい 山道を歩いて到着する

今や外国人の大人気スポット 外国人が7割くらいを占める

 

 

行かれた日はあたたかな日 肝心の猿たちの入浴シーンにはお目にかかれなかったと言う

私が冬 添乗でご案内した時は あの幸せそうな顔の入浴シーンは お客様を喜ばせていた

寒い日は 喜んで入って行く その顔は私たちと同じ極楽 極楽と言っているようだ

 

 

ここには もともと旅館 後楽館がある 或る日 露天風呂に若い猿が入って居たのを見かけ別浴場を作った

それがきっかけで 今のブームの先駆けとなって居た

猿も喜び 人も喜ぶ平和共存でもある

 

池田会長のスキー放談 帰途はやはり歴史 薩摩藩が幕府から命令されて 木曾三川の治水工事に関連だった

江戸中期 濃尾平野の西南部は度重なる水害で住民が苦しんでいた これを救うのが薩摩藩である

薩摩藩士らは、経験したことのない水の流れに苦しみながら 多大の犠牲を払い工事を見事完成させた

 

 

 

平田靱負(ゆきえ)は この工事の総責任者 幕府の検分が終わった直後 命を終えた

永く埋もれていたこの大工事を世に広めたのが、三重県多度に住む西田喜兵衛 

彼はこの工事の様子を世間に知ら 、犠牲者の慰霊と顕彰に邁進した 

 

 京都 大黒時にお墓がある 薩摩藩の祈願所としてのゆかりの地だ

 

明治33年 近代の木曽三川の治水工事の成功式に併せて「宝暦治水之碑」が 時の総理大臣山県有朋公を

迎えて島千本松原に建立された  

その後 平田靱負を治水の神と讃える地元の人々の報恩感謝の熱い思いにより昭和13年現在地に、

平田靱負大人を御祭神とする治水神社が創建された 彼はこの神社に参拝したのである

 

 

コメントは伝言コーナーへもどうぞ!

     (メルアドは入力しなくてもOKです)

コメント (14)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 二万歩に トライ達成 自信... | トップ | 春近し 天気はフーガ 晴れと雨 »

14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いいですね (ちどり)
2019-03-08 07:49:40
のびたさんのスキー歴そしてちょっっぴりご家族のこと。
これ度こそのびたさんの日記?マ㎜だかいつもてんがらもんのためにだけ占領しては伸びたファンに申し訳ないと。もちろん、いつもそれに繋げるのびたさんの体験や思いを書いていただいていますが。
 それにしてもきっとお猿さんの入浴風景見せていただけると待っていましたよ。私たちもよくテレビ報道では見ますが、こうして報告と繋げていただけると助かります。
本来私ももっと詳しい報告を書けばいいのですが、やっとやっとつないでいる状態です。まさにリスナーさんの参加を、頼りににしてより皆さんに詳しく伝えることができていることを、しみじみ感じます。ありがとうございました。
返信する
おはようございます ()
2019-03-08 08:07:57
スキーもされるんですか、文武両道。
高校の山岳部の先輩がスキーで大けがされたのを見て
やる気がなくなってしまいました。
のびたさんがスキーに行かれた場所は、私たちのキャンプ場でもありました。
懐かしい青春時代ですね。
野猿公苑も興味津々ですが、最近は観光客が多くて・・・。
猿の表情には、人間に通じるものを感じます。
返信する
おはようございます (Rira)
2019-03-08 09:20:01
おはようございます。

スキーのお話で〜
"まず転び方を習得するのが大切"と
仰られていたのが印象的でした。

昔の護岸工事(?)は犠牲者が多かったですねぇ。

愛用のスキーをソリに。。
のびたパパのお顔が見えるようです。
ありがとうございました。
返信する
贅沢な信州人は (屋根裏人のワイコマです)
2019-03-08 09:39:04
日曜日のたびに、スキー場に通って
県下のスキー場全部踏破して自慢していた
その昔の自分を思い出しました、
今は小太りになって数年前に遂に
ウェアーを買い替えて・・孫と年に一度か
二度になってしまいましたが、最近は
足や腰に力がなくて・・滑れません
信州情報・・ありがとうございました
返信する
こんにちは~! (きみちゃん)
2019-03-08 12:12:23
私の初スキーは今から50年前のスキーツアーでした。お国のN省のスキークラブの主催で・・・霞が関の前から・・・バスで(^^♪
志賀高原でした!
板はグラスファイバーが導入されて・・・ステップインの踏み込み式で・・・滑り止めがついていました。靴はバックル式でしたが・・・皮でした(笑)

ある程度・・・滑れるようになって…結婚後は・・・毎年年末年始は・・・スキー場で過ごしました。
息子たちが大きくなって行かなくなりましたね~!
多分???今でも…滑れるでしょう(笑)

板は引っ越すときに捨てました。
返信する
のびたさんへ (まりも)
2019-03-08 14:17:11
のびたさんも スキーをやられていたのですね
ワタシは 最初に板を履いたのは 湯沢町布場ゲレンデでした
志賀高原にも 何度か行きましたよ
その頃は リフト待ちが有りましたか
のびたさんの 隠していた爪また発見しました!

平田靱負のこと 岐阜に住んでいた時に知ってたら 神社に行ったのになぁ
返信する
スキーができたら・・・ (ひろ)
2019-03-08 19:48:46
こんばんは。
のびたさんとスキー いろいろな顔をお持ちですね♪
雪山を見ながらのスキー・・・憧れです!
私にはご縁がなかったのが残念です。

木曽三川の治水神社何度か行きましたが、松並木ときれいな公園からは想像を超える
難工事だったと聞きました。薩摩藩の人と物の大きな犠牲のうえに出来上がった堤
今はとても穏やかな風景です。
返信する
cihidoriさんへ (のびた)
2019-03-09 06:21:54

毎週木曜日は てんがらもんラジオ 従って毎週金曜日の私のブログは てんがらもんラジオディです(笑)
応援団ですよ

スキーを始めたのは まだ定時制高校で働きながら町工場に勤めていた頃からですので歴史は古いです(笑)
でも結婚と同時に薄給でしたので一切やめてしまいました
野猿公苑は添乗員で案内しました
勿論 冬のこと お猿さんが気持ちよさそうに入って居ましたね
外国人ブームは数年前からで その前は静かなものでしたよ
返信する
花さんへ (のびた)
2019-03-09 06:28:39

スキーは経験したと言った方が早いかもしれません
若い頃の数年のことですね
キャンプであちこち行かれましたか?
当時の若者たちは テントで楽しんでいました
風呂なんて3日も入らなくても それがキャンプ あとからバンガローが各地にできました
会社で若年層をキャンプに連れて行った時 お風呂が無いなんてぶつぶつ文句を言うのが居ました(笑)
野猿公苑の外国人ブームは 最近数年のことです
それまでは静かな観光地でしたよ
あの猿の表情 人間と同じでした
返信する
Riraさんへ (のびた)
2019-03-09 06:33:53

スキーは習ったことはありませんが 指導員の第一の言葉は 転び方の練習だそうです
柔道の受け身からと同じですね

愛用のスキー板 狭い家の端っこに有りましたが 行きたい気持ちも多少ありましたが 子どもに楽しませてあげたいと 切断してそりにしました

昔の河川治水工事は大変な犠牲を払っていますね
しかし その技術はすごいと思います
徳川家康も 武田信玄も 治水工事から始めています
返信する

コメントを投稿

うたごえ」カテゴリの最新記事